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患者数2530万人!?「国民病」となった変形性膝関節症とは

2019年09月16日 公開
2023年02月24日 更新

桑沢綾乃(埼玉協同病院 整形外科部長)

 

階段を這うように昇っていた母が、会津旅行を楽しむように

 本記事の読者にとって、膝の痛みといえば、自身というよりも親の問題かもしれない。しかし、特に暮らしている場所が離れている場合、親が膝痛で歩けなくなるということは、深刻な問題になりかねない。ここでは、母親が78歳で人工膝関節置換術を受けた、埼玉協同病院のスタッフの女性に話を聞いた。

   *   *   *

 うちは実家が三重県で、父と母が老老介護の状態でした。母が膝の痛みを訴え、家からあまり出なくなり、洗濯物を干すために2階へ上がるにも、這うように階段を昇るようになりました。近くの複数の病院で診察を受けたのですが、「もう高齢なので手術はできない」と言われて、痛み止めや湿布を出してもらうだけ。もし母が動けなくなると、誰かが仕事を辞めて実家に戻らなければなりませんでした。

 そんなとき、当時、私が働いていた埼玉県所沢市の病院の外来に、たまたま桑沢先生が来られていたので、相談をしたんです。そこで、まずは診察だけしてもらうことになって、三重県から母を連れてきました。

「治るかどうかわからないけど」と言って連れてきたのですが、母は、とにかく痛いのが治ればいいと、すがるような感じでしたね。東京駅から所沢までの道のりも、遠くて大変でした。

 桑沢先生に診ていただくと、「すぐに人工関節を入れたほうがいい」と言われました。そこで、糖尿病が見つかったこともあり、1~2カ月の準備期間を経て、両膝の手術を受けました。

 手術の前日にも、お風呂に入るときに脱衣所で転んで、怪我をしていました。もし、同じようにどこかで転んで、大腿骨を骨折していたら、寝たきりになっていたかもしれません。

 手術後は、2週間ほど入院して、1点杖をついて帰りました。半年後に術後の経過を桑沢先生に診ていただいたときには、独歩でした。

 手術から3年経ちましたが、つい先日、三重県から母がやってきたときには、「杖を忘れてきた」と言っていました。それから会津に旅行に行ったのですが、普通に歩いていて、階段も手すりを持って自分で昇るし、びっくりしました。「この人、どこか悪かったっけ?」というくらいです。

 実家では、今も両親が二人で暮らしています。家のことは全部、自分たちでやっていますし、薬も以前のようにたくさん飲むことはなくなりました。

著者紹介

桑沢綾乃(くわさわ・あやの)

埼玉協同病院 整形外科部長/関節治療センター 副センター長

2001年、東京女子医科大学医学部卒。川崎市立川崎病院、東京医療センターを経て、08年から埼玉協同病院勤務。日本整形外科学会認定整形外科専門医、日本人工関節学会評議委員。

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