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山本権兵衛~日本海軍を創った公正無私なリアリスト

2020年03月04日 公開

戸髙一成 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)館長

山本権兵衛

古いタイプの将官たちを大量にリストラし、近代的な教育を受けた人材に置き換える。軍備の国産化を進め、陸軍の下に置かれた海軍の地位を改善する。山本権兵衛の下で日本海軍は発展し、その成果が日露戦争の奇跡的な勝利だった。

戸髙一成 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)館長
昭和23年(1948)生まれ、宮崎県出身。多摩美術大学美術学部卒業。(財)史料調査会理事、厚労省所管「昭和館」図書情報部長などを経て現職。令和元年(2019)、菊池寛賞を受賞。著書に『海戦からみた太平洋戦争』『聞き書き 日本海軍史』、編著に『[証言録]海軍反省会』『特攻 知られざる内幕』などがある。

 

日清戦争以前の海軍はステイタスが低かった

「日本の海軍を誰が創ったか」と問われたら、筆頭に挙げるべきは山本権兵衛である。

嘉永5年(1852)、薩摩藩士の家に生まれた権兵衛は、兄とともに薩英戦争、そして戊辰戦争を戦った。このとき、年齢を誤魔化して従軍し、「戦で負傷するなら、弾傷でなく刀傷がいい」と兄弟で話し合ったという。

いかにも侍らしい逸話だが、弾の下、刀の下をくぐった実戦経験で、権兵衛が胆力を養ったことは想像に難くない。

戊辰戦争が終わった明治2年(1869)、権兵衛は西郷隆盛の紹介で勝海舟と会い、海軍軍人としての人生がスタートする。

兵学寮(後の海軍兵学校)で学んだ権兵衛は、ドイツに留学した。当時は生徒の数が少ないため、全員が超エリート教育を受け、かなりの比率で海外留学の機会を与えられたのだ。

海外留学といっても、座学ではない。実際に軍艦に乗り組み、士官扱い、ないしは士官候補生扱いで、航海士、砲術士などに配置されて仕事をするのが中心だった。

権兵衛もドイツの軍艦で実地教育を受けているが、権兵衛から少し後ぐらいまでの人たちは、外国の軍艦の乗組員となることで、「海軍」を肌身で学んだのである。

ちなみに、日清戦争以前の海軍はステイタスが低く、エリートが喜んでいくようなところではなかった。

兵学寮で定員に満たないクラスが生じ、二次募集、三次募集をしたこともあったほどで、一般にイメージされる海軍の華々しさは、日露戦争後に生まれたものだ。

何よりも海軍自体が、日清戦争のときは基本的には陸軍の指揮下に置かれていた。そうしたレベルから、陸軍と並び立つまでに海軍を「成長」させたのが、山本権兵衛なのである。

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