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五輪エンブレム問題から学ぶ――現代人が守るべき表現倫理とは



2015年09月14日 公開

小浜逸郎(批評家)

オリジナルとコピーの違い

*以下の文章は、2015年8月28日に脱稿したものですが、その後事態の急展開があったために、一部に現状と適合しない部分があります。しかし原文を残すことも大切と考えますので、一応8月28日時点での文章をそのまま掲載し、特に訂正が必要と考えられる箇所に、「注記」のかたちで加筆を行うことにしました。この加筆によって、本稿全体の主旨そのものが矛盾をきたすことはないと確信しています。(小浜記)

 

コピペ時代に漂うムード

 

 東京五輪の公式エンブレムが「盗用」であるとして、海外デザイナーが使用差し止め訴訟を起こし、さらにこれをデザインした佐野研二郎氏の他の作品にも盗用の疑いがあるとの指摘が広まっています。この原稿を書いている時点で、五輪スポンサー企業21社のうち、公式エンブレムを利用した企業はすでに13社に上っています(『産経新聞』8月24日付)。

 これによく似た問題が一昨年冬から昨年春にかけて連続して起きました。そう、佐村河内問題とSTAP細胞問題です。これらが世間を大いに騒がせたのは記憶に新しいところですね。じつはその折、私は自身のブログに、この問題について一文を載せました(http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/34669f45876b83ec6a74b5aed3dbf49c#comment-list)。

 このとき書いた文章に若干脚色を施して要約すると、概略以下のようになります。

 

 2つの事件は共に、現代の高度情報社会の目まぐるしいスピードとその膨大な情報量の洪水の中で生きている私たちすべてに関わる文明論的な問題である。もちろんそれぞれの事件当事者には、その「悪」の程度において相対的な差が認められはするものの、その差についてあれこれ議論したり当事者の「罪」を倫理的に糾弾したりすることにはあまり意味がない。

 私たちは一種の「表現中毒」ともいうべき状態にあり、何かを表現せずにはいられないと同時に、他者の何らかの表現を吸収せずにはいられない。これは現代人が、F・ベーコンの指摘した4つのイドラ(幻影)のうち、市場のイドラ(マスコミ情報がその代表)と劇場のイドラ(学問や芸術の権威の独り歩きがその代表)の二つにすっかり染まりきっていることを表している。この2つのイドラこそは、深慮なしの表現の授受を促進する。世はまさにコピペ時代、今日YouTubeなどからいくらでもただで音声や画像を摂取できるように、誰もこの状況から逃れるすべはなく、多かれ少なかれ私たちはこの状況の共犯者である。こういう状況下では、何が真に価値あるものであるかの評価・判断・鑑定の権威が崩壊の危険に瀕する。

 しかし考えてみれば、もともと純然たる個人の創造なるものは、理念の上でしか成り立たず、あらゆる創造は、過去の制作物の模倣と継承から始まるのだし、どんな制作も協同と分業の上に初めて成り立つ。明らかにただのコピーであると見破られるような作品は、それだけテクニックが拙劣なのである。人の心を打ち、誰もコピーであることを指摘せず、しかも自分自身にとってもコピーではないと確信できるならば、それは立派な創造物と呼んでよい。「科学的真実」なるものもこれと事情は同じである。なぜなら真実とは、誰もが納得する物語の創造ということだからである。

 このたびの騒ぎに絡めて、若干の補足をします。

 まず、佐村河内問題の場合ですが、この事件が発覚したときにこれを知った彼の「ファン」の一人が、「涙を流すほど感動していたのに、事実を知ってショックを感じ、白けてしまった」というようなコメントをどこかに寄せていました。私はこれを読んで唖然としました。作者が別人であったことを知って、ショックで白けてしまうなら、この人の感動の「涙」とはいったい何だったのか。まずは自分の耳も偽物だったのかもしれないと疑ってみるべきではないか――受け手もまたまがい物づくりの共犯者であるとはこれを言います。

 次に、倫理的な糾弾にはあまり意味がないとはいっても、著作物・制作物に関して「個人の創造」「個人の業績」というフィクションを前提に現代の法体系が編まれているかぎり、その模倣や剽窃の程度に応じて、リーガルな意味での制裁を受けるべきことを否定するものではありません。

