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「野球が嫌で大工になろうとした」石毛宏典氏に待っていた“広岡監督と幸せな野球人生”

2021年08月12日 公開

石毛宏典(元プロ野球選手)

 

広岡達朗監督との"最悪の出会い"が最大の転機に

「お前が石毛か。よくそんなので新人王が獲れたな、ヘタクソが!」

開口一番、そう言われました。まさに、最悪の初対面です。

頭に来て、ろくに返事もせずそっぽを向くと、監督は僕以外の内野手陣を集めて指導を開始。こちらは反発、向こうは無視というわけです。

この状態が数日続いたあと、僕はハッと気づきました。指導を受けたチームメイトたちの身のこなしが、軒並み上手になったように見えたのです。慌てて、「僕にも教えてください」と頭を下げました。すると監督は、「よく気づいた」とひと言褒めたあと、こう指摘しました。

「お前のプレーは自己流だ。若くて筋肉に弾力があるうちはいいが、それでは30歳でダメになる。引退しても、自己流じゃ指導もできないだろう」

バランス良く筋肉を使えば、故障せずに長くプレーができること。各選手が投げる・打つ・捕球する技術の正確性を究めれば、必然的に勝率が上がること。教えの一つひとつに、深く納得しました。

語るだけでなく、やって見せてもくれるのが広岡流です。僕の「ヘタクソ」なプレーを正確に再現され、「そんなに不細工なのか!?」とショックを受けつつも、「この人に文句を言わせない野球をしたい」という意欲が湧いてきました。

訳もわからずただ頑張っていただけの僕は、初めて理論を教わったことで、納得と熱意を持って野球に向き合う原動力を得たのです。

生活管理の重要性も徹底的に叩き込まれました。監督いわく、「我々の給料の原資はファンの方々から出されている。その皆さんに喜んでいただくために、レギュラー選手には試合に出続ける使命がある」。

ベストコンディションを保ち、良い仕事をすることは、自分のためのみならず、誰かのため。この意識もまた、僕の財産となっています。

 

責任感と充実感に満ちた幸せな野球人生

キャリアを重ねるにつれ、責任感は強まりました。ファンの方々はもちろん、チームメイト、スタッフ、球団職員のためにも、節制して身体を整え、行動や発言にも責任を持つようになりました。

そうした自覚はチーム全体にも浸透し、85年に広岡監督がライオンズを去ったあともしっかり根づいていました。

僕がロッカールームでうっかり「腰が痛いなぁ。今日休もうかな」などとつぶやこうものなら、すかさず工藤(公康/現・ソフトバンクホークス監督)や辻(発彦/現・西武ライオンズ監督)といった後輩たちから「おい、石毛さんが腰痛で休むとか言ってるぞ」「ふざけるな」「給料いくらもらってんだ~」と冗談めかした非難が飛んできたものです。

皆がプロ意識を持ち、先輩後輩関係なく共有していたあの頃の雰囲気は、今も鮮やかに記憶しています。

こうして僕は、40歳まで現役を続けることができました。その後も、米国へのコーチ留学、独立リーグの立ち上げと、様々な形で球界と関わり、ビジネスの世界とも縁ができました。

今抱いている夢、と言うより志は、沖縄にスポーツの教育機関を作ることです。国内だけでなくアジア圏から若者を集め、世界に羽ばたけるアスリートを育てたい。できれば、老若男女が集うアナログ的なコミュニティを作りたい――。65歳の今もなお、そんな人のため、地域のための構想を大きく膨らませています。

しぶしぶ野球をしていたあの頃は、もはや遠い昔。今は自分の意志で仕事をし、それを誰かの喜びや社会貢献へとつなげることに幸せを感じます。

これは間違いなく、25歳で訪れた、あの転換点のおかげです。良き師と、恵まれた野球人生に感謝したいですね。

 

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