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「近衛声明」直前まで涙の訴え...“日中戦争”を止めようとした陸軍中将の実像

2021年08月12日 公開
2022年07月07日 更新

岩井秀一郎(歴史研究家)

岩井秀一郎

戦前に開催予定だった東京オリンピックは、日中戦争の最中で中止となった。

なぜ、日中戦争は泥沼化したのか。その背景には、両国の衝突を生んだ構図や、日本軍の戦略的な問題点など様々な要因があるが、ここでは、日中戦争の不拡大に奔走した陸軍軍人を通して、泥沼化の実相に迫ってみよう。

※本稿は、『歴史街道』2021年9月号の特集「日中戦争・失敗の本質」から一部抜粋・編集したものです。

岩井秀一郎 歴史研究家
昭和61年(1986)、長野県生まれ。日本大学文理学部史学科卒業。
デビュー作『多田駿伝 「日中和平」を模索し続けた陸軍大将の無念』で、第二六回山本七平賞奨励賞を受賞。著書に『永田鉄山と昭和陸軍』『渡辺錠太郎伝 二・二六事件で暗殺された「学者将軍」の非戦思想』『一九四四年の東條英機』がある。

 

中国との"和平交渉継続"を訴え続けた男

昭和13年(1938)1月16日、大日本帝国の総理大臣だった近衛文麿は、一つの重大な声明を発表した(引用資料はカタカナをひらがなに、旧字体を新字体に直し、適宜読点を入れた。以下同)。

「帝国政府は、南京攻略後、なお支那国民政府の反省に最後の機会を与うるため、今日に及べり」

「国民政府」とは、当時日本と実質的な戦争状態にあった中華民国政府のことであり、そのトップは蔣介石であった。

声明は続けて「しかるに、国民政府は、帝国の真意を解せず、みだりに抗戦を策し、内、民人塗炭の苦しみを察せず、外、東亜全局の和平を顧みるところなし」と非難する。そして帝国政府は「爾後、国民政府を対手とせず」と、蔣介石率いる国民政府との和平交渉を拒絶する態度に出た。

実はこの声明発出までには、紆余曲折があった。前年昭和12年(1937)7月の盧溝橋事件以降、日中戦争の拡大を防ごうと、多くの人々が尽力した。声明発出の前日、すなわち1月15日に行なわれた大本営政府連絡会議においても、激しい議論が交わされた。

とは言っても、連絡会議で和平交渉の継続を積極的に主張し、奮闘したのはたった一人と言ってもいい。その人物こそ、参謀本部次長、陸軍中将の多田駿である。

多田駿は、陸軍でも屈指の「支那通」(中国通)として知られた軍人である。

明治15年(1882)2月、元仙台藩士多田継の子として生まれた。仙台陸軍地方幼年学校の第一期生から、中央幼年学校、士官学校へと進み、卒業後に少尉として日露戦争に従軍する。

大正2年(1913)には陸軍大学校を卒業。それからの多田は、中国に縁のある職場を多く経験する。大正6年(1917)には中華民国の陸軍大学校教官として北京へと赴き、満洲国成立後は軍政部最高顧問として満洲国軍の育成を助けた。

そして昭和10年(1935)、天津の支那駐屯軍司令官に任じられた。昭和11年(1936)には中将に進級して善通寺の第十一師団長となり、翌年8月、参謀本部次長として中央へと赴いた。

多田は、少年の頃から中国の文化に敬意を払い、仏教の思想に憧れを持っていた。戦後記した手記には「予の人生観又は世界観とも言うべきものは仏教陽明学等の影響を受け万物一体の思想なり」とある。陽明学とは「知行合一」(知る事と行なう事は同じ)を中核に据える、中国明代の思想家王陽明の起こした学問のことだ。

仏教では、特に禅僧の良寛和尚に傾倒していた多田を、「軍人というより文化人」(楢橋渡『激流に棹さして』)とみる人もいた。

 

戦線不拡大への奮闘

さて、参謀次長として中央に赴いた多田であるが、この直前、中国では大事件が起こっていた。盧溝橋事件である。

北京の西南方にある石橋、盧溝橋付近で偶発的に起きたこの事件は、当初は局所的な衝突に過ぎず、すぐに解決するとみられた。

しかし、当時日中の間は険悪で、ささいな事件が軍事衝突に発展しかねなかった。事実、盧溝橋の後も廊坊事件や広安門事件といった小競り合いは続き、ついに8月9日、海軍陸戦隊所属の大山勇夫中尉らが上海で残酷な方法で殺害され、事態は拡大の様相を見せ始める。

日本側は犯人の処刑などを要求したが、蔣介石は応じず、逆に第九集団軍に上海包囲を命じた。さらに14日になって第三艦隊や領事館が爆撃されると、慎重派だった米内光政海軍大臣までも強硬な態度をみせる。閣議では「斯くなる上は事態不拡大主義は消滅し、北支事変は日支事変となりたり」と言い放つ。