 私の勤務する大学で、単位認定のためのレポートにネットからのコピペがどうも増えているようだなという疑惑が募ってきたので、1度徹底的に調べていちいちソースを突き止め、相当数の学生を落としたことがあります。それからはテストに切り替えました。この例などはまさに、「拙劣なテクニック」に類するもので、STAP細胞問題における小保方グループの安易で拙速な論文作成にも共通しており、私としても職務上黙視するわけにはいかないのです。ただ肝心なことは、世間全体がそういうムードに支配されていて、そこにはそのような空気をつくる高度情報社会の必然性があるという事実です。

 

パクリとしか言えない作品

 

 さらに、オリジナルとコピーの関係や剽窃問題を問うときに、表現ジャンルによる違いということに注意する必要があります。

 たとえば短歌・俳句などの場合、本歌取りや競作ということがありますから、字句をちょっと変えただけでも、そのことによって思わぬ興趣が生まれてかえって称賛されることがありえます。ここでは元歌があってこそ表現価値が生きるわけで、剽窃かどうかはそもそも問題になりません。しかし詩の場合だと、連歌、俳諧など集団で次々に詠んでいくという伝統がありませんし、しかも少ない大切な語彙の連なり具合が命なので、これはそうとう剽窃かそうでないかが問題になるでしょう。

 小説では、もちろん現代作家の文章をそのまま写したらまずいですが、一方、たとえば芥川や太宰の作品には「羅生門」「お伽草紙」など古典や民話などからのパクリとしか言えない作品がたくさんあります。しかしこれらが非難されたことは1度もなく、むしろ傑作とされています。思うにそのパクり方こそがミソで、芥川や太宰でなければできないような文体、構成、変奏の仕方、思想の盛り方などにその価値が宿っているわけです。

 批評では、論ずる素材は必要なかぎり原文を引用し出典を明らかにすることが一応のマナーとされているので、あまり問題はないようですが、それでも自分の考えの表明のうちに先人の思想がほとんどそっくり入ってきてしまうことはままあります。私なども過去に、この種のパクリをやったことが何度かあります。

 この場合、引用だと断らずに一連の文章を丸写ししたら問題ですが、そうでないかぎり、その批評作品が全体としてあるまとまった思想表現になっていさえすれば、いちいち厳密な詮索をするのはかえって愚かなことです。なぜなら、批評や思想表現というのは、そもそもある共通の考えを多くの人が共有するために行なわれるので、Aの思想をBがほとんどそのまま継承して伝えることは、むしろ良いことだからです。時折、あいつは俺の考えを盗みやがったなどとムキになっている人を見かけますが、偏狭というほかありません。

 音楽の場合だとどうでしょうか。

 たとえば、ショパンのピアノ協奏曲第1番の第1主題と都はるみさんの「北の宿から」の出だしとはとても似ています。またサイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」と由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」も出だしがそっくりですね。

 音楽は、作曲者本人が意図的であったかどうかは別にして、こういう事がとても起こりやすいジャンルだと思います。というのは、なんといっても世界に流布する曲は膨大ですし、その膨大さに比べて、人間の情緒の型はある程度限られているので、人の口の端に上りやすいメロディがどうしても重複してくるだろうからです。こういう場合に、剽窃だ、剽窃だと目くじらを立てるのはどうかと思います。

 クラシックに詳しいある友人は、クラシック曲は驚くほどよく聴き分けるのに、ジャズはみな同じに聞こえると言っていました(そんなことはないのですが)。またベートーヴェン以前は、あまり「個人の創造物」という観念が確立していませんでした。バッハやハイドンやモーツァルトら、バロックや古典派の作曲家たちの「芸術家としての個性」なるものは、あとから発見されたというべきでしょう。

 絵画芸術の場合はどうでしょうか。この世界では、真贋の鑑定に深い専門知識が要求されるように、本物そっくりの偽物づくりの技術がきわめて発達していて、現に贋作やコピーが横行しています。佐村河内事件の場合と似ていて、同じ感動を呼び起こすなら、偽物でもべつに構わないと私などは思うのですが。

 またピカソの「草上の昼食」がマネの同じタイトルの絵のパロディであるように、絵画の世界では、同一主題を別の画家が描くことは盛んに行なわれていますが、誰も文句を付ける人はいません。これは剽窃の問題というのではなく、先に挙げた短歌・俳句や古典に素材を採った小説などの場合と似ていますね。

 

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