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「ライトノベルから歴史小説まで」多ジャンルを横断する不世出の作家・冲方丁の軌跡

2021年09月23日 公開

友清哲(フリーライター)

冲方丁
冲方丁(うぶかた・とう)氏

一般文芸の読み手からすれば、作家・冲方丁が登場したのはデビュー作の刊行時ではなく、SF大作「マルドゥック・スクランブル」三部作がリリースされたタイミングであるに違いない。あまりにも唐突に出現した才能に対して当時、多くの書評家が「冲方丁って誰?」「これ、なんて読むの?」と戸惑っていたものである。

それも当然。冲方丁の出自はいわゆるライトノベルの領域であり、1996年に『黒い季節』で第一回角川スニーカー大賞・金賞を受賞したことで世に出た作家だった。今でこそライトノベルからの越境組は珍しくないが、なにしろ当の本人がデビュー作以降、プロの書き手としての立場になかなか馴染めず、寡作に甘んじていた時期である。

二作目『ばいばい、アース』を発表するまでに4年半もの年月を擁し、『マルドゥック・スクランブル』発表時点で既刊作品はわずか五作品。すでに7年のキャリアがあったことを踏まえれば、これはライトノベル作家としてはかなり少ない活動量と言える。

しかし、25年の時を経て振り返ってみれば、こうした沈黙の時間は、後に領域に縛られない圧倒的な活躍を見せる大作家を育む、胎動の時期であったことがよくわかる。25年の節目を機に、その足跡を追っていこう。

※本稿は『文蔵』2021年10月号より一部抜粋・編集したものです。

 

後のSF作品にも通底する初期タイトル

微睡みのセフィロト
『微睡みのセフィロト』

前出のデビュー作、1996年に発表された『黒い季節』は、ライトノベル作品としては珍しい、裏社会を舞台とする異色作だ。内輪揉めを抱える極道たちと、陰の気を操る異能者たち、それぞれの世界の抗争が重なり合う様子を描いたエンタテインメントで、その壮大な世界観にはすでに大器の片鱗が感じられる。

犬の顎を持つ男や白髪&赤眼の美女など、イマジネーションをフル稼働させたキャラクター造型もさることながら、陰陽五行説や暦学に関する豊かな知識がふんだんに生かされているのは特筆すべき点だろう。

言わずもがな、後に大いに冲方丁の名を世に知らしめることになる『天地明察』(後述)に通底する題材が、この時点からすでに見て取れるのだ。

続くデビュー二作目、『ばいばい、アース』が発表されたのは、2000年のこと。当初は300枚程度(原稿用紙換算)に収まる予定だったというこの作品、仕上がってみれば10倍の分量に膨れ上がり、分厚いハードカバーの上下巻で刊行されるという、早くもライトノベル作家の域を超越したキャリアを踏んでいる。

ボリュームのみならず、ここで創出された舞台もまた重厚だ。欧風でも和風でもない、我々のまったく知らない異世界をゼロベースから構築し、そこに生きる人種、価値観、社会制度も完全なるオリジナル。

さらに「月瞳族(キャッツアイズ)」や「飢餓同盟(タルトタタン)」などファンタジックな造語が頻出するため、油断していると振り落とされてしまいかねない舞台設計だが、いかなる種族の特徴も持たない少女ベルが自分のルーツを求めて旅する様子は、冒険譚として実に読ませる。

あえて深読みするならば、自分は何者であるかを知るために悩み、苦しみ、そして戦うベルの姿は、創作者としての著者の成長痛そのものにも感じられる。だからこそキャリア初期の大作として、今こそ読み返す価値のある一作と断言しておきたい。

そして冲方丁の25年を語る上で、三作目の『微睡みのセフィロト』は思いのほか重要な作品だ。

超次元能力を備えた新人類・感応者(フォース)と従来の人類・感覚者(サード)の大戦争から、17年後の世界を描いたこの物語。世界政府の管轄下にある世相はまだまだ不安定で、世界政府準備委員会の要人が襲撃され、300億個の肉片に切り刻まれてしまう事件が起きたことで、世界は一気に緊迫する。

