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特攻隊員になった朝鮮人

2015年07月23日 公開
2022年06月20日 更新

早坂隆(ノンフィクション作家)

アリランの歌

光山は父と妹を朝鮮に帰郷させた。戦況の悪化を知り及んだ光山が、朝鮮の方が安全だろうと判断して促した結果であった。

そんな光山にも、確実に出撃の日が迫る。

いよいよ迎えた出撃前夜の5月10日、光山はやはり富屋食堂の「離れ」にいた。光山はトメと彼女の娘たちを前にして、こう口を開いた。

「おばちゃん、いよいよ明日、出撃なんだ」

光山が心中を吐露する。

「長い間、いろいろありがとう。おばちゃんのようないい人は見たことがないよ。俺、ここにいると朝鮮人っていうことを忘れそうになるんだ。でも、俺は朝鮮人なんだ。長い間、本当に親身になって世話してもらってありがとう。実の親も及ばないほどだった」

光山の着ている飛行服には、幾つかの小さな手作りの人形がぶら下がっていた。それらは、トメや娘たちが彼に贈ったものだった。トメが造った人形は、頭部が大き過ぎて「てるてる坊主」のようだったが、光山はこれを殊に大切にしていたという。

トメが目頭を押えながら俯いていると、光山が、

「おばちゃん、歌を唄ってもいいかな」

 と切り出した。トメは思わずこう答えた。

「まあ、光山さん、あんたが唄うの」

トメには光山の言葉が意外だった。それまでの光山は、他の隊員たちが大声で軍歌などを唄っている時でも、一緒に声を合わせるようなことは殆どなかったのである。

「おばちゃん、今夜は唄いたいんだ。唄ってもいいかい」
「いいわよ、どうぞ、どうぞ」

薄暗い座敷の中で、光山が言う。

「じゃ、俺の国の歌を唄うからな」

光山は床柱を背にしてあぐらをかいて座り、両目を庇の下に隠すようにして戦闘帽を目深に被り直した。

トメと二人の娘は、正座をして光山が唄い出すのを待った。光山はしばらく目を閉じていたが、やがて室内に大きな歌声が響き始めた。それは、朝鮮の民謡である「アリラン」であった。

アリラン アリラン アラリヨ
アリラン峠を越えて行く
私を捨てて行かれる方は
十里も行けず足が痛む
アリラン アリラン アラリヨ
アリラン峠を越えて行く
晴々とした空には星も多く
我々の胸には夢も多い

彼の声の震えや鼓動、胸中に灯った心模様を想う。哀調を帯びたその節回しが意味する歴史の重層性を、我々は真に理解できるだろうか。

この歌を知っていたトメは、光山と一緒になって声を揃えた。トメと娘たちは、嗚咽しながら大粒の涙を流した。最後には4人、肩を抱き合うようにして泣いた。

それから、光山は形見として、トメに自らの財布を手渡した。

「おばちゃん、飛行兵って何も持っていないんだよ。だから形見といっても、あげるものは何にもないんだけど、よかったら、これ、形見だと思って取っておいてくれるかなあ」

その夜の別れ際、トメは自分と娘たちが写った写真を、

「これ、持ってって」

と差し出した。光山は、

「そうかい、おばちゃん、ありがとう。みんなと一緒に出撃して行けるなんて、こんなに嬉しいことはないよ」

と言い残し、灯火管制のために暗い夜道を、手を振りながら去って行ったという。

翌11日、第七次航空総攻撃の実施により、光山は午前6時33分、爆装した一式戦闘機「隼」に搭乗。知覧飛行場の滑走路から勢いよく出撃した。

光山の搭乗機は、陸軍計12隊29機、海軍計11隊69機と共に、沖縄近海を目指した。

やがて、航行する敵艦船群を確認した編隊は、特攻作戦を開始。結句、アメリカの空母1隻、駆逐艦2隻を「戦列復帰不能」とした上、オランダ商船1隻に損傷を与えた。しかし、轟沈した艦船は1隻もなかった。

この戦闘において、光山も散華。享年24である。

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