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玉音放送後も止まぬソ連の攻撃...“内蒙古の在留邦人”を守り抜いた陸軍中将・根本博

2022年06月24日 公開
2022年06月28日 更新

水島吉隆(近現代史研究家)

水島吉隆 根本博

昭和20年(1945)8月15日。中国北部の内蒙においても、昭和天皇が「終戦の詔書」を読み上げた玉音放送が流れたが、ソ連軍は軍事侵攻の手を緩めることはなかった。

日本が受諾したポツダム宣言には「日本国軍隊の完全なる武装解除」という項目があったが、内蒙古・北京に取り残された在留邦人4万人の命を守るため武装解除を拒否し、ソ連と戦い続けた1人の男がいる。

「私は上司の命令と国際法規によって行動するが、わが部隊及び疆人、邦人の生命は私が身命を賭して守り抜く覚悟である」そう決断し、奮闘した陸軍中将・根本博の激闘の記録を紐解く。

※本稿は、『歴史街道』2022年7月号の特集「日本とロシアの近現代史」から一部抜粋・編集したものです。

【水島吉隆 PROFILE】昭和44年(1969)、神奈川県生まれ。 立教大学社会学部卒。出版社勤務、編集プロダクション「文殊社」所属を経て、 現在、近現代史を中心に執筆活動を展開。著書に『図説 満州帝国の戦跡』 『図説 日本の近代100年史』『写真で読む昭和史 太平洋戦争』などがある。

 

4万人の在留邦人の命を救った男

昭和20年(1945)8月15日、中国北部の内蒙古にも日本の敗戦を告げる玉音放送が流れた。

陸軍中将の根本博は、前年11月に蒙疆(山西省の北部と綏遠省・察哈爾省及び外蒙古を除く蒙古の大部分)を警備する駐蒙軍司令官に就任していた。

根本は司令部が置かれた張家口の放送局の一室で、幕僚たちとともに終戦の詔勅を聞いた。玉音放送が終わると、根本が蒙疆の民間人や軍人に向けて訓示を行なった。

「私は上司の命令と国際法規によって行動するが、わが部隊及び疆人、邦人の生命は私が身命を賭して守り抜く覚悟である」

司令部に戻ると、「勝手に守備地を離れたり武装解除の要請に応じた者は厳重に処罰する」と告げた。

張家口の北にある東西4キロメートル、南北1.5キロの丸一陣地前方ではすでにソ連軍との衝突が起きていたが、その守備隊に対しては「陣地に侵入するソ連軍を断乎撃滅すべし。これに対する責任は司令官たるこの根本が一切負う」と言い切った。

日本が受諾したポツダム宣言には「日本国軍隊の完全なる武装解除」という項目がある。終戦時、駐蒙軍は守るべき範囲の広大さに比して、ほんのわずかな兵力しか与えられていなかった。

それでも、ソ連軍の暴虐さを認識していた根本は、在留邦人4万人の命を救うために武装解除を拒否し、戦闘行為の責任はすべて自分が引き受けると表明したのだ。

この時、根本はすでに関東軍がソ連国境付近から総退却していることも無線を傍受して知っていた。熱河方面の守りも空白となり、蒙疆は背後からも危機にさらされていたのである。根本は何としても在留邦人を守り抜き、日本に無事、帰国させようと決意した。

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