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太平洋戦争は避けられなかったのか?「日米開戦もやむなし」に至らせた“極秘会議”とは

2021年08月14日 公開

半藤一利(作家)

半藤一利

『昭和史』や『日本のいちばん長い日』など、数々のベストセラーを遺した昭和史研究の第一人者・半藤一利氏が、最後に日本人に伝え残したかったこととは――。太平洋戦争下での軍人たちの発言や、流行したスローガンなど、あの戦争を理解する上で欠かせない言葉の意味やその背景を、同氏ならではの平易な文体で解説する。

日米交渉の結果としてハル長官から渡された「ハル・ノート」によって、東条英機内閣は「日米開戦もやむなし」と最終的に決意を固めることになる。本稿では、太平洋戦争前夜に行われた政府の極秘会議を振り返り、開戦に至った経緯を明らかにする。

※本稿は、半藤一利著『戦争というもの』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです。

 

「日米開戦もやむなし」の風潮

日本は譲歩に譲歩を重ねて、アメリカ政府と何とか条約を結び直したいと交渉をつづけていました。

その期限も昭和16年(1941)11月末までとして、いざとなれば戦争に突入する準備を陸海軍がいっぽうでしながら、ワシントンで駐米大使野村吉三郎がアメリカのハル国務長官に、それこそ頭を低く低く下げて譲歩した日本からの条約案を提出したのが11月20日。

いわば日本政府からの「切り札」といえる、日米交渉の成否をかけた最後の案でした。その日本案にたいするアメリカ政府の返答が、ハル長官から野村大使に手渡されたのが11月26日。

歴史的にはこれを「ハル・ノート」といいますが、早くいえば、日本からの提出案をまったく無視した、強硬そのものの要求を突きつけてきたのです。この「ハル・ノート」を受けとって、東条英機内閣は「日米開戦もやむなし」と最終的に決意を固めることになるのです。

じつはその前に、日本国民そのものが「早くやれ!」「もはや我慢はできぬ」と政府の尻をさかんに叩いていました。ともかくそのころの日本は貧しかった。生活の貧困や労働の過酷といったさまざまな不満にじっと耐えていました。

いいかえれば大爆発を辛うじて抑えることができていたのは、やれば勝てる戦争なんだ、正義の戦争(聖戦)なんだからという戦争観によって、であったと思います。加えるに、新しい戦争にたいする大東亜共栄圏の建設という使命感といったものがあったのです。

戦争を望む心理、あるいは好戦的な風潮といっていい雰囲気が、マスコミの大宣伝もあって日本全体を蔽っていた。なにしろ少年時代のわたくしのまわりには、勇ましい軍国おじさんばかりがいましたからね。

 

11月29日の重臣会議

こうした使命感と国民感情の後押しをうけて、もう「ハル・ノート」はアメリカからの宣戦布告にひとしいものだと、政府や軍部を駆り立てたのです。11月29日、昭和天皇の「重臣たちの意見も聞くように」との意向をうけて、政府と重臣(首相経験者)との懇談会がひらかれました。

出席した重臣は、若槻礼次郎、岡田啓介、広田弘毅、近衛文麿、林銑十郎、平沼騏一郎、阿部信行、米内光政の8名であり、原嘉道枢密院議長がこれに加わった。

政府側からは東条首相兼陸相、嶋田繁太郎海相、東郷茂徳外相、賀屋興宣蔵相および鈴木貞一企画院総裁が出席。陸海の統帥部からはだれも姿をみせていません。

会議は午前9時半からはじまり、途中で昼食休憩の一時間をはさんで午後4時までつづけられました。開戦の正式決議(12月1日の御前会議)を前にして、大日本帝国の運命をきめる重要会議の一つがこの懇談会であったのですが、くわしく語ると、とにかく延々としゃべりつづけなければなりません。

これはもう老骨には無理なことで、やむなくちょっと面白い発言をひろってきて、それで議論がかなり真剣に戦わされたことを推察してもらいたいと思うのです。

東条首相が長々と、自存自衛のために対米英蘭戦争は避けられないとしゃべったあと、東郷外相がこれまでの日米交渉の経過を綿密に語り、突きつけられた「ハル・ノート」のショックを隠さずに吐露し、こう結論していいます。

「アメリカがこの最終的通牒を改めないかぎり、もはや交渉は不可能であります。すなわちアメリカは、対日一戦を辞せずとの考えであると判断せざるをえません」

非戦論者である東郷のこの絶望的な感想を聞いた上で、状況はそこまで危機的になっているのかと一同はア然としつつ、質疑応答に入ります。

といっても、情報の量も深さも一般民衆と同じ程度しかえていない重臣たちに、多くを望むのは無理ということになります。そこでさっきいったとおり、真剣な討議から興味深い発言をいくつかひろいだしてみることになるわけなのです。

若槻「わが国民は精神力において心配なきも、物資の方面においてはたして長期戦に堪えられるや否や、慎重に研究する必要がある。政府の説明では大丈夫とのことであったが、これを私は心配している」

岡田「今日は真に非常の事態に直面せるものと思う。物資の補給能力について十分成算ありや、はなはだ心配である。とくに石油である。先刻来、政府はいろいろと説明しているが、私はどうしても納得できないのであります」

米内「資料をもちませんので具体的な意見は申しあげられませんが、俗語を使いまして恐れ入りますが、ジリ貧を避けんとしてドカ貧にならないように、十分のご注意を願いたいと思います」

平沼や近衛も林も発言しているが、憂いの言葉をいうのみで、とくに書くに値いしない。米内の「ジリ貧を避けんとしてドカ貧にならないよう」という言葉が、とくによく知られていますが、総合すれば、参謀本部の覚書が記していることが、いちばん要領をえているものといえるかと思います。

「大体の意向は、対米忍苦現状維持を主張するもの2/3。対米開戦やむなしとするもの1/3にして、積極開戦は"ドカ貧"に陥るものにして、現状維持は"ジリ貧"なり、"ジリ貧"中になんとか策を回すを適当なりと主張するものなり。広田、林、阿部以外は現状維持を進言し、この現状維持論にたいしては総理はいちいち反駁説明し、お上(天皇)もご納得ありしものと察せられる。積極論は広田、林、阿部にして、特に阿部は強硬に主張せり」

ここでも"ジリ貧"と"ドカ貧"の言葉が使われているけれども、まことに耳に入りやすい俗語であるだけに、その後も利用されることが多く、11月29日の重臣会議といえば、この言葉によって代表されてしまっているわけです。

ところが、じつは、口八丁手八丁の東条首相が重臣を相手に、それに責任上からほかの閣僚の応援をうけて、長時間にわたって滔々とやっている。これに若槻、岡田なんかが負けるものかと反論しているのです。

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