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感染者数は最大150万人…オリンピックを悩ませた"ウイルスの脅威"

2016年05月12日 公開
2023年01月12日 更新

岡田晴恵(白鴎大学教授)

 

ジカウイルス感染者数は最大150万人

2015年11月初めごろより、ブラジルで小頭症の新生児が急増していることが報告され始めた。小頭症とは胎児期から乳幼児期に脳が十分に発達せず、頭蓋骨の成長も不十分であるために、脳の機能の発達が妨げられ、知能障害、運動障害、けいれんなどが起こる先天的な疾患である。

現実には、頭の大きさが普通よりも小さい状態だけでなく、それに伴って脳の発達不全が起こり脳の組織が破壊され、重度の場合では頭蓋骨の崩壊に至る。このため、小頭症はさまざまな先天異常の集合体と理解されている。

2015年11月、ジカウイルスの感染と小頭症との因果関係が確定されていない時点で、ブラジルは国家緊急事態宣言を出した。妊婦が妊娠3カ月以内にジカウイルスを保有する蚊に刺されて同ウイルスに感染すると、新生児が小頭症を発症するリスクが高いとして、国民に強く注意を呼び掛けた。

しかし、多くの妊婦がすでに感染を受けていることが想定され、小頭症児の増加が懸念された。この宣言後も新たなジカウイルス病の患者は爆発的に増加し、2016年2月にはブラジルでのジカウイルス感染者数は最大150万人に及んでいると推定された。

ブラジル保健省によると、2015年12月27日から2016年1月3日までの約1週間に小頭症の疑いの新生児が3530人発生。この人数は、ブラジルで誕生する新生児のじつに100人に1人が小頭症にあたる驚異的な数であった。

小頭症は通常では稀な疾患で、ブラジルでの年間発生数は150例ほどであるが、これらもジカウイルス感染が原因であった可能性も否定できない。

そして、2月13日の時点で、小頭症の疑いの児は3935人となり、そのうち508人が小頭症と確認された。すでに108人が死亡。この小頭症の新生児の4割はここ6週間の期間に集中的に発生していた。3月4日時点で、ブラジルで小頭症と確認された新生児は641人、合併症による死産、流産は139人であり、さらに4222人が小頭症の疑いで調査中となっている。

この小頭症の新生児の発生とその母親の妊娠期間中(初期、中期)のジカウイルス感染との関連性が、当初より強く指摘されており、最近、これを裏付ける研究結果が次々と報告されている。

そもそも、ジカウイルス病(ジカ熱とも呼ばれる)は、蚊の吸血によりウイルスに感染し、1週間ほど(2~12日)の潜伏期間のあとに、軽度の発熱(38度以上は稀)、斑状丘疹性発疹、筋肉痛や関節痛、結膜充血等の症状が数日続き、後遺症を残すことなく治癒する、比較的軽度のウイルス感染症と考えられてきた。

2013年からの仏領ポリネシアでの流行時の患者報告では、難病の神経疾患であるギラン-バレ症候群の合併症も指摘されているが、ほとんどの場合には軽症で予後良好な疾患である。

また、8割の感染者は、感染しても症状を出さない不顕性感染に留まるとされる(検疫で侵入を止めることはきわめて困難)。したがって、医学的・公衆衛生学的に重要視されることはなく、ほとんどの人はジカウイルスの名前さえ聞いたことはなかった。

しかし、2015年12月の時点で、胎児のエコー検査、羊水診断、母親の抗ウイルス抗体検査などから、ブラジルで小頭症と報告された2401症例のうちの134例で、妊娠中のジカウイルス感染との関連性が確認され、少なくとも2例の母親の羊水からジカウイルスが検出された。この母親らは、妊娠中にジカ熱のような症状があったようである。

その後世界各地で、小頭症の新生児やジカウイルス感染例の研究が進められ、人工中絶した重度の小頭症の胎児や生後20時間以内に死亡した小頭症の新生児の脳の組織から、ジカウイルス感染の痕跡(ウイルス遺伝子、ウイルス抗原など)が認められ、その関連がさらに強く示唆された。さらに、胎盤にもウイルス感染が認められ、唾液や尿からも感染性ウイルスが分離されている。

一方、3月4日に、米国ジョンズホプキンス大学細胞工学研究所などの研究チームからジカウイルス感染実験の結果(米科学誌『Cell』『Stem Cell』に掲載)が報告され、小頭症との関連性が示された。

この論文では、ヒト神経前駆細胞(将来の脳神経細胞に分化する元となる細胞)、幹細胞、神経細胞の3種の細胞を用いて、ジカウイルスの感染実験を行なった。これによると胎児の大脳皮質の発達に密接に関わるヒト神経前駆細胞で、ジカウイルスは効率良く感染・増殖を繰り返し、莫大なコピー数のウイルスを産生した。

その結果、多くの感染細胞は死滅し、生き残った細胞では細胞の分裂や増殖が著しく阻害された。同様のジカウイルス感染が胎児でも起こっているならば、胎児の大脳の発達に深刻かつ重大な影響を及ぼすと考えられる。

これに対し、他の2種の細胞の幹細胞、神経細胞では、このような感染はほとんど認められなかった。これまで、母体のジカウイルス感染と小頭症などの臨床症状の因果関係は状況証拠の集積であり、その経過を直接に立証するものはなかったが、この報告は実験データを以てその関連性を示したことになる。

また、小頭症を起こしていなくとも、神経系に異常を起こしている場合や他の先天的な障害をもっている可能性も指摘されている。2015年8月から10月までにブラジルで報告された35例の小頭症症例によると、71%で頭囲(左右の眉直上、後方は後頭部の1番突出しているところを通る周径)が三標準偏差以下の重症例であり、先天性内反足(14%)、先天性関節拘縮(11%)、網膜異常(18%)、神経学的検査異常(49%)を認め、全数で神経画像検査異常が認められている。

このような「先天性ジカウイルス感染症」の日本における確定診断は、ジカウイルス感染症と同様に地方衛生研究所、国立感染症研究所などでの検査によってなされる。ジカウイルス感染症は、2016年2月5日に感染症法で4類感染症と指定され、国へ全数報告されることとなった。

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