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なぜTPPは”たるんだ”協定になってしまったのか



2015年12月01日 公開

浅川芳裕(農業ジャーナリスト)

「TPPはアメリカの言いなり」の噓

普遍的価値を共有する国々のプラットフォーム

 

 TPP(環太平洋パートナーシップ協定)はリビング・アグリーメント(生きた協定)である。妥結した内容が未来永劫、フィックスされるように誤解をしている人が多いが、真相はまったく異なる。

 21世紀型の世界基準となるべき共通ビジネス・ルール構築実現がTPPの目的だ。“生きた”の名のとおり、関税・サービス・投資などの自由化合意について、全12加盟国が実施フェーズに移行させていきながら、今回妥結できなかった積み残し事項についても、交渉がいずれ再開される。そのプロセスは継続し、今後、さらに高い水準の自由化をめざしていく。その道は不可逆的である。

 その前提条件の下、自由や法の支配、民主主義、基本的人権といった普遍的価値を共有する国々が相互関係を深めていく環太平洋地域のプラットフォームがTPPなのだ。

 がゆえに、参加資格のあるAPEC(アジア太平洋経済協力)加盟国でありながら、その価値が共有できていない、もしくはその模索・途上段階にある国はこの交渉の場に不在であった。中国やロシア、韓国、インドネシア、パプアニューギニアなどの国々だ。同時に、それらの国の一部はTPP妥結を受け、世界GDPの40%を占める経済圏に取り残されまいとすでに参加意向をほのめかしたり、懸念を表明しはじめている。

 ここで何よりも重要なのは、オープンかつ透明なルールをTPP現加盟国が作り続け、遵守していくことだ。中国やロシアに代表されるように、その時々の政治情勢で国家が貿易に介入し、世界経済を混乱させてきた新たな加盟候補国に対して、協定の規律を明示するためである。

 そうした将来像を先取りしながら、現実の日本農業の方向性、食料政策のあり方を再定義し、未来像を現場の農業者、そして一般国民と共有するのが本稿の役割である。

 

衛生植物検疫(SPS)措置とは何か

 

 ところが、日本の農政に目を向ければ、時代錯誤的なTPP認識がいまも続いている。妥結後、農政はTPP対策一色である。すなわち、交渉参加前からこれまで5年間繰り返された「TPPで日本農業壊滅」宣伝戦略の延長戦上で、「農業予算の増額と分捕り合戦」が再燃しているのだ。

 同時に、TPP妥結で「危険な食品が大量に入ってくる」「日本人の安全な食が侵される」といった従来からの報道や国民認識も根強く残っている。

 双方の議論とも的外れだ。

 どこが的外れなのか。まずは第2の論点「食の安全面」から見ていく。

 この分野を扱うのは、TPP協定書第7章の「衛生植物検疫(SPS)措置」である。SPSとは、農畜産物の輸出入に伴う有害病害虫の侵入を防ぐために加盟国に認められているものである。それは同時に、人の健康や生命の保護を確保する食品安全についても、各国が必要な措置を取る権利を認める。結論からいえば、TPPによって日本の食品の安全がある日突然、脅かされるようなことはない。公開されているTPP妥結内容を見るかぎり、輸入時の検査基準が緩くなるといった国内の制度変更が必要となる新たなルールは設けられていないからだ。

 そもそもSPS措置は、なにもTPPで初めてできた基準ではない。20年も前の1995年、WTO(世界貿易機関)の誕生と同時にWTO・SPS協定が締結されて、その国際ルールに則っている。TPPに限らず、これまで世界中で締結されている自由貿易協定も同様であり、専門家のあいだでは「日本の食の安全が侵される」といった主張、報道は当初からデマだと片付けられていた。

 これだけでは納得できない向きもあろう。そこで、SPSとは何か、そのルールについて理解を深めていこう。特徴は2つある。「国際基準に整合すること」「科学的根拠に基づいたリスク評価を実施したうえで、適切な保護の水準を決定していること」である。

 前者の国際基準を決めるのは、残留農薬や添加物などの食品安全については食品規格委員会(Codex)、口蹄疫やBSEなどの動物衛生は国際獣疫事務局(OIE)、病害虫の植物防疫は国際植物防疫条約(IPPC)事務局となっている。TPP交渉の場は、そうした専門機関に代わって国際的な新ルールを設計する場ではそもそもない。それ以前に、日米をはじめとするTPP加盟国では現状の国内法もその国際基準に基づいたものになっている。

 後者については、多国間交渉のTPPの価値が発揮された。第7章において、「各締約国のSPS措置に係る手続の透明性の向上に関する規定」が設けられたことによる。さらに「地域的な状況に対応した調整、措置の同等、科学及び危険性の分析、監査、輸入検査、証明、透明性、協議等について規定」も細かく定められている。

 いくら国際基準に整合しろといっても、守らない国はある。この規定によって、実際にどんな措置をしているのか情報公開を加盟国に要請することができるようになったのだ。肝心なのは、求められた国はすべての情報を提供する義務が発生する点だ。

 これは日本が食品を輸入する場合と輸出する場合の双方にメリットがある。輸入の場合、TPP以前でも日本の安全基準に沿って、相手国は輸出検疫や検査をする必要がある。ある品目で基準違反が発見されるケースが多い場合など、これまでも照会はできたが、すべての検査情報を公開する義務はなかった。新たな規定によって、相手国に対して安全ルールの遵守・徹底を促す契機になる。

 それでも、相手国の対応に「懸念がある場合には、180日以内に解決することを目的として、要請の受領から37日以内に専門家が関与する協議(TPP協定独自の協力的な技術的協議)を求めることができる」ルールが設定された点も大きい。これまで貿易相手国のSPS措置に問題点があった場合、国際的な解決手段としてWTOの紛争解決機関(DSB)が用いられてきた。まず、パネルが設置され、双方の主張がヒアリングされる。科学的根拠に基づく報告書が提出されたのち、上級委員会が判定する流れだ。問題は、160カ国以上が加盟するWTOにおいて、会合を1つ開くにしても時間がかかる。会合を積み重ね、解決までに数年から5、6年かかることもざらにある。貿易の促進役であるべきWTOが反対にその障害になっている実態があった。こうした官僚的な対応を改め、先述のように要請から協議開始、解決までのタイムラインを明確にしたのだ。

 

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