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野村萬斎・宿命を力に変える狂言師の矜持



2015年03月09日 公開

野村萬斎(狂言師)

『Voice』2015年3月号より》

 

日本人の「雑食性」が舞台芸術を育む

 美しい立ち姿、声の多彩さ、そして狂言師として生まれた宿命まで含めて、野村萬斎さんの放つオーラのようなものを「花」と呼ぶのだろう。そんな萬斎さんの存在感は、“伝統芸能とは骨董品のごとくありがたく拝むもの”という硬いイメージを軽々と覆してくれた。
 現代劇や映画、TVドラマと、ジャンルを超えて活躍する萬斎さんが、この3月、極めつきのピカレスク(悪漢)作品に再び挑む。狂言師、また舞台役者としてのこれまでの経験をすべて注ぎ込むような「運命の役」と位置付ける。そして日本文化の発信者として、萬斎さんは考え続ける。日本人のアイデンティティとは何なのだろうか、と。

◆聞き手:五十川晶子(編集者、フリーランス・ライター)/写真:Shu Tokonami/ヘアメイク:奥山信次

 

型を究めるか、脱却するか

 ――野村萬斎さんは今年49歳になられます。「40、50は洟垂れ〈はなたれ〉小僧、60、70は働き盛り」という渋沢栄一の名言がありますが、50代は狂言師の人生にとってどういった段階なのですか。

 野村萬斎(以下、萬斎) まさにスタートラインです。狂言師として幼いころから身に付けてきた「型」を、最高のレベルにまで磨き上げていく時期だと思っています。

 ――型は狂言師にとって、表現するための技術や武器という位置付けでしょうか。

 萬斎 狂言の1つひとつの動作や振る舞いを示す名称ですが、基本的な立ち方から、食べたり飲んだりする様などの具体的な仕草や音声も含みます。30代のときには力任せでこなしていたような体力を使う役でも、40代になり、すでにマシーンのように型が身に付いていれば、力まずとも同じことができます。でも私はまだその型を究めていないし、脱し切れてもいないんです。だからまだ「洟垂れ小僧」なんですね。50代のうちに型を洗練しきったところまで究めておくかどうかで、最終的に到達できる芸のレベルが決まる気がします。

 ――型を身に付け、磨きをかけ、そのあとに初めてその型に向かって内面を膨らませていく。そこからが狂言師としての勝負どころであると。

 萬斎 父(人間国宝の野村万作さん)は83歳になりますが、すでに型を脱却し、“解脱”の境地に達していると感じます。でもいまだに型にはこだわり、磨き続けています。だから狂言師の身体の基本中の基本である「構エ」も堅実かつ綺麗ですよ。先輩方のなかには、そういった型の部分をさっさと崩すタイプもいますが、その域が“解脱”なのか、途中で型崩れしただけなのか、それぞれです。はたまた人によってはその崩れが洒脱な芸になることもあり、年代によって何をめざすのかは、その人の生き方そのものです。

 ――萬斎さんはどちらですか。

 萬斎 僕は両方のいいとこ取りをしたい人間だと思います。型の精度を上げる職人的な部分には、プロフェッショナルとしてこだわり続けたい。同時に、50歳になると、ガムシャラに取り組むことから少しずつ解放されていけそうだなとは感じています。いまは「思うように」体が動く年代ですが、その先にはもう何も「思わない」域もある。つまり「このときはこう体を動かそう」などと考えず、そこに狂言師がいるだけの状態です。体が周りで起きていることに自然に反応して、観ている人の心も動かす……。その域に達すれば、もう芸道の1つの境地ですよね。

 ――萬斎さんもその境地をめざしていると。

 萬斎 楽しそうじゃないですか(笑)。ただ僕はチャレンジャーでもあるし、新しいことが好きなので、同時にいろんなことをやっていきたいですけどね。

 ――古典芸能には「時分の花」という言葉がありますが、万作さんが83歳、萬斎さんが49歳、そして長男の裕基さんが15歳ですね。一家、3代にわたり、それぞれの年代ならではの花を咲かせていく。観る側にとっても喜びになります。ただ、親子3代の稽古の様子を取材したノンフィクション番組などを拝見すると、萬斎さんは厳しい師匠ですね。

