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珊瑚海海戦こそ太平洋戦争の岐路だった!~アメリカは学び、日本は学ばず



2020年04月23日 公開

戸髙一成《呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)館長》

海

世界で初めて空母同士が対決した珊瑚海海戦は、試行錯誤の連続だった。それだけに「洋上の航空戦」の戦訓を得る、絶好の機会でもあった。しかし、日本海軍はこのチャンスを見逃して、ミッドウェー海戦へと突入していく。どこに問題があったのか?

戸髙一成《呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)館長》
昭和23年(1948)生まれ、宮崎県出身。多摩美術大学美術学部卒業。(財)史料調査会理事、厚労省所管「昭和館」図書情報部長などを経て現職。令和元年(2019)、菊池寛賞を受賞。著書に『海戦から見た太平洋戦争』『聞き書き 日本海軍史』、編書に『[証言録]海軍反省会』『特攻 知られざる内幕』などがある。

 

この海戦で連戦連勝の勢いが止まった

太平洋戦争の海戦に関する研究書に占める、珊瑚海海戦のウエイトは小さい。真珠湾作戦、インド洋作戦から、いきなりミッドウェー海戦に飛んでいるものもある。

それは、珊瑚海海戦がローカルな戦闘と捉えられていることの証だが、これほど日本が検討すべき要素を含んでいる戦いはない。太平洋戦争において、重要でありながら見落とされがちなのが、珊瑚海海戦なのである。

まずは、珊瑚海海戦を簡単に説明しておこう。

開戦当初の真珠湾作戦、インド洋作戦が順調に進むと、昭和17年(1942)に第二段作戦が始められた。その一つがMO作戦である。

これは、アメリカとオーストラリアの連絡路を遮断することを目的としており、ニューギニア南東部のポートモレスビーを攻略し、珊瑚海の制海権を確保するというものだ。第四艦隊司令長官の井上成美が指揮官となった。

日本海軍の暗号を解読していたアメリカは、その企図を阻止すべく、2隻の空母(ヨークタウン、レキシントン)を南太平洋に派遣する。

そして、5月7日から8日にかけて、アメリカ・オーストラリア連合軍の機動部隊と、瑞鶴、翔鶴、祥鳳を擁する日本の機動部隊との間で、世界初の空母戦が繰り広げられた。これが珊瑚海海戦である。

二日にわたる戦闘の末、双方が撤退して海戦は終わったが、どちらが勝ったのかという点は微妙である。

日本は軽空母の祥鳳が沈没、翔鶴が大破、アメリカはレキシントンが沈没、ヨークタウンが中破と、兵力的な損害では「引き分け」と判定できないこともない。

しかし、ポートモレスビー攻略という作戦目的を達成できなかったのだから、大局的には日本の負けといえる。また、真珠湾作戦以降、連戦連勝だった日本の勢いが止まったという意味でも、日本にとっては痛手であった。

MO作戦の失敗は、ポートモレスビー攻略を軽く見ていたことが要因として大きいだろう。

作戦目的に対して投入した兵力が少ないこと、第一航空戦隊、第二航空戦隊ではなく、編制されて日の浅い第五航空戦隊を機動部隊の主力に使ったこと、それまで戦場での実績があまりなかった井上成美を指揮官にしたことが、「軽く見た」と考える理由である。

「順当にいけば、この程度でも勝つのが当然」という意識が、連合艦隊司令部にあったといわざるを得ない。

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