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第64代・円融天皇の皇位継承

2020年10月29日 公開
2020年11月09日 更新

吉重丈夫

平安神宮

「令和」という新時代を迎え、歴代天皇の事績をふりかえります。今回は円融天皇をお届けします。

※各天皇の年齢等については数え年で計算して記しています。
※即位年、在位年数などについては、先帝から譲位を受けられた日(受禅日)を基準としています。
※本稿は、吉重丈夫著『皇位継承事典』(PHPエディターズグループ)より、一部を抜粋編集したものです。

皇位継承事典
 

第六64代・円融天皇

世系40、即位11歳、在位16年、宝算33歳

皇紀1619年=天徳3年(959年)3月2日、村上天皇の第五皇子として誕生された守平親王で、母は右大臣・藤原師輔の娘・中宮安子である。先帝の冷泉天皇の同母弟に当たり、同母兄弟のあいだで皇位が継承された。

皇紀1627年=康保4年(967年)9月1日、同母兄の為平親王を飛び越えて九歳で立太子され皇太弟となられる。これは為平親王(16歳)が源高明の娘を妃にしておられ、この親王が即位されると、醍醐天皇の皇子である源高明が義父ということになり、藤原氏としてはこれを絶対に避けたかったためであった。

皇紀1629年=安和2年(969年)8月13日、皇太子・守平親王が元服前に冷泉天皇の譲位を受け、9月23日、円融天皇として即位される。即位時はまだ11歳で、母方の大伯父に当たる太政大臣・藤原実頼が摂政に就く。

翌皇紀1630年=安和3年(970年)3月25日、元号が天禄に改元される。5月18日、摂政・藤原実頼が死去する。そこで急遽27日、実頼の甥(弟・師輔の長男)の藤原伊尹(これただ)が実頼に代わって摂政となる。

天禄元年11月17日、大嘗祭を催行される。

皇紀1632年=天禄3年(972年)1月3日、円融天皇が元服される。摂政に就いた伊尹が天禄3年11月1日、在職2年半で死去(49歳)し、その弟の兼通と兼家が摂関職を争った。そこで天皇は亡母・安子(兼通の同母妹)の遺言に従って兄の兼通が関白に任じられ内大臣に就く。

皇紀1633年=天禄4年(973年)2月、藤原兼通(師輔の次男)の娘・媓子(こうし 師輔の孫娘)が入内し、7月に中宮となる。のち皇后に冊立される。

12月20日、元号が天延に改元される。

皇紀1634年=天延2年(974年)2月、藤原兼通(50歳)が藤氏長者宣下、太政大臣宣下を受ける。

皇紀1637年= 貞元2年(977年)10月11日、関白・兼通が重病に陥り、兼通の要望で天皇と外戚関係のない藤原頼忠が次の関白に就く。頼忠は藤原北家嫡流の藤原実頼の次男で、関白宣下と同時に藤氏長者宣下を受ける。

翌貞元3年10月2日、関白の藤原頼忠が太政大臣宣下を受ける。

11月29日、元号が天元に改元される。

皇紀1639年=天元2年(979年)6月3日、中宮・媓子(33歳)が薨去され、代わって関白・藤原頼忠(実頼の次男)の娘・遵子(実頼の孫娘、26歳)が天元5年3月11日、中宮に立てられる。

皇后・媓子、中宮・遵子に皇子女はなく、のち入内した詮子が懐仁親王(一条天皇)を産まれた。

皇紀1644年=永観2年(984年)8月27日、第一皇子・懐仁親王(一条天皇)の立太子を条件に、円融天皇は在位15年にして26歳で先帝・冷泉天皇の第一皇子・師貞親王( 花山天皇)に譲位される。先帝・冷泉天皇の譲位を受けてから15年14日の在位であるが、皇統譜では在位16年とある。先帝で同母兄に当たる冷泉天皇の皇子であり、甥である。

皇紀1645年=寛和元年(985年)8月、出家され、勅願寺である円融寺に住まわれ、崩御後に「円融院」と追号された。

皇紀1651年= 正暦2年(991年)2月12日、譲位後7年して、33歳で崩御される。

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