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丸和繊維工業「海外生産・下請け体質から脱し、日本製の自社ブランドで高付加価値を」

2019年03月07日 公開
2022年10月25日 更新

【経営トップに聞く】深澤隆夫(丸和繊維工業社長)

 

2度の失敗を経て、「動体裁断」を取り入れた自社ブランドを立ち上げ

丸和繊維工業

 

 ――高付加価値の商品しか作らないとなると、売り方も従来と変える必要があったのではないでしょうか。

深澤 新しい販売先の開拓はずっと続けてきました。自社ブランドを立ち上げたのも、商品の付加価値をより高めるためです。

 ――その自社ブランドというのが、2011年に立ち上がったINDUSTYLE TOKYOですね。

深澤 INDUSTYLE TOKYOには『INDUSTYLE』という前身となるブランドがあって、それは2000年に立ち上げました。「INDUSTRY発信のSTYLEを生み出そう」という意味です。

 INDUSTYLEを立ち上げたきっかけは、ここ(丸和繊維工業の本社)のすぐ近くにある国際ファッションセンターが開催した勉強会への参加です。危機感を持った30社近い同業者がそこで学んだことは、「問題の原因は、外的要因もあるけれども、内部要因のほうが大きい。自分たちが下請け体質になっていることが問題であって、自分たちがもっと自立していかないといけない」ということでした。

 座学で終わらせず、その活動を実践していこうと、参加企業のうちの8社が立ち上がって「ファクトリー・エイト」というプロジェクトを始めました。それぞれが自社ブランドを持って、年2回、自分たちで展示会を開き、アパレル企業や小売り企業に販売するという試みです。アパレル企業や小売り企業の考え方を学んで、ディスプレイの仕方も含めて、どうしたら売れるのかの勉強もしました。

 そのときに当社も「ファクトリー・エイト」の一員となり、デザイナーと契約してINDUSTYLEを立ち上げたのですが、成功しませんでした。3年続けて、色々と身についたことはあるし、ネットワークもできたものの、商売にはなかなかならなかったのです。

 要因はいくつかあるのですが、一つは、アパレルを売る店舗では頻繁に商品を入れ替えなければならないのに、年2回の展示会で受注して、納品するだけでは、それに対応できなかったということもあります。

 商品自体は、従来は布帛しかなかった商品をニットに置き換えることで、面白いものが作れていました。ニットジャケットも、今では当たり前にある商品ですが、当時、当社が作ったものがハシリです。しかし、商品自体は面白くても、店舗での商品の入れ替えに対応できないため、アパレル企業が似たような商品を海外の安い製造業者に発注してしまうということが起きました。要するに、当社に「売る力」がなかったということですね。

 また、アパレル企業の下請けではなくなる代わりに、契約したデザイナーの下請けのようになってしまって、自分たちの想いで商品を作ることができませんでした。

 ――INDUSTYLEをやめたあとは、どうしたのですか?

深澤 3年でいったんリセットしたあと、1年後に別のブランドを立ち上げました。今度は、デザイナーを変えて、そのデザイナーとつながりのある企業の販売網に商品を流通させることにしました。その企業は小売店も展開していましたし、全国の専門店への卸もしていました。「売る力」がなかったという、前回の反省を踏まえたのです。

 ところが、前回よりもお金をかけて取り組んだのに、また失敗しました。原材料を仕入れるにも最低ロットがあるわけです。しかし、店舗からは最低ロットよりも少ないロットの注文が来て、それにも応えなければなりませんでした。それで、2~3年続けたものの、また撤退することにしました。

 この2回の失敗を経験して、もう一度自分たちの強みをしっかりと作らないとダメだなと痛感しました。マーケティング力については、社内にノウハウがなかったので、今、常務を務めている伊藤(哲朗氏)に入社してもらいました。もとは当社のお客様のアパレル企業にいて、その後、IT企業に勤めていた人物です。そして、パターン(洋服の設計図)や縫製については、他社に負けてはいけないと、さらに磨きをかけました。

 ――そうして立ち上げたのが、INDUSTYLE TOKYOなのですね。

深澤 INDUSTYLE TOKYOでは、「動体裁断」という技術を使っています。自社の強みを作るためには特殊な技術を身につけるべきだと伊藤から提案があって、取り入れた技術です。

 ――どんな技術なのでしょうか?

深澤 伊藤と昔から仕事で縁があった中澤(愈)先生が生み出した技術で、英語では4 dimension cutting system と呼んでいます。4 dimension(4次元)というのは、「3次元+動き」という意味です。

 平面の生地を立体の人間の身体に合うように裁断する「立体裁断」という技術が以前からあるのですが、立体裁断だけでは、立ち姿のシルエットが綺麗な服を作れる一方、動きにくい服になってしまうという難点があります。その問題を解消し、シルエットが綺麗で、しかも動きやすい服を作る技術が、動体裁断です。

 中澤先生も、もともと洋服を作る仕事をしていて、格好よく作ろうとすると動きにくくなってしまうという問題に気がついていました。そして、その問題を解消するための最高の素材は皮膚だと考えられたそうです。そこでいったん仕事を辞めて、解剖学を学ばれました。

 皮膚というのは伸び縮みするものだと思っている方が多いと思いますが、実は、そうではないんです。伸びるように感じるのは、皮膚ではなく、皺が伸びているだけ。だから、動きの多い部分には皺が多いというわけです。

 中澤先生は、皺の構造や皮膚の下にある細胞の配列などを研究して、動体裁断を生み出されました。当社は、2010年に中澤先生と契約をして、それから今日に至るまで、毎週、社内で講義をしていただいています。

 ――つまり、動体裁断で作ったシャツには、皮膚の皺のようなものがうまく入っているということですか?

深澤 そういうことです。皺に限らず、人間の動きやすさがどこから来ているのかを解析した結果が活かされていて、身体を動かしても捲れ上がったりしません。

 例えば、世界チャンピオンになったバーテンダーの方で、動体裁断のシャツを愛用していただいている方がいます。シェイクをしたりして身体を動かしても、服が引っ張られず動きやすく、、立ち居振る舞いも綺麗に見えるからです。

 ――2010年に宇宙へ行った山崎直子さんも、宇宙ステーションで動体裁断のシャツを着られたということですね。

深澤 動体裁断の勉強をしながら、「これで世界に打って出たいね」なんていう話をしていたんです。そんなときに、新聞に山崎さんが宇宙ステーションで着る船内普段着の公募が出ていることを、宇宙食を扱っている商社の方に教えていただきました。そこで、プロジェクトチームを組んで、挑戦することにしました。動体裁断のシャツは、無重力でも動きやすく、乱れにくいですから。

 締切り当日にようやくできあがって、つくばまで納品に行き、結果としてポロシャツが採用されました。スペースシャトルの打ち上げの際にはJAXAから招待状が届き、プロジェクトリーダーを務めた伊藤を代表で派遣しました。

 プロジェクトが成功し、パーティーを開いて「よかったね」と言い合っていたのですが、「いや、これは終わりじゃなくて始まりだぞ」ということで、INDUSTYLE TOKYOの立ち上げにつなげていったのです。

 

著者紹介

深澤隆夫(ふかさわ・たかお)

丸和繊維工業〔株〕代表取締役社長

1960年、東京都生まれ。83年、丸紅〔株〕入社。織物貿易部にて、大阪本社やサウジアラビアなどで勤務。91年、丸和繊維工業〔株〕入社。営業部長、副社長などを経て、2001年より現職。

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