Voice » 政治・外交 » 日下公人&上島嘉郎 安倍首相の個性と強み

日下公人&上島嘉郎 安倍首相の個性と強み

2016年01月09日 公開
2022年10月13日 更新

日下公人(評論家/日本財団特別顧問),上島嘉郎(ジャーナリスト)

組織の利益あって日本国家なし

 日下 日本の戦争目的を第1に「自存自衛」、次いで「東亜の解放」の2つと考えると、軍人・民間人合わせて約310万の死にどんな意味があるか。たしかに大東亜戦争には数々の過誤や失敗がありましたが、1943(昭和18)年11月に開かれた大東亜会議で発せられた大東亜共同宣言に謳われた「共存共栄」「互助敦睦」「伝統尊重」「経済発展」「人種差別の撤廃」の精神はいまや世界に伝播し、現実の国際社会に公然と人種差別のできない時代を到来させた。これは物理的な勝敗を超えた日本の勝利です。戦勝国が何といおうとも、人種差別が公然とできなくなった新しい世界をもたらしたのは、その引き金を引いたのは、この世界にあって日本という国です。

 もう少し厳密に、国内における反省を込めていえば、その勝利は、政治の機能不全、陸海軍の「軍益」あって国家なしといった当時の状況のなかで、「必死」の特攻作戦にまで殉じて究極の奮闘をした日本の庶民の力だと私は思っています。

 上島 大雑把な物言いになってしまいますが、指導者の不作為や過怠をそれぞれ現場の庶民が救ったと私も思います。本来、国家運営に献身することが求められた政官軍の秀才エリートが、どれほど私欲や保身に走ったか。卑怯な振る舞いをしたか。大東亜戦争について、日本の庶民の命と力を活かし切れなかった指導者の過誤は不問にしてはならず、将軍・参謀たちの責任論は、同胞相食むなどということではなく、けじめをつけなければならないと思います。

 日下 昭和の陸海軍や官僚機構の問題は、今日の組織論にも通じます。国家として制度が整うにつれ学歴による選別、エリート養成コースが敷かれ、それ以外の脇道からは入れず登用されない硬直性と横並び意識が確立されていった。当然ながらエリートにも能力差はある。しかし「もう上り詰めたのだから、そこでさらに競争はしたくない」という馴れ合い、庇い合いが常態化すると、組織はそれ自体の温存を第1に考え、何のための組織かという目的が形骸化し、まさに「組織(軍や官僚機構)の利益あって日本国家なし」になってしまう。

 また、そうした組織における秀才は、一定の手順にそった課題はソツなくこなしますが、未知の事態には対応できない。わが国の歴史でその未知は何かといえば日露戦争後にわが国が到達した国力に見合う優位戦思考であり、劣位から優位になったときにどうすべきかの学習と経験が不足した。日本が不幸だったのは、学歴がなくとも、また学習しなくとも対応できる直感力や「暗黙知」をもった人間(庶民)を見出し、登用することに意を注がなかったことです。

 

安倍首相には優位戦思考がある

 上島 その意味で跳躍して現在を見ると、安倍首相はまさに学歴エリートではない強みと個性をもっていますね。

 日下 東大卒のエリートは安倍さんを見下しているところがあるかもしれませんが、安倍さんには優位戦思考があります。その実践を一例だけ挙げておきましょう。

 2007年6月、ドイツのハイリゲンダムで開催された主要国首脳会議で、安倍首相は中国に胡錦濤主席との会談を申し入れた。元台湾総統の李登輝氏が来日する予定を知っていた中国側の返事は、「李登輝が来日するのなら首脳会談の雰囲気は醸成されていない」というものでした。安倍首相は「雰囲気が醸成されていないことが、首脳会談ができないという意味ならば、李登輝さんの来日は変えられませんから、また別の機会にしましょう」と投げ返した。すると「いや、こちらは会談をやらないといっているわけではない」、次いで「李登輝が公開の場で講演するのは止めさせてほしい。その場に報道陣を入れないでもらいたい」という条件を出してきた。安倍さんは、「日本には言論の自由も報道の自由もあるから、それはできない。会談はまたの機会で結構です」と答えた。そうすると、最終的に彼らは何事もなかったかのように首脳会談の受け入れを伝えてきた。

 これについて私は、ある雑誌の対談で直接、安倍さんに確かめたのですが、安倍さんは「経緯はともかく」と断りながら、こう語りました。

「胡錦濤主席との会談が予定されていた朝、李登輝さんは靖国神社に参拝された。今度はわが外務省がびっくりして、これは会談がキャンセルになるかもしれないといってきた。しかし、胡錦濤主席も私も、何事もなかったかのように会談を行ない、李登輝さんに触れることなく相互に必要な話をした。そのとき私の秘書官が嘆息しながら口にしたのは、“ああ、こうやってこれまでは中国の要求に膝を屈してきたんだなあ”という言葉だった。偽りない彼の実感だったろうが、いってみればこれはゲームなのです」

 昔もいまも国際政治はある種のゲームです。そうしたゲーム感覚が、劣位戦の経験しかない人間にはわからない。彼らには教科書にない戦争や紛争処理のための設計(ゲームプラン)はできない。

 上島 大東亜戦争の教訓は、明治開国以後、劣位戦を勝ち抜いてきた日本が、今度はいかに優位戦思考をもつかということですね。

 日下 そうです。優位戦思考による国家運営です。

Voice 購入

2024年5月号

Voice 2024年5月号

発売日:2024年04月06日
価格(税込):880円

×