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第61代・朱雀天皇の皇位継承と平将門の乱

2020年07月08日 公開
2022年06月21日 更新

吉重丈夫

平将門首塚
平将門首塚(東京都千代田区)
 

平将門の乱(承平天慶の乱)

平将門は、臣籍降下して平氏の姓を授けられた高望王の三男・平良将の子で、桓武天皇の五世孫である。父・平良将の相続問題から下総国と常陸国に広がった平氏一族の抗争が、やがては関東諸国を巻き込む大争乱となった。

将門は関東各地の国衙(朝廷の出先機関)を襲撃して印鑰(いんやく)を奪い、独自に除目(諸官の任命)を行い、岩井(茨城県坂東市)に政庁(都)を設置し、京の朱雀天皇に対して新皇(新天皇)を自称し、東国の独立を表明する。明らかな二朝対立となり、完全なる朝敵となった。朱雀天皇がまだ17歳と若いし、先帝・醍醐天皇も先々帝・宇多天皇もすでにこの世におられず、将門は新天皇になれると本気で思ったようであった。

朝廷はこの東国での将門の乱に対し、翌年の天慶3年、藤原忠文(式家)を征東大将軍に任じて将門征伐軍を送るが、(下向の)途中、下野国(栃木県)の押領使(警察・軍事の官職)の藤原秀郷(藤原房前の五男・魚名を祖とする藤原北家魚名流)により平将門が討たれ、すでに将門の乱は鎮定されていた。

前年天慶2年、平将門が兵を挙げて関東八ヶ国を征圧する(天慶の乱)と、藤原秀郷は甥の平貞盛、藤原為憲と連合し、天慶3年2月、将門の本拠地(下総国猿島郡)を襲い、乱を平定していた。

この「平将門の乱」は、武力で天皇になろうとした日本の歴史上極めて珍しい事件であった。皇統にない者が天皇になろうとしたが成功しなかった。

皇紀1606年=天慶9年(946年)4月20日、朱雀天皇は皇子女に恵まれず、病弱でもあられたので、在位16年(15年7ヶ月、皇統譜では17年)にして24歳で3歳年少の同母弟・成明親王(村上天皇)に譲位され、4月26日太上天皇となられた。

兄から弟への兄弟継承が行われた。

皇紀1612年=天暦6年(952年)出家して仁和寺に入られ、8月15日、30歳で崩御される。

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