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アメリカはあくまで仮想敵だった? 日米開戦を止められなかった「海軍の誤算」

2021年12月04日 公開

戸髙一成(呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)

 

真珠湾攻撃の意図とは

昭和16年(1941)の南部仏印進駐は、東南アジアに権益をもつ、アメリカ、イギリス、オランダを刺激することに繋がった。

南部仏印進駐から日米開戦までの間に、海軍省は、日米交渉で衝突を回避することを原則として動いていた。海軍出身の野村吉三郎がアメリカに行って交渉し、緊張緩和を狙ったのはその一環である。

一方で軍令部は、戦争準備を進めていた。ここに二重構造がある。日米交渉が妥結し、石油や鉄の輸入が認められて一息つけば、それはそれでいい。仮に交渉がうまくいかなくても、その間に戦争準備を整えられるので、時間稼ぎになる。

軍令部作戦課長の富岡定俊が軍務局長の岡敬純に「開戦時期を昭和17年の3月ころに延ばせないか」と問われて、「昭和17年3月まで延ばしては戦はできない」と答えている。言い換えれば「昭和17年3月までならばできる」ということである。海軍としては、このような二つの目的で動いていたと思われる。

もっとも日米開戦は、富岡の想定より3カ月も早まった。周知のように、昭和16年12月8日、日本の機動部隊がハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、戦争の火蓋が切られる。この真珠湾攻撃作戦に対して、軍令部は危険すぎると大反対した。前述したように遠洋作戦を行なう艦隊ではないのだから、それは当然のことだった。

ところが連合艦隊司令長官の山本五十六は、頑としてこの作戦を主張し、最後は「山本にそれだけの自信があるのなら任せよう」と、永野修身軍令部総長が認めた話は有名である。無謀ともいえる真珠湾攻撃に、なぜ山本はそれほどまでにこだわったのか。私は一つの「穿った見方」を考えたことがある。

米内光政、井上成美とともに、「枢軸に入ったら、英米と対立する」という常識的な判断に基づいて、三国同盟に反対した山本は、「アメリカと戦争したら負ける」と考えていた。だから、本心では戦争をやりたくない。

しかし、連合艦隊司令長官になった時点で、命じられたらやらざるを得ない立場に置かれた。連合艦隊司令長官に、戦争をやる、やらないを決定する権限はないのである。では、「やれ」といわれたらどうするか。当然、やるしかないのだが、山本はそのときが来るまで、可能な限り「抵抗」したようにも見受けられる。

たとえば開戦前に、「零戦千機、中攻(陸上攻撃機)千機がなければアメリカと戦えない」といっている。当時、それだけの数の飛行機を集めることはできないし、だいたいパイロットがいない。千機の零戦を揃えたところで、すべてが戦力になるとは限らないのだ。

こんな常識外れの要求をしたのは、「できない」といわれたら、「それなら戦争はできません」というつもりだったのではないだろうか。そして、その最後の抵抗が、遠洋作戦を想定していない艦隊による「真珠湾攻撃」であり、却下されたら「それなら戦争はできません」と応じようとしたとも考えられるのである。

 

秋山真之の言葉が教えてくれること

海軍の姿勢は「政治に関わらず」であり、政治の決定には黙って従うのが基本である。その中で、開戦の決定に関わるのは、内閣の一員である海軍大臣ただ一人だ。開戦検討時の海軍大臣・及川古志郎は、近衛文麿首相に一任し、海軍としての判断を示さなかった。

このことについて、戦後に海軍関係者が集った「海軍反省会」で激論になった。「海軍大臣として、いまの状況では戦争ができませんというべきなのに、大臣の任務を放棄した」という意見と、「シビリアンコントロールで、文官の長である首相に判断を任せたのは正しい」という意見との間で大いにもめたのだが、やる、やらないの判断以前に、海軍としての現状を丁寧に説明すべきだったと、私は思う。

日露戦争で連合艦隊の参謀を務めた秋山真之は、「戦争は、勝った戦いを戦うのだ」といった。どういうことかというと、戦争前に外交的、財政的、軍事的な条件を整え、完全に勝った態勢で戦争を始めるということである。

つまり戦争前に、相手が「恐れ入りました」と、妥協してくるような外交交渉をする。それでも妥協しない場合に、万全の態勢を整えて発動するのが戦争だと、秋山は教えているのである。

太平洋戦争は、外交で負け、財政で負け、戦備で負け、と、すべてに負けた挙げ句に、戦争を発動した。秋山の言とは逆に、「負けた戦いを戦った」といっていい。どんなに艦隊が優秀で、兵士が勇敢でも、既に負けた戦いに勝つことはできない。

日米戦争は、主として海軍の戦いである。開戦の決定は「お任せします」で済ませられない問題だった。しかし、弱腰の発言をしにくい空気を乗り越えて、「できません」といえなかったのが海軍の弱点であり、極端にいえば敗戦の原因でもあるだろう。海軍は開戦を受け入れた瞬間に、負けたといってもいい。

日本海軍は日本の名刀であった。しかし、「名刀は、抜かれざることを以て名刀である」ことも知らなければならない。この視点を失っていたのが昭和の海軍だったのではないだろうか。

 

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