 萬斎 そりゃ稽古中はコワイですよ(笑)。でも狂言の楽しさも教えながらでないと、付いてこられない。僕が15歳のころは、狂言が楽しいとは全然思えなかったですから。いまは、鷹が雛に実際に狩りをして見せて雛がそれを真似している段階です。理屈じゃない、分析できない、でも聴いていて心地よい「語リ」、眺めていて美しい「構エ」や「運ビ」。それらが無意識にできるまで息子の体に叩き込んでいる真っ最中です。

 

バカバカしくも生きる喜びを感じさせる

 ――狂言師であると同時に、役者として現代劇、映画、TVドラマにも数多く出演されています。2~3月に東京・世田谷パブリックシアターで上演される『藪原検校』(井上ひさし作、栗山民也演出)の主人公・杉の市を、初演(2012年)に続き演じます。井上さんの戯曲のなかでも傑作中の傑作と評価の高い作品ですね。東北で生まれた盲目の少年・杉の市が盗み、脅し、そして殺し、という悪逆非道を尽くす。出世双六のように江戸へと歩を進めた末、盲人社会の最高位である検校〈けんぎょう〉にまで上り詰める。これまで演じてこられた役のなかでも、とびきりインパクトのある役だと思いますが。

 萬斎 杉の市が生きた28年の凝縮された人生を全力で生き切ったので、爽快感がありました。

 ――舞台にはグロテスクな場面もあるし、エロティックな場面も多いです。初演を拝見する前は、「杉の市に萬斎さんでは品が良すぎるのではないか……」とも。

 萬斎 僕も含めて人間には両面性があるということでしょう(笑)。杉の市は自分の欲しいものを手に入れるために非道を尽くして、金をばらまいたけれど、それだけでは最高位までのし上がれなかったと思うんです。どこか人を惹きつけるカリスマ性やチャーミングさも兼ね備えてないといけない。

 ――過去にもいろいろな方が杉の市を演じてきましたが、萬斎さんの杉の市は、大衆に愛される芸能者として、うってつけだと思いました。なかでも台本にして11ページに及ぶ早物語(語り芸)は圧巻です。あの緩急自在な口跡とキレのある身体表現には、発声や所作など狂言師としての技術がフルに生かされたのではないかと。

 萬斎 源平の世界と登場人物を織り込んだ、通称「餅づくし」の唄の場面ですね。大変でしたが、こうした芸は狂言師にとって専売特許のようなもので、「自分がちゃんとできないでどうする?」と思いながら演じました。それに次第にノリに乗ってしまい、軽くトランス状態になりましたし(笑)。

 ――客席も、まるで江戸の芝居小屋にいる大衆の気分で次第に興奮して、私もおひねりを投げたい気持ちになりました。

 萬斎 僕が杉の市にうってつけだとしたら、幼いころから装置もほとんどない能の裸舞台に立つ鍛錬を続けてきたからでしょう。「餅づくし」の詞章にはことさらに意味はなくて、とにかくテンポよく、聞いている人を楽しい気持ちにさせるのが身上です。僕も、それこそ詞章の意味もわからないうちから謡〈うたい〉を覚え、自分の体や声だけを武器に、お客さんに理屈抜きの美しさとか楽しさを感じてもらう鍛錬はしてきたつもりですのでね。その日々があってこそです。さらにいえば、芸能の根幹は理屈ではなく、面白くて粋で、バカバカしいけれど生きる喜びを感じさせることにあるのではないか。狂言師である僕だからこそうまく伝えられたところがあるのかもしれません。真面目な真理よりも、思い切り楽しめるものや圧倒的に美しいものに、人びとは惹きつけられるのではないでしょうか。

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