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傀儡か賢君か…最後の源氏将軍・源実朝の「知られざる実像」

2020年12月18日 公開
2022年06月02日 更新

坂井孝一(創価大学文学部教授)

源実朝公御首塚(みなもとのさねともこうみしるしづか:神奈川県秦野市)
源実朝公御首塚(神奈川県秦野市)

日本史上初の本格的な武家政権である鎌倉幕府では、創設者頼朝の源氏の血統は三代で途絶え、継承されなかった。

その断絶に至るまでの幕府内の権力闘争の歴史を描いた1冊、坂井孝一氏による『源氏将軍断絶』より、最後の源氏将軍「源実朝」の実像について語っていただいた。

※本稿は、坂井孝一著『源氏将軍断絶』(PHP新書)の一部を抜粋・編集したものです。

 

為政者としての実朝評

ここで、同時代や鎌倉後期・南北朝期の人々が、実朝を為政者としてどのように評価していたのか確認しておきたい。

まず、同時代史料の『六代勝事記』である。高倉から後堀河までの「六代」に起きた「勝事」(人の耳目を驚かせた出来事)をまとめた作品で、著者は確定していないが、承久の乱直後の成立であることがわかっている。その実朝評は、

執権十六年の間、春の露のなさけくさばをうるほし、夏の霜の恨、折寒になす。一天風やはらかに、四海波たゝず。家は夜半のしぐれのもらざればふかず。ふすまはあか月の嵐のすきまをふせぐばかり也。倹なる者をすゝめ、奢なる者をしりぞけられ(下略)

に集約されている。実朝が将軍だった16年は「風やはらかに、四海波たゝず」天下泰平で、実朝自身は時雨が漏れることもないので家の屋根をふかず、襖も嵐のすきま風を防ぐ程度で、倹約を勧め、贅沢を退ける為政者だったと評する。

この後、晩年は「ことわりもむなしくあはれみわすれて」と批判を加えるが、右大臣昇進に対する貴族社会の非難感情が根底にあるように思われる。その点では摂関家出身の慈円が書いた『愚管抄』も同じである。

次に、鎌倉後期に無住が著した『沙石集』の実朝評である。実朝が八田知家の諫言を容れて莫大な費用のかかる上洛を中止したという説話の最後に、

聖人は心なし、万人の心をもて心とすと云へり。人の心の願ふ所をまつりごととす、これ聖人の質なり。賢王世に出づれば、賢臣威をたすけ、四海静かに、一天穏かなり。

という評言がみえる。実朝は万人の心を以て心とし、人の願う政を行う「聖人の質」を持つ「賢王」であると讃え、その治世は「四海静かに、一天穏かなり」としている。

『沙石集』はまた、実朝が詠んだと伝えられる「鳴子をば おのが羽風に まかせつつ 心と騒ぐ 村雀かな」という歌に法華経や『宗鏡録』の思想を読み取り、「この歌は深き心の侍るにや」との評価を与える。

実朝の詠歌ではなく伝承歌であるが、逆にいえば、無住をはじめ鎌倉期の人々が、実朝を仏法に深く帰依した信仰の人と理解していたことになろう。

さらに『沙石集』は、栄西に次いで寿福寺長老となった退耕行勇と実朝との師弟関係にまつわる話を載せる。行勇が諸人の訴訟に口出しをすることが度重なったため、実朝は、

世間の様は、一人は悦べども一人は歎く事なり。御綺ひな候そ(中略)国の制法は偏頗なき物にて候を、自今以後は永く承り候ふまじと荒らかに御返事ありければ

訴訟に勝った方は喜ぶが負けた方は嘆くことになる、国の法律や規則は偏りのない公平なものでなくてはならず、今後は介入を止めよと師の行勇を厳しく制した。

行勇は恐れ入って退出したが、師を勘当したことに悩んだ実朝は70余日後の夜半、急に寿福寺を訪れ、二人は和解したという。無住は続けて、

この事は、かの寺の老僧、語り侍りき。大臣殿に宮仕へたる古人の語りしは、御夢に気高げなる俗の、白張装束にて、「いかが、貴き僧をば悩ますぞ」と宣ふと御覧じて、驚きて、夜半計りに、急ぎ寺へ入御ありけるとぞ承りしと語りき

寿福寺の老僧が語った話であること、また実朝に仕えた古人は、実朝が夢告を得て行勇を訪れたと語ったことを明らかにしている。

『吾妻鏡』は実朝の夢告を神仏に通じる神秘的な力の証しとしてたびたび挙げているが、実朝と同時代に生きた人々も強烈な印象を受けていたのであろう。

 『吾妻鏡』建保5年(1217)5月12日条、15日条にもほぼ同内容の異伝がみえる。

小林直樹氏は、「為政者としての意識をもった実朝像は、無住を含む鎌倉時代の人々の心象に意外と深く浸透していたのではないか」と分析している。

最後に、南北朝期成立の『増鏡』における右大臣実朝評をみてみたい。

この大臣は、大かた、心ばへうるはしくて、剛くもやさしくも、よろづめやすければ、ことわりにも過ぎて、もののふの靡き従ふさまも代々に越えたり。

心が豊かで気高く、武勇の面でも優雅な面でも申し分なかったので、武士たちが靡き従う様子は頼朝や頼家など代々の父祖を超えたと激賞している。

こうした評言が同時代、鎌倉・南北朝期に厳然と存在したことは軽んじるべきではない。

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