歴史街道 » 本誌関連記事 » 太平洋戦争は避けられなかったのか?「日米開戦もやむなし」に至らせた“極秘会議”とは

太平洋戦争は避けられなかったのか?「日米開戦もやむなし」に至らせた“極秘会議”とは

2021年08月14日 公開
2022年07月07日 更新

半藤一利(作家)

 

若槻・東条の論戦

ジリ貧、ドカ貧といった大ざっぱな俗語で、この会議の万事をすましてしまうのは、ちょっと残念なものがあるのです。

それに、昭和史研究家の数は多いのに、そのことを伝える資料をとりあげる人があまりいなかった。いや、ほとんどゼロにひとしいのです。それで、この懇談会での論戦は、いままで世に出ることなく眠っていた、といっていいのです。

開戦時の外務省アメリカ局長山本熊一の遺稿『大東亜戦争秘史』という小づくりの本がそれで、とくに若槻と東条の真っ向からの論戦は、きちんと後世に語り継いでいかなければならないものと思えるのです。

興味深いところを引用しながら(ときにわかりやすく書き直しながら)少しく感想を交えつつ、わが国の戦争決意にともなう問題点をいくつか書いてみたい。少々むつかしい話になるかもしれませんが。

政府側の説明を聞いたあとの討議で、重臣のなかの長老若槻礼次郎がまず口火を切り、政府説明をただした上で、つぎのようにいうあたりから論戦がはじまります。

若槻「話がまとまらぬからとて、ただちに戦争とはなるまい。日米交渉がいろいろ紛糾しているのは、むしろ日本軍の南部仏印進駐のような最近の事態の発展に起因しているのではないか。また、日独伊三国同盟問題はどうなのだ」

東条「米国はわが仏印進駐措置を真にわかっていない。さらに三国同盟についていえば、日本は米国参戦阻止の目的で結んだが、米国は太平洋の安定を図り大西洋に進まんとする意図があるらしく、したがって同条約の死文化を希望している」

ここで解説を加えますと、南部仏印進駐が対日全面禁油というアメリカの強硬政策を呼んだので、真意のわかっていないのは日本のほうであったのです。

また、三国同盟を結んだのは、その効果によってアメリカがヨーロッパの英独戦争へ参加することをさし控えざるをえないであろう、せめて本年いっぱい米参戦をとどめうれば、その間にナチス・ドイツは英国を屈服させて、ヨーロッパ戦争の決着がつくであろう……というのが、昭和15年(1940)9月の時点での同盟推進派の論理でした。

しかし、それから一年余が経って、結果的には、イギリスの屈服はなく、この近視眼的な戦略観の誤りは明白になっていました。

それなのに、16年11月末になってもまだペラペラと弁舌の達者な東条は、この理屈を主張しているわけです。三国同盟がいわば、戦争の導火線に火をつけた政策であったことが、東条にはわかっていないのです。何たることか、というほかありませんね。

 

「理想のために国を滅ぼしてはならない」

若槻「それでは、交渉が断絶したならば、ただちに戦うつもりなのか」

東条「自存自衛と八紘一宇、すなわち東亜諸民族をして、それぞれがその所を得しむる新秩序の建設を妨害せられては、大日本帝国としては起たざるをえないのである。今日まで外交交渉打開につとめて大いに自重してきたが、しかし、いまや武力を発動しても営々たる正義の行動たるに恥じないのである」

解説その二。あらためていうまでもないことなんですが、日本の対米英戦争の目的を全世界に明示したものは「開戦の詔勅」です。もちろん、日本国民もこの詔勅を聞かされ読まされて、開戦にいたるまでの経過をはじめてはっきりと理解したのです。

ただし、詔勅には「帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ」と自存自衛のみが記されていて、もう一つの、東条のいう「東亜新秩序建設のため」のほうは詔勅ではずされているのです。

これはじつに奇妙なことなんです。わが日本が太平洋戦争に突入するために、政府と軍部のトップだけ6名が集まり、11月11日にひそかにつくられた「対米英開戦の名目骨子」があって、それが戦争目的の基礎になっているはずなのです。

それは、「一、帝国は今や自存自衛の為蹶然起って一切の障礙を破砕するの外なきなり。二、大東亜の新秩序を建設して永遠の平和を確立し、進んで世界平和に寄与せんとするは、帝国不動の国是であること」という二カ条なのです。

開戦の詔勅にはたしかに(一)はそのまま謳いあげられています。なのに(二)はスポンと落ちています。まことに奇妙なことでしょう。しかし、東条は重臣会議ではこの大東亜新秩序を力説しているのです。

そこで若槻がそのことをとりあげて、さらに突っ込んだのです。新秩序を建設してその盟主たらんと政府はいっているが、そんな夢みたいなことのできる国力はないと、若槻はいい切るのです。

若槻「理論より現実に即してやることが必要でないかと思う。力がないのに、あるように錯覚してはならない。したがって日本の面目を損じても妥結せねばならないときには妥結する必要があるのではないか。たとえそれが不面目であっても、ただちに開戦などと無謀な冒険はすべきではない」

東条「理想を追うて現実を離るるようなことはせぬ。しかし、何事も理想をもつことは必要である。そうではないか」

これに若槻は強く反駁していいます――「いや、理想のために国を滅ぼしてはならないのだ」

若槻さんのこの言葉はまことに正しいと思うのです。いつの時代にも通用するまことにいい言葉です。ところが、政府も軍部も、いわば我不関焉、そんなことは知ったこっちゃないと、一途に開戦への坂道を転げ落ちていきます。

できもしないことをさもできるものと夢みて、「いまなら勝てる!」と「理想」ではなく、「勝手な判断」で対米英戦争へと進みはじめたのです。そして、この国を滅ぼしてしまいました。

 

歴史街道 購入

2024年5月号

歴史街道 2024年5月号

発売日:2024年04月06日
価格(税込):840円

関連記事

編集部のおすすめ

戦犯として処刑された東条英機の遺骨はどこに?

河合敦(歴史作家/多摩大学客員教授)

永田鉄山、石原莞爾、武藤章…陸軍の戦略構想から見える「対米戦」への分岐点

川田稔(名古屋大学名誉教授・ 日本福祉大学名誉教授)

山本五十六は、なぜ真珠湾奇襲攻撃を決断したのか

戸高一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)
×