当時、参謀総長は皇族、次長は病臥中で、実質的な責任者は第一部長の石原莞爾だったのだが、石原は「上海出兵は海軍が陸軍をひきずって行った」と述べている(日本国際政治学会 太平洋戦争原因研究部編『太平洋戦争への道 第四巻 日中戦争〈下〉』)。

とはいえ、強硬論は参謀本部内にもあり、石原は苦心していた。そうした中、病気の前任者に替わって次長となったのが、多田であった。石原の推挙とも言われている。

多田の姿勢は明確だった。例えば8月18日、昭和天皇のご下問に対して「上海を速やかに確保することで敵の戦意をくじく」という旨の奉答案が陸海軍同意で作成されたが、多田一人が、「重要問題であるから一夜熟考したい」として即答を避けた。

翌日「原案では、かくの如くすれば容易に支那をして、戦意を喪失せしめ得るであろうとの印象を受けるので、奉答として稍〻適当でないところがある。むしろ場合によっては、相当長期に亙るの覚悟を要する旨言上せられる方が、実際としてよいであろう」と意見を出したのである(今岡豊『石原莞爾の悲劇』)。

ここから多田の、和平のための「戦い」が始まる。間もなく石原は強硬派との軋轢から関東軍参謀副長へと転任するが、和平への道筋はつけていた。それこそが、「トラウトマン工作」である。

駐華ドイツ大使オスカー・トラウトマンを通じて行なうこの工作のため、石原らは当時参謀本部の裏手にあったドイツ大使館付武官オイゲン・オットに連絡をとっていた。直接の連絡担当者は、参謀本部第二部の馬奈木敬信中佐である。

多田はこの工作に大きな期待をかけた。「わが方の態勢のよい時機をとらえ、敵将の面子をたて、あまり強過ぎない条件をもって是非とも和平を実現したい」(今井武夫、寺崎隆治ほか『日本軍の研究・指揮官(下)』)。

多田は、海軍とも和平について相談していた。9月13日には軍令部次長の嶋田繁太郎を訪ねて、10月中旬には敵に大打撃を与えられるだろう、ほぼ同時に北支那方面軍も敵を撃破できるから、この時こそが講和条約の絶好の機会だ、と述べている。

さらには、近衛首相が領土については野心がないと表明しているが、中国はそれを疑っている、との懸念を述べている。多田の細かい配慮がうかがわれる。

上海戦は苦戦しつつも、11月11日には「完全占領」が宣言された。この戦いの後、参謀本部の河辺虎四郎第二課長が、現地軍司令官との打ち合わせに赴いている。

多田はこれ以上の戦線拡大を認めなかったが、中支那方面軍司令官の松井石根大将は南京攻略の必要性を強調し、武藤章参謀副長も南京が落ちれば敵は降伏する、と強気だった。

また、河辺が視察中の多田の日記には「中支那の蘇州攻略後なお直進せんとせるため、これを止めんとす」とある。しかし「指示を出さんとせしも、一課長、有末 (次【やどる】)等の意見にて、明日河辺大佐の帰るまで保留す」と、中支那方面軍の進撃を止めようとしたところ、部下たちに説得されたことが記されている。

この間もトラウトマン工作は続けられた。連絡係だった馬奈木は10月17日、オットと共に日本を立ち、上海へと向かった。二人は、ここでトラウトマン駐華大使と直接会談する。馬奈木はトラウトマンに和平条件を提示するが、トラウトマンは日本側の条件が予想以上にゆるやかだと驚いたという。

しかし、蔣介石は日本側の条件を受け入れなかった。11月にブリュッセルで開かれる9カ国会議が、日本へ制裁を科してくれることを期待したのである。

だが結局、9カ国会議は制裁を決定することができなかった。失望した蔣は12月2日、トラウトマンと会見し、「日本側の要求は前と同じか」と問いただす。トラウトマンは主要事項は大差ないと答えると、蔣は「ドイツが日支間の調停者となること」などの条件を出し、和平交渉に応じる気配を見せた。

しかし、今度は日本政府が応じなかった。広田弘毅外相は軍事的な成功を背景に、以前の条件で国民が納得するかわからない、として即答を避けた。そして12月13日、南京が陥落する。

この後、新しく決定された和平の条件は、日本への賠償金支払など、かなり厳しいものとなった。日本側提示案に対する回答期限は来年(昭和13年)1月15日とされた。

しかし、期限直前の1月13日に蔣からもたらされた返答は、「曖昧な点が多いので、具体的な説明を求めたい」というものだった。広田はこれを、「遅延策だ」とみなしてしまう。

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