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李登輝&魏徳聖 KANO精神と八田與一

2015年01月23日 公開
2022年12月15日 更新

李登輝(元台湾総統),魏徳聖(映画監督)

なぜ日本が好きなのか

 (データを見ながら)どうしてこんなにも多くの台湾人が日本を好きなのか、という編集部からの質問ですが、文化的な考え方が似通っているからだと思います。それはやはり日本が台湾を50年間統治したことによる影響が大きいでしょう。私自身、どこか旅行に行くのなら、まず日本を訪ねたいですね。日本は安全で清潔、そして自然が美しいというイメージがあります。

 先日、中国の映画監督と話をしていたとき、日本の北海道に雪が降るシーンを撮りに行く、といっていました。中国でも雪が降るのに、なぜわざわざ日本まで行くのか、と聞くと、「中国では雪と人間の関係が荒っぽい」というのです。ちっともロマンチックではない、と。中国の人間は、雪に対してどこか心を閉ざしている面がある。しかし日本の場合、雪と人間の関係が優しくて美しい。彼はそういうんです。日本人は自然と合わせることがとても上手なんですね。雪景色のなかでも、環境に溶け込んで人間らしい愛を発揮している。

 もっとも、日本もいいところばかりではありません。映画『KANO』をつくるに際し、技術的なことに関して日本側の協力をかなり得ました。そのことには感謝しています。ただ、日本人は非常に細かい。あれも心配、これも心配。あまりにも小さなことを考えすぎる気がします。

 日本人はよくいえば、丁寧。悪くいえば、細かすぎる。私の家内がまさにそう(笑)。家内も私同様、日本式の教育を受けたのですが、きっとその影響でしょう。家庭内の話なら笑い話で済むかもしれませんが、政治の指導者がそうしたことでは困ります。

 2014年9月、私が日本を訪問したのは、「これからの日本は進路を自分で決める時代が来た」ということを伝えるのが目的の一つでした。安全保障の面に関して、これまで日本はアメリカに完全に委ねた状態だった。「憲法9条があるからこそ、日本は平和を維持している」といった意見も、少なくない人びとのあいだに根強くあるようです。しかし、60年以上にわたって憲法が一字一句も改正されていないことのほうが、私にはむしろ異常に思えます。アメリカの弱体化、中国の台頭という現実から目を背け、安全保障や憲法の問題を放置したり、無関心でいることは、日本という国の安全を著しく脅かすものと感じているのです。

 これまで日本はアメリカを頼りにしてきましたが、いまやアメリカのほうが日本を同等に、もしくはそれ以上に頼りにしている。こうした現実を日本は直視すべきであると考えています。

 

「嘉南大シュウの父」八田與一

 私が八田與一という日本人技師について知ったのは、霧社事件について調べているときでした。霧社事件の原因を追究するのは、簡単なことではありませんでした。1930年前後の警察の制度、山間地の部族の関係、あるいは国際的にみて台湾や日本の関係はどうなっていたのか。さらにその前の20年、その後の20年にわたって歴史を調べました。こうした過程で八田技師の功績を知り、ほんとうにびっくりしました。私の中学時代には、まだ台湾の教科書で八田與一のことについて教えていなかった。ほんとうは彼のことを映画にしたかったのですが、スケールが大きすぎて私の手に負えないと断念しました。

 「嘉南大シュウの父」と呼ばれる八田與一について台湾の教科書で教えるようになったのは、じつは私が96年の総統直接選挙で選出されてからのことでした(大シュウは大きな水路の意)。従来の台湾では中国の歴史ばかりを教えていましたが、台湾の歴史を教える必要があるという意図から編纂されたのが『認識台湾』という教科書です。日本統治時代のことも客観的な視点から触れていますが、初めて八田技師に関する記述が載った。残念ながら、この『認識台湾』という教科書は陳水扁総統時代、2003年の教育改革でなくなってしまいました。いずれにしても、あなたが中学生のときは、八田與一について授業で教えておらず、彼の功績について知らなかったのも無理はありません。

 そうだったのですね。いまでは台湾で八田與一に関する本は何冊も出版され、図書館で閲覧することもできます。

 映画『KANO』にも八田與一が登場しますね。台湾にダムと灌漑用水路を建設し、当時は不毛の土地であった嘉南平原を台湾一の穀倉地帯に変えた八田は、台湾にとって恩人ともいえる人物です。彼が手掛けた烏山頭ダム(1930年完成)は当時世界最大。このダムに加えて、八田は嘉南平原に“蜘蛛の巣”のように張り巡らせた約1万6000kmの水路工事を行なった。地球の全長が約4万kmであることを考えれば、工事の規模が想像できるでしょう。嘉南平原に住む台湾農民60万人は八田がつくった新しい水路から水が流れてきたとき、「神の水が来た」といって涙を流したそうです。