捜査官パットが感応者の少女ラファエルとともに犯人を追う様子は、ハードボイルドタッチで小気味よく、それでいて一読すれば、その世界観の随所に「マルドゥック・スクランブル」シリーズに通底するモチーフが点在しているのが興味深い。

捜査の過程では事件の真相のみならず、ラファエルの意外な出自やパットの過去が明らかにされるなど、様々な要素が惜しみなく投じられているのも印象的で、その作風は紛れもなく今日の冲方作品に通ずるものだ。

 

『マルドゥック・スクランブル』の衝撃

オイレンシュピーゲル
『オイレンシュピーゲル』

こうしたライトノベルやSFの土俵で筆を揮う一方で、漫画原作やゲームシナリオの分野でも活躍していた冲方丁。ともすれば創作周りの“なんでも屋”として小さくまとまりかねないリスクもあったはずだが、ここで到来するのが『マルドゥック・スクランブル』というターニングポイントである。

「TheFirstCompression圧縮」「TheSecondCombustion燃焼」「TheThirdExhaust排気」の全三巻で展開されるこの物語については、古くからのファンにはもはや説明不要だろう。

舞台は未来都市。賭博師シェルの奸計により、爆炎にのまれて絶命寸前の状態に陥った少女娼婦バロットだったが、科学技術により高度な電子干渉能力を備えた身体に生まれ変わる。バロットは人語を操る金色のネズミ型万能兵器・ウフコックとともに、シェルの犯罪を追うことになるが、彼女たちの前に立ち塞がった捜査官ボイルドは、圧倒的な戦闘力を持つ難敵だった。

サイバーパンクを意識した古典的なSFの妙味と、斬新かつ独特な世界観により、あっという間に冲方丁の名を世に知らしめたこの作品。2003年に授与された日本SF大賞は、一般文芸の世界へ本格的に侵攻するための、通行手形のようなものだったかもしれない。事実、後に筆者のインタビューに対して本人はこう語っている。

「アニメ『蒼穹のファフナー』にしても、業界慣習の壁を越えて制作現場に入り込めたのは、SF大賞の看板がやはり大きかったです。小説にしても、受賞以前よりも格段に企画が通りやすくなりましたし」(宝島社文庫『冲方丁公式読本』より)

その言葉の通り、『マルドゥック・スクランブル』以降、いっそうアニメやゲームの世界での活動機会が増えた冲方丁は、ライトノベル作家としての最後の挑戦に着手する。2007年からスタートした「シュピーゲル」シリーズである。

シリーズはまず、同年一月に『オイレンシュピーゲル』と『スプライトシュピーゲル』が同時にスタート。身体障害児に対するサイボーグ化が許された架空の未来都市を舞台に、人種差別や貧困問題、テロリズムなど、およそライトノベルらしからぬ題材に踏み込んだ物語で、何より前者は角川スニーカー文庫、後者は富士見ファンタジア文庫と二つのレーベルにまたがってそれぞれ四部作で展開される点がいかにもチャレンジングだ。

『オイレンシュピーゲル』シリーズでは、機械の手足を得た三人の少女が警察組織の一員として凶悪犯罪者に立ち向かい、『スプライトシュピーゲル』シリーズでは電子の羽根を得た三人の少女が、やはり悪の殲滅を目指して戦う。さらにはこの両シリーズは、最終章『テスタメントシュピーゲル』シリーズ(角川スニーカー文庫)で合流し、物語を収束させることになる。

なお、冲方丁はあらかじめこのシリーズの完結をもってライトノベルからの撤退を表明しており、以降は一般文芸の領域で、この時点では想像もつかなかった活躍を見せることになるのだった。

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