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幕末の名医・緒方洪庵~ずば抜けた学力の持ち主だった適塾の創設者

2020年09月23日 公開
2022年12月07日 更新

長尾剛(作家)

 

蘭学者としての緒方洪庵を育てた大坂の街へ

天保6年(1835)、中天游が亡くなった。この頃、出張を終えた父と足守に帰っていた洪庵は、急ぎ大坂に向かい、天游の塾に駆けつけた。そこで塾生たちに請われ、しばらくのあいだ講義をした。

やがて塾の新体制が整うと、洪庵は足守に帰らず、さらに修業の旅に出る。行き先は「蘭学のメッカ」長崎である。

天游の息子も、蘭学を学ばせるために同行させた。天游への恩返しの一端だった。

長崎では、多くの新しい蘭方医学の収穫があった。洪庵も、しばらく長崎に腰を落ち着けるつもりでいた。

ところが天保8年(1837)、大坂で思いもよらない大事件が起こる。いわゆる「大塩平八郎の乱」である。

大坂奉行の無策ぶりに怒りを覚えた陽明学者の大塩平八郎が、民を救うため、門弟を率いて武力蜂起した事件である。この事件で大坂の街の5分の1が焼け野原となった。

「蘭学者の私を育ててくれたのは、大坂の街だ。大坂に恩返しをするのは今しかない」

天保9年(1838)、洪庵は大坂の地を踏むと、開業医としての看板を掲げた。洪庵の高名を慕って、多くの患者が押し寄せた。洪庵は、懸命に治療を続けた。

医院とは別に、洪庵が新時代の蘭学者を育てるため開いたのが、前述の「適塾」である。この塾は、福沢諭吉、大村益次郎、橋本左内……といった幕末から明治にかけて活躍した有能な人材を、数多く輩出している。

そして、この頃である。洪庵が「ジェンナー牛痘法」の日本普及に、本格的に乗り出したのは。

洪庵は、全国の蘭学者のネットワークを通じて、牛痘法に必要な「生きた苗(ワクチンの素材)」を手に入れるため奔走し、「適塾」の門弟たちとともに、研究に努めた。

じつは洪庵も、8歳の時に天然痘にかかっている。その時は一命を取り留めたが、

「あんな苦しい闘病と、死におびえる日々を、これ以上、子供たちに味わわせたくない」

と、心底から思っていた。彼の牛痘法への執着は、鬼気迫るものがあった。

こうして、ついに嘉永2年(1849)、「大坂除痘館」の活動が始まる。その翌年には、洪庵の故郷の足守藩でも種痘が行なわれるようになったのは、先に述べたとおりである。

その後、種痘は全国に広がり、天然痘の患者は、日本史上劇的に減少した。やがて安政5年(1858)には、幕府公認の治療法として定められた。

「蘭学を学んできて、本当に良かった」

洪庵は、大坂の真っ青な空を見上げ、小さくつぶやいた。

このまま街の臨床医として勤めつつ「大坂除痘館」と「適塾」の運営に邁進できていたならば、洪庵は穏やかな晩年を迎えられていたことだろう。ところが文久2年(1862)、意外な通達が洪庵のもとに届く。

「奥医師として江戸に出仕すべし」

幕命である。奥医師と言えば、将軍家直々の専属医。当時の医学界としては、まさしくトップの地位である。

しかし、洪庵の心は沈んでいた。

「今更、江戸へなぞ……」

大坂は天領(幕府直轄地)ながら、商人、庶民の街である。武士の人口が多い江戸の厳格さや京都の雅さなどとは縁遠いが、庶民の活気と自由な空気にあふれている。洪庵は、そんな大坂を愛していた。

洪庵に、もし少しでも蛮勇の気や利己心があれば、この幕命を頑として断ったかも知れない。だが、ひたすら生真面目で、求められているからには断り切れない性分の洪庵である。この幕命に従うしかなかった。

同年8月、洪庵は江戸城に入った。

幕府は洪庵を歓迎した。奥医師のほかに「西洋医学所頭取」という役職まで与えた。ふつうに考えれば大出世である。

しかし洪庵は、江戸城の厳しい規律ずくめの勤めや、武家との堅苦しい交際が、どうにも肌に合わない。仕事こそ懸命に果たすものの、ストレスが溜まるばかりである。

14代将軍の徳川家茂も、その正室・和宮や先代の正室・天璋院も、洪庵の診察に信頼を寄せていた。が、そんな栄えある立場とは裏腹に、文久3年(1863)に入ると、洪庵の心身は衰弱していった。

そして、ついに同年6月10日。

洪庵は、役宅でいきなり大量の吐血をし、バタリと倒れた。そして、そのまま血塗れの姿で帰らぬ人となった。享年、54。

医学的に詳しい死因は不明である。肺癌説もあるが、当時の医学では解明できなかった。ただ、彼の心労ぶりを慮れば、江戸暮らしのストレスが大きな要因だったろう。こんにち的に言うなら「ストレス障害による労災」である。

したがって、洪庵に遺言はない。

だが生前の洪庵は「道のため、人のため」が口癖で、門弟たちへの手紙でも、この言葉で締め括ることが多かった。

まさしく緒方洪庵の生涯を貫いた言葉である。

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