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最新研究!真珠湾への奇襲はどこまで把握されていたのか

2021年12月08日 公開

小谷 賢(日本大学危機管理学部教授)

米海軍はどこまで暗号を解読していたのか

修正主義者がよく引き合いに出すのは、米海軍が日本海軍の作戦暗号を密かに解読して、そこから情報を得ていたというものだ。

確かに日本の外交暗号「パープル」は、1940年9月20日に米陸軍の暗号解読組織によって解読され、その方法は後に英国情報機関にも伝授されている。この暗号解読の成果によって、ローズヴェルトは事前に日本との戦争を確信するに至った。

ただし日本海軍は外務省に具体的な攻撃時期や目標を伝えていないので、いくら外交暗号を解けたとしても、肝心の「真珠湾」という言葉はどこにも出てこない。この時、ローズヴェルト自身も具体的な地名としては「インドシナ」としか発言していないことから、日本軍の攻撃目標は東南アジアだと考えていた可能性が高い。

それでは海軍の暗号は解けたのか、という疑問が浮上してくるが、1941年12月の段階で米海軍の暗号解読組織は日本海軍の作戦暗号(JN‒25)をそれ程解けていなかったものと推察される。

さらに日本海軍は開戦に備えて、12月4日に暗号の乱数表を更新しており、これが米側に混乱をもたらしていた。米海軍暗号解読組織(OP‒20‒FG)の課長であったローレンス・サフォード中佐は、12月1日以降、日本海軍の暗号が読めなくなったと記している。逆に言えばそれまではある程度読めていたとも理解できるが、いずれにせよ日本海軍もその暗号の中で「攻撃目標は真珠湾」などと打電していないため、そこから真珠湾攻撃を予測することは困難である。

他方、米海軍が日本海軍の動静を把握するのに有効な手段は、方位測定や通信解析である。広大な海域において艦船同士は無線によってお互いの連絡を取り合っているため、この無線通信を地上基地で傍受することで、艦船の現在位置を特定できる。

米海軍は連日、日本海軍の艦艇の位置を方位測定によって監視しており、その動静は逐一、ハワイの太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメル大将に報告されていた。そのため、もしハワイに向かう日本海軍機動部隊が電波を発すれば、その動きは米側で手に取るようにわかる。

もちろん日本海軍の方も、無線通信の危険性はよく認識していたため、真珠湾への作戦行動中には無線封止を実施している。

問題は、果たして機動部隊がこの無線封止を厳格に守っていたかどうかである。もし何らかの事情で部隊が電波を発した場合、それは米海軍に探知されたかもしれないのだ。

この点で話題になるのが、12月2日に機動部隊から脱落した、伊二十三潜水艦の捜索である。戦後、関係者らの間でこの時に一度だけ無線通信を使用した旨の話が出ているが、真相はよくわからないままであった。

この話に決着をつけたのが、2007年に米国メリーランド大学で発見された機動部隊の戦時日誌である。この日誌は真珠湾に向かう艦隊の通信記録が克明に記録されており、12月2日の記録を見ると、確かに伊二十三潜水艦が見当たらない旨が記録されている。しかし無線が使用された形跡はなく、さらに同日の米海軍の通信解析記録にも、連合艦隊の通信を傍受したという記述は見当たらない。

つまり無線封止は厳格に守られていたということだ。その後、伊二十三潜水艦は無事、連合艦隊に再合流を果たしている。

逆に日本海軍は偽電工作を行ない、連合艦隊所属の艦艇が日本近海にいるように装っていた。鮫島素直軍令部通信課長の回想によると、この時、瀬戸内海や九州方面の艦隊や基地航空部隊の間で偽電を打ち合い、他の艦艇に空母「赤城」と同じ通信機を載せ、あたかも日本近海で訓練中、もしくは南下中であるように見せかけている。

米側の通信解析記録を見ると、機動部隊が単冠湾を出撃した後も、ハワイに向かっているはずの空母「赤城」や戦艦「比叡」が日本近海で通信を発している様子が記録されている。

さらに、日本海軍は12月1日をもってすべての艦艇の呼び出し符号を変更したため、米側は一時的に日本海軍の艦艇、特に空母部隊を見失うことになる。不安を感じたキンメルは翌日、情報参謀のエドウィン・レイトン中佐を呼び出して状況を説明させたが、レイトンは確たる情報はないものの、空母は日本近海にいるはずだ、と答えている。それに対してキンメルは、「(日本海軍の)やつらがダイヤモンドヘッドの周りをうろついているかもしれんのに、それもわからんのか」と有名な台詞を発している。

結論としては、米海軍も暗号解読や方位測定によって日本海軍の真珠湾攻撃に関する兆候を捉えることはできず、ハワイの米太平洋艦隊は暗中模索の状況に置かれていたと言える。
 

英国が密かに掴んでいた日本の情報

1991年に、英国のジェイムズ・ラスブリッジャーと元英国政府暗号学校(GC&CS)やその支部、極東統合局(FECB)で暗号解読官を務めたエリック・ネイヴによる『真珠湾の裏切り』が出版されている。この著作は米国人によるものとは一線を画し、実は英国の情報機関が真珠湾攻撃の兆候を掴んでチャーチル首相に伝えたが、首相は米国の参戦を決定的にするために敢えてローズヴェルトに伝えなかった、という筋書きである。

それでは英国側がどうやって察知したのかというと、GC&CSとFECBが日本の外交暗号「パープル」と海軍作戦暗号の一部から開戦時期を特定し、後は推論によって真珠湾という攻撃目標を導き出したという。

確かにパープルを解読できていれば、1941年11月後半から12月にかけて、日本が各国の日本大使館に暗号機の破棄を命じ、米英との関係が危機的状況にあると通知していたため、戦争が近づいていることを予測することは可能ではある。しかしどうやって真珠湾という攻撃目標を特定できたのかは、推測の域を出ない。

私自身、もう20年近くGC&CSやFECBの関連資料に目を通しているが、未だに真珠湾を特定するような記録を見たことがなく、むしろ2004年にはその逆を示唆する資料が英公文書館で公開されている。

それは、1949年にGC&CSの暗号解読官であったナイジェル・ド・グレイが、チャーチルへの説明資料として作成した「真珠湾の証拠」という部内文書であり、ここでド・グレイは米英が真珠湾を予測できたのか、という問題を部内資料を基に検証している。その内容は、米英双方とも日本外務省のパープル暗号の解読記録を頼りにしており、収集していた情報にはそれ程大差はなく、恐らくはどちらも真珠湾攻撃を予測することはできなかっただろう、というようなものである。

 

以上、概観してきたように、米国、さらには英国の日本に対する情報収集はそれなりに機能していたものの、現時点では彼らが真珠湾攻撃を予測できたとは言い難い。

もちろん、当時の日本海軍が北太平洋の天候に関する情報を集めていたことや、タンカーを徴用していたという情報があれば、日本海軍が北太平洋を長距離移動する計画を立てている、ということから真珠湾が導き出されるのかもしれないが、これは歴史の後知恵に過ぎないだろう。

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