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金ヶ崎の退き口~朝倉義景の猛攻で信長は「生涯最大のピンチ」に



2020年11月25日 公開

吉川永青(作家)

金ヶ崎城址遠景
金ヶ崎城址遠景

織田信長にとっての生涯最大のピンチ「金ヶ崎の退き口」。それを演出したのが、越前・朝倉義景である。

朝倉は、いかにして信長を危機に陥れたのか。対する信長は、どうやって脱することができたのか。

そして殿軍を務めた秀吉や光秀は……。

【吉川永青 PROFILE】昭和43年(1968)、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で小説現代長編新人賞奨励賞を、『闘鬼 斎藤一』で野村胡堂文学賞を受賞。著書に『奪うは我なり 朝倉義景』『第六天の魔王なり』『毒牙 義昭と光秀』などがある。

 

浅井長政の怒り、朝倉義景の笑み

「何と仰せられました」

長政は自らの耳を疑った。織田家と我が浅井家は盟友ではなかったのか──その驚きに、信長が怪訝な面持ちを向けた。

「おまえは我が妹婿ぞ。浅井の安泰も、俺が六角義賢を退けてやったからだ。織田の家臣同様、我が下知に従うのが筋ではないか」

六角の名を出され、長政は言葉に詰まった。

父・久政が当主であった頃、浅井は南近江の六角家に押され、従属を余儀なくされていた。それを変えたのは長政であり、そして確かに信長であった。

5年前、永禄8年(1565)のこと、長政は信長の妹・市を正室に迎えた。反対する父を、琵琶湖の竹生島に幽閉した上での婚姻である。その頃の信長は、美濃の斎藤龍興を包囲する盟友を求めていた。長政はこれに助力し、そして信長は2年後に斎藤を滅ぼした。

さらに翌年、信長は上洛して足利義昭を将軍位に押し上げた。この上洛に際し、道を阻んだ六角を退けている。織田の力なくして浅井の今はない。しかし。

「朝倉は浅井が盟友、決して攻めぬとお約束なされましたろう」

どうにかそれだけ返すも、信長は「聞き分けよ」と目を吊り上げた。

「朝倉は上洛の指図に従わぬばかりか、城を固めて戦支度をする有様だ。討つのは俺のためではない。上様の世を安んじ、天下に静謐をもたらすためである」

義昭に将軍位が宣下された後、信長は諸大名に上洛を指図していた。将軍に従う者と逆らう者を見極めるためであった。

もっとも、口実に過ぎない。指図に従わない大名は、朝倉だけではないのだ。にも拘らず朝倉を攻めるのは──。

「公方様を奉じてご上洛の折、朝倉が兵を出さなかったがゆえでしょうや」

「それとて上様を蔑ろにする行ないぞ」

吐き捨てて、信長は座を立った。去り際の眼差しが語っている。浅井は我が家臣も同じだ。黙って従え、と。長政は強く奥歯を嚙み、飛び出しそうになる怒声を必死に押し止めた。

*永禄13年(1570)4月20日、信長の兵が京を発ち、越前西部の敦賀へ向かった。朝倉家の本拠・一乗谷にその報せが届いたのは24日、元亀と改元された翌日であった。

「城を固めて、かえって織田を呼び込んだようなものじゃ。如何様になさるおつもりか」

同名衆の朝倉景鏡が嚙み付いてくる。評定の席に嫌なものが漂った。当主を面罵するなどこの男くらいだろう。が、主座の義景は柳に風と受け流した。

「どうもこうもない。迎え撃つまでじゃ。其方は我が従兄ゆえ、大いに力を与えておる。此度も働いてもらうぞ」

集った面々が「すわ」と緊張を湛えた。

「それでは敦賀に援軍を」

「急ぎ、兵を整えまする」

義景は「ふむ」と頷いた。

「敦賀には、金ヶ崎に景恒がおる。4日の後で良かろう」

万座が声を失った。どの顔にも「遅すぎる」「何を言っているのか」と大書されている。

「どうした」

鷹揚な笑みで問う。家臣たちはそれによって無言から解き放たれた。

「金ヶ崎は4500、織田は徳川の援軍まで併せて3万なのですぞ」

「4日もかけては見殺しにするようなもの。景恒様は同名衆ではござりませぬか」

「織田の出陣は予め見通しておったことにて、兵はすぐにも整いまする」

咎められてなお、義景は「はは」と笑った。

「では任せる。支度が整い次第、出陣じゃ」

評定が決し、皆が下がって行く。どの顔にも戸惑い、或いは義景の器を危ぶむ思いに満ちていた。見送りつつ、義景は口の中で「阿呆しかおらぬ」と呟いた。

「切り札を待つための4日じゃと申すに」

最前からの笑みが、にたあ、と不敵なものに変わった。

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