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W杯優勝の名監督に学ぶ 「世界最強のメンタル」の作り方

2020年01月09日 公開
2023年01月30日 更新

佐々木則夫(元サッカー日本女子代表監督)

得意のオヤジギャグは巧妙な作戦だった⁉

もう一つ、佐々木氏が目指したのは「選手の自主性を尊重したチーム作り」だ。

「野球は一球ごとに監督がサインを出しますが、サッカーは一度ホイッスルが鳴ったら、監督がいちいち指示を出している暇はない。ピッチ上では選手が自分で瞬時に判断して動かなくてはいけません。

だから指示待ちタイプの選手ではダメ。それに、誰かに指示されて動くより、自分で考えてプレーしたほうが楽しいですよね。

でも当初は、『これでいいですか』『これはどうやるんですか』と私に指示を求めに来る選手が多かった。だから選手が自分で判断できる大人のチームにしなければいけないと考えました」

ただし、いきなり選手たちにすべてを任せたわけではない。段階を踏み、監督として必要なサポートをしながら、選手の意識を確実に変えていったのだ。

「サッカーの基本的な戦術を選手たちが把握していなかった初期段階は、5のうち4・5くらいは監督やコーチが指導していました。『ゾーンディフェンスを導入するのはなぜか』『その場合、どのようなプロセスでボールを奪うか』といったことを細かくレクチャーし、選手に実践させていったのです。

1年半ほど経ち、我々が指導したことを選手たちがオートマティックにできるようになった段階で、今度は『5のうち3を選手が考え、2は我々が指示する』と割合を変えました。

ミーティングでも監督やコーチが一方的に話すのではなく、選手同士でディスカッションしながら考えさせました。試合を分析するときも、先に我々が答えを言ってしまうのではなく、まずは選手で話し合いをさせる。それを聞いて、『いいところに気づいたな』『ここは見落としてるぞ』などとアドバイスしながら、さらに選手たちに考えさせます。

これによって選手たちの考える力がつき、一人ひとりのプレーにも積極性が生まれて、チームの力は目に見えて伸びました」

その結果、11年のワールドカップの時点では、監督が指示を出す割合は限りなくゼロに近づいていたという。

「この頃には、私がいなくても試合ができるくらいに選手たちは自主的に動くようになっていました。優勝して帰国後、選手たちとテレビ番組に出たのですが、司会者から『大会中に監督からかけられた言葉で印象に残っているものはなんですか』と聞かれて、誰も思いつかなかったんですよ。

それくらい私が何も言わなくても、あれだけのモチベーションと集中力で試合を回せるようになったのです。

試合前のミーティングでも、私は特に指示は出しません。緊張をほぐすためにダジャレを言うくらいかな(笑)。

でもこれは、あえてバカなことを言っていたんですよ。いつも私の次に話すのはキャプテンの澤選手でしたが、彼女はこういう場では淡々と話すタイプ。だから私がいったん下げておくことで、彼女の言葉が皆に響くのです」

 

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褒め言葉は間接的にさりげなく伝える >

著者紹介

佐々木則夫(ささきのりお)

サッカー日本女子代表監督

1958年生まれ。明治大学卒業後、NTT関東サッカー部でプレー。2007年12月より現職。08年の北京五輪四位、10年アジア大会優勝。11年女子W杯(ドイツ)にてFIFA主催大会で男女を通じ、日本を初優勝に導く。国民栄誉賞を受賞し、12年のロンドン五輪では史上初の銀メダルを獲得。

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