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アンリー・デュナン~赤十字を作った男、波乱の生涯

2020年06月05日 公開
2022年03月18日 更新

鷹橋忍(作家)

その呼びかけが全ヨーロッパに知れ渡る

ジュネーブに戻ると、デュナンはこの時の経験をまとめた手記『ソルフェリーノの思い出』を執筆し、自費出版した。

その手記では戦場の悲惨さを克明に描き、「負傷して武器を持たない兵士は、一人の人間として、その貴重な生命を守るべき」と説き、以下の2つの提案を世に問うた。

1)ボランティアを集めて訓練し、戦時に負傷者を救護できる組織を平時から設けること(人道の組織化)
2)この組織を認め、保護するための国際的な取り決めを結ぶこと(人道の成文化)

デュナンは自著をヨーロッパ各国の政治指導者や、各界の有力者らに送付した。すると、たちまち大きな反響が起こった。デュナンの呼びかけは全ヨーロッパに知れ渡り、報道機関でも熱狂的に取り上げられた。

英国の作家チャールズ・ディケンズや、フランスの作家ヴィクトル・ユゴーが紹介し、政府関係者や、王室、詩人や哲学者、医師など多くの名士が、デュナンの提案を支持した。

だが、意外なことに、クリミア戦争から帰国したナイチンゲールからは、「軍隊の戦病・戦傷者の救護は、あくまでその国の軍の医療機関が責任を負うべき」と、反対する手紙が返ってきた。

憧れのナイチンゲールからはよい返事が貰えなかったが、デュナンは賛同者たちと、新しい組織作りに乗り出していく。

そのなかで、最も重要な人物はギュスターブ・モアニエだ。

モアニエはデュナンより2つ年上の法律家だ。ジュネーブ公益福祉協会委員会の委員長でもある。

モアニエはデュナンのアイデアを「ジュネーブ公益福祉協会で議題として取り上げたい」と提案した。デュナンは承諾し、自身も公益福祉協会に入会した。

1863年、ジュネーブの公益委員会は、デュナンの提案を実現に移すため、デュナンとモアニエを含む五人の委員を任命した。国際赤十字委員会の前身となる、通称「五人委員会」(正式名称「国際負傷軍人救護常置委員会」)の発足である。

モアニエは国際会議の開催を提案し、デュナンはその招致活動において「招待状だけでは不十分」と自著を配り、人々に語りかけ、次々と手紙を書いた。

デュナンの活動は功を奏した。1863年10月26日から4日間、ジュネーブで国際会議が開かれた。

16カ国から代表者が訪れたこの会議の議長は、交渉に長けたモアニエに委ねられた。デュナンは書記を務めたという。

この会議によって「赤十字規約十カ条」が採択された。この規約により、各国赤十字の母体となる救護団体「負傷軍人救護協会」が組織され、平時でも国際的に繫がり、互いに連絡を保つ基礎ができた。

こうして、デュナンが提案したうちの一つ「人道の組織化」が実現したのだが、デュナンは会議のなかで、本題について一言も発しなかったという。

デュナンは、情熱的に人々の心に訴えかけ、口説き落とす術には長けていたが、国際会議を取り仕切ったり、まとめたりするのは得意ではなかった。

また、自分のアイデアを制度化したり、国際法として条文化したりする能力にも、欠けるところがあったと言われている。

そういうことに優れていたのは、法律知識と法人組織に精通したモアニエであった。

翌年の1864年には、スイス政府主催で国際会議が開催された。

16カ国の政府代表者が参加したこの会議では、「戦地軍隊における傷者及び病者の状態改善に関する条約」(最初のジュネーブ条約)という、国家による国際間の条約が生まれた。これにより、デュナンの2つ目の提案である「人道の成文化」が実現した。

白地に赤十字の赤十字マーク(正式名称「赤十字の標章」)が正式に認められたのも、この会議である。

赤十字マークの意匠は、デュナンの祖国・スイスに敬意を表して、スイス国旗の配色を逆にしたものだ。ちなみにイスラム教国では、宗教的理由から、十字ではなく赤新月の標章を使っている。

この会議でのデュナンの主な役割は、各国の政府代表を歓迎する接待であった。

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