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「『わざわざ』を作ることで、歴史的資産を保全しつつ収益化」バリューマネジメント代表 他力野淳

2022年01月07日 公開

【経営トップに聞く 第57回】他力野淳(バリューマネジメント代表)

「30歳で起業」から逆算して、やるべきことに優先順位をつけた

大洲城
大洲城

――他力野代表はもともとリクルートで「ゼクシィ」の営業をしていたということですが、ホテル運営についてはそのときに学んだのでしょうか?

【他力野】30歳になったら起業すると決めて社会人になったので、当時から、どうすればビジネスが成功するのかを考えていました。特に興味があったのは「モノはなぜ売れるのか」です。社会では、売れているモノがいいモノだと認知されますが、必ずしもいいモノが売れているとは思えなかったからです。

「ゼクシィ」の広告営業の顧客はホテルなので、成果を上げているホテルと上げていないホテルは何が違うのか、なぜその違いが生まれるのかを分析し、どうすれば成果を上げられるのかの仮説を立てて提案もしていました。

広告をいただく営業職という立場だったので、経営戦略を提案しても聞いていただけないホテルもありましたが、すべてのプロモーションを任せていただけるホテルもありました。

そうした経験の中で、ホテル産業における成功の方程式が見えてきました。それを、起業してから試してみて、検証を重ねてきました。

――歴史的建造物を扱うことにした理由は?

【他力野】私は神戸育ちで、21歳のときに阪神大震災を経験しました。街がなくなって、なくなったものは戻ってこないということを強烈に実感しました。

人は、なくなってから大事なものに気がつくんです。そして、取り戻そうとするのですが、戻ってくることはありません。神戸の街は綺麗になりましたが、元の姿ではありません。

だから、危機に直面している歴史的資産を失う前に、保全に取り組みたいと思いました。

また、単純に歴史や文化が好きだという理由もあります。個人的な価値観と社会の課題が重なったということですね。

――歴史的建造物をホテルとして活用するための知見を得るために、リクルートで「ゼクシィ」の営業をしたのですか?

【他力野】リクルートに入社したのは、30歳になったときに、セールス&マーケティング、マネジメント、会計の3つのスキルを身につけた状態にしておきたいと思ったからです。

当時、リクルートが手がけているホテル産業に関連した事業には、「じゃらん」「エイビーロード」という旅行事業と「ゼクシィ」があって、そのどれかへの配属を希望していました。

まちづくりのことまでは、まだ考えていませんでしたが、ホテルが街の中核になり得る建物であることは間違いないと感じていました。街の顔となる建物ですし、街の外から需要を呼び込みますから。

――30歳で起業したいと考えたのは、なぜだったのでしょう?

【他力野】「自分は何でもできるんじゃないか。大学を卒業したら、すぐに起業したい」と勘違いしていたのですが、阪神大震災で、自分は無力だと悟らされました。誰かが作ってくれた社会の構造の上で生きているだけで、自分の力ではなかったんだ、と。

それで、自分に力をつけようと思い、目標を決めて、30歳というスケジュールを切って、そこから逆算することで、やるべきことを決めました。

夢を実現できる人と、夢が夢で終わる人の大きな違いは、明確なゴールと時期を決め、そこから逆算して、やるべきことの優先順位をつけるかどうかだと思います。

――リクルートを退社後、ベンチャー企業への転職を経てから、起業していますね。

【他力野】ベンチャー企業へ転職したのは、マネジメントの経験を積みたいということと、ベンチャー企業というものを見ておきたいというのが理由です。特に大企業との違いを知りたかった。

大企業の中でのマネジメントは、フレームがきちんと整っている中で、役割をまっとうするというものです。一方、ベンチャー企業は、信号がなくて渋滞が起きている交差点のようなもの。問題が起きるたびにルールを作ることの繰り返しです。起業する前に色々な失敗をしておけて、よかったと思います。

――起業した直後は、どんな事業を?

【他力野】法人化する前から、今と同じです。

――仕事の受注は、どこから?

【他力野】はじめの5年間ほどは、紹介の紹介の紹介、といった感じでした。リクルートでの人脈があったことは大きかったと思います。

――資金は?

【他力野】当初はコンサルだけをしていたので、それほど多くの資金は必要ありませんでした。

その後も、自社で運営する施設は少数だけにして、コンサルを中心にするつもりでした。トライ&エラーは直営の施設で行なって、そこで築いたノウハウをコンサル先に展開する形です。コンサルのほうが、自社で運営するよりも、速いスピードで数多くの施設にノウハウを展開できますから。

しかし、法人化して3期目から、方針を変えました。1~2期目に、資金を調達する企業と一緒にSPC(特別目的会社)を設立して、とある施設をオープンさせることになっていたのですが、その企業が資金調達に失敗し、プロジェクトが頓挫するという出来事があったからです。

工事は最終段階で、お客様も順調に集まっていたのに、従業員も全員解雇することになりました。当社の社員というわけではないにせよ、私たちが作った組織の社員で、面接もした社員です。それで、「自分たちで投資もしないと、コンサルだけでは限界がある。責任が取れない」と気がつきました。猛烈に悔しくて、直営に舵を切ることにしたんです。

そのために、正直なところ、ムリをしました。売上が2億円だったのに3億5000万円の借入をして、翌年は売上9億円で7億円の借入をしました。その翌年の5期目は、売上が20億円になりました。

――売上の伸びがすごいですね。

【他力野】個人事業のときから実績があったので、当てる自信はありました。

 

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