 台湾人が好んで用いる言葉に、「日本精神(リップンチェンシン)」があります。これは日本統治時代に台湾人が学び、日本の敗戦によって大陸から来た中国人が持ち合わせない精神として、台湾人が自ら誇りとしたものです(「勇気」「勤勉」「自己犠牲」「責任感」「遵法」「清潔」といった精神を表す)。私は八田こそ、こうした「日本精神」を代表する人物だったと考えています。

 李元総統がいわれた「日本精神」と八田與一との関係について、正直、私にはわかりません。私が八田に感じるのは、とても技術肌であるということ。また彼は人間にとって何が必要であるかを考え、その実現に向けて行動したということです。

 八田與一の最期は、南方開発要員としてフィリピンに向かう途中、アメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受けて船が沈没し、遭難するというものでした。その妻・外代樹は日本敗戦の3年後、夫のつくった烏山頭ダムの放水口に身を投じて夫の後を追いました。八田夫妻に対する台湾人の感謝と哀惜の念がいかに強いか。それを物語るのが、次の逸話です。

 工事に携わった人びとが烏山頭ダムの畔に建てた八田の銅像は、戦時中の金属供出令から逃れるため、倉庫に隠されました。また、日本敗戦後、大陸から渡ってきた国民党は日本統治時代の銅像や碑文を破壊して回りましたが、そうした災難からも守られました。そして現在、八田の命日にあたる5月8日には、その銅像の前で毎年慰霊祭が行なわれ、日台の絆の象徴となっているのです。

 

「私とは何か」という問題

 李登輝総統時代(1988~2000年)、私は10代後半から20代の多感な時期を過ごしました。ご本人を前にして恐縮ですが、当時の私にはあなたの大きさがわからなかった。政治に関心が少なかったせいもあるかもしれません。しかし、陳水扁総統時代(2000~2008年)や馬英九総統(2008年~)になって初めて、李元総統が求めた理想がわかる気がしました。人間というのは、ただ頭がいいだけでは用をなさない。さらにいえば、ブルー(国民党のイメージカラー)を支持するか、グリーン(民進党のイメージカラー)を支持するか、そんなことよりも大切なものがある。すなわち、心です。いまの台湾人には同理心(人を思いやる気持ち。共感)が欠けているように思います。

 生きるうえでいちばん肝心なことは、「私とは何か」という問題です。現在の私の一部を形づくったのは、紛れもなく戦前の日本の教育です。『KANO』をみたあと、「日本の教育は素晴らしかったね」と家内と語り合ったほどでした。しかし、台湾を統治していた日本人に対して、不満がなかったわけではありません。日本人は台湾人のことを少々見くびるところがあった。私自身、何回もそういうことに遭遇しました。

 私の母親は田舎の女性でしたが、ある日、菊本百貨店(台湾に開業した最初の百貨店)に連れていってあげたんです。当時、私は旧制台北高等学校の生徒で、その制服を着てね。「台湾人の俺だって、これぐらいのことはできるんだ」という気持ちからです。

 日本統治時代の台湾では、日本語が強制されていましたから、台湾語は厠に隠れて勉強しました。まだ9歳か10歳だったと思います。そのころ、祖父と『論語』の素読をやりました。「先進」篇に「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん(生を知らないで、どうして死を理解できようか)」という言葉があるのを知り、子供ながらにイヤな感じがしたことを覚えています。生を肯定しすぎることは、利己主義や享楽的な人生をめざすことにつながりかねない。他方、日本の武士道は「武士道とは死ぬこととみつけたり」(『葉隠』)という有名な言葉が示すように、まず死を前提としたうえで、有意義な生を考える哲学があります。

 日本の武士道が説く無私の精神に加え、後年キリスト教に入信することで、私は長年自分を苦しませてきた「私とは何か」という問題に、ようやく一つの答えを出すことができた。それは「我是不是我的我(私は私でない私)」というものです。自分の命はいつなくなっても構わない。台湾のために死力を尽くして働く。いかなる栄誉も求めない。こうした気持ちで仕事をしてきました。もちろん、これからもその覚悟です。

 李元総統の書かれた『台湾の主張』(1996年)を私も読みました。この本に書かれていることには、おおむね同意いたします。しかし、台湾のメディアはその記述の一部分だけを捉えて、批判している。それは政治的意図によるものにすぎない、と感じました。

 昨年も、いわゆる中国寄りとされる新聞の虚報によって、ちょっとした騒動が起こりました。日本の敗戦後、台湾大学に編入学した時期に関することで、私が共産党に二度入党し、二度脱党した、という虚報を流したのです。台湾大学で私は学生運動のリーダーの立場にありました。学生運動をしていたのは事実ですが、台湾独立運動を展開していたわけではないし、ましてや共産党に入党したことはない。そもそもマルクスの『資本論』によれば、共産革命は高度に資本主義が発達した国で起こることになっている。しかし、当時の中国はそんな状況には程遠く、革命の担い手となるような労働者階級も育っていない。中国共産党がマルクス主義を謳うのは、古代の専制政治を行なうための手段にすぎないと当時、気付きました。そんな恐ろしい党に二度も入って、一度たりとも無事に出てこられるはずがないでしょう(笑)。

 そうですね(笑)。

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