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熊本地震と他者への想像力

2016年06月29日 公開
2017年04月13日 更新

清水 泰(フリーライター)

日本への恩返し

 熊本地震テントプロジェクトは4月24日、熊本県の益城町総合運動公園のグラウンド(陸上競技場)に誕生した、テント159張りという国内最大規模の「テント村」というかたちで結実した。テントは野口氏が過酷なヒマラヤ遠征の際、ベースキャンプに設営するコールマン(Coleman)社製のもの。「遠征中のわが家となるベースキャンプのテントは命に関わる大切な道具で、長期戦となればなおさら快適性を求めます」(野口氏)。大人5人が足を伸ばして横になれる大きさで、天井も高い。

 野口氏がプロジェクトで集めた資金で購入した150張りに、ホームページやフェイスブックなどの発信に応じて全国から寄せられたテントも加わった。テント内にはコールマンから無償提供された約400個のマットが敷かれ、3人以上で車中泊をしている家族から優先して受け付け、その日のうちに約500名が車とともにテント村に入居した。

「『10日間の車中泊から解放され、やっと横になれる』。そういいながら、涙を流している方々の姿を見て、それまでの壮絶だった苦しみがリアルに伝わってきました。これで少しは日本に恩返しができただろうか、と僕を支援活動に動かしてくれたシェルパ(ネパールの少数民族。ヒマラヤ登山ガイドなどを行なう)たちの『恩返しの気持ち』に思いを馳せました」と野口氏は当時を振り返る。

 じつは熊本地震の発災直後、野口氏は支援活動をするつもりはなかったという。ヒマラヤ遠征中の2015年4月25日、ネパール大震災が発生し、この1年間は「ヒマラヤ大震災基金」を立ち上げ、ネパールの被災地に通いながらテントを送るなどの支援活動を継続している。被災地支援は人びとの悲しみに向き合うことでもあり、甚大なエネルギーを使う。被災地と向き合う気力が奪われていたのだ。

 シェルパから野口氏に連絡が入ったのはそのころだった。「僕たちは日本のみんなに助けてもらった。今度は僕たちが助けたい。少ししかないけれど、お金を寄付します。ケンさんに私たちの思いを託してもいいですか」。日本円で5万円だったが、金額の問題ではない。もちろん彼らにとっては大金だ。国連開発計画によると、ネパールは1日1ドル未満で生活する割合が約20%(2010年)、国連が定めた48カ国の「後発開発途上国」の一つでもある。東日本大震災の際も、ネパール政府は毛布5000枚を提供してくれた。野口氏は彼らの恩返しの気持ちを受け止め、被災地に届けるべくテント村開設のプロジェクトを立ち上げた。

 益城町総合運動公園のテント村に多くのメディアが取材に訪れ、国内外の専門家が注目したのは、規模や物珍しさだけが理由ではないだろう。おそらく消極的理由と積極的理由の2つがあったと考えられる。

 消極的理由は、メディア取材に協力的な避難所が少ないこと。過去の災害報道でも繰り返されてきたことだが、全国から取材陣が被災地に詰めかけ、被災者からすれば「しつこく」追い回される。たとえば、ある夕方の報道・情報番組が避難所から生中継した際には、被災者と思われる男性が「見世物じゃねぇぞ」と怒鳴る場面が放送された。現在では、「ほとんどの避難所内ではカメラ取材ができない状態」(野口氏)。取材陣が排除される背景には、日に日にストレスを増大させる避難所の生活環境があるのではないか。

 テント村の場合は、むしろ逆。開設時より開設後の生活環境が改善され、入居者のストレスを軽減する方向に進化を重ねた。「総合運動公園の管理を委託された指定管理者(団体)からすると、テントの理解がないうえ、初の試みなので不安が先立つのは当然です。だからテントの安全性に直結する雨風、熱中症対策を徹底しようと決めていました」と野口氏。

 コンクリートの土台に陸上トラックと人工芝を貼ったグラウンドは、降雨後の水はけがよい。半面、テントを固定する杭を深く打ち込めない。そこでまず、長さ6mmのビスを打ち込み、次に走り幅跳び場の砂を詰めた土嚢袋をすべてのテントとスクリーンタープに重石として括り付け、さらに総社市の土木専門チームが強固な鉄筋を使ってビスを補強した。三重に固定されたテントは2週連続の暴風雨に飛ばされることなく、高さ7、8cmの入り口を越えて浸水したテントも皆無。暴風雨翌日のメンテナンスも欠かさなかった。

 安全性の確保に続いて本格的に取り組んだのが、生活環境の向上だ。東日本大震災を機に設立された私設ボランティア・チーム「フェニックス救援隊」の紹介で、NPO法人災害医療ACT研究所から最新式のポータブルトイレが寄付された。これは「ラップポン」と呼ばれ、使用するたびに排泄物がビニール袋にパッケージされ、臭いを気にせずそのままゴミ箱に捨てられる。これを女性専用の個室トイレとして大型テント内に4基設置した。町議会議員の手配で国から提供された洋式の仮設トイレ10基と合わせ、トイレ環境を充実させた。また、国際医療NGO「AMDA」の医療テントを設置し、医師の診察を受けられる体制を整えた。

 さらに、Jパックスが開発した段ボールベッドを一部の希望者のテントに設置した。畳んだ状態で現地に運べ、長さ195cm、幅90cm、高さ35cmの簡易ベッドに10分で早変わりする。ベッドを利用することで寝起きが楽になり、運動が促進されれば、エコノミークラス症候群の発症リスクを軽減できる。次に開設するテント村は、簡易ベッドとテントの国際標準を満たす避難所となるメドが立った。テント村の運営が軌道に乗ったことで、新たな避難所のモデルケースとして地方自治体に認知される契機になった。実際、5月16日に茨城県北部で震度5弱を観測した際、野口氏のもとにテント村の件で相談する電話があったという。

「テントの強みは、避難所開設までの時間が短いこと。今回のケースではテントの購入から500人余りが生活できる施設開設まで1週間かかった。今後、被災地の地元自治体でテントが用意され、設置場所が決まっていれば、雨風対策の補強は別として3時間でテントの設営自体は可能です。仮設住宅ができるまでのつなぎの施設としては十分機能します」(野口氏)

 また、テント村を野口氏らの民間と、NGOやNPO、総社市や丸亀市といった被災地から離れた行政が連携・協力しながら少人数で運営できたことの意義も大きい。なぜなら益城町のような被災地の自治体は職員も被災者であり、確実にマンパワーが不足するからだ。隣接自治体との災害時広域連携協定を結んでいても、同じく被災していれば、人手不足を補い合うことも難しい。もちろん大規模災害となれば、政府の直接的な人的支援に頼ることは可能だろうが、現場のきめ細かなニーズに対応できるか、不安が残る。

「地方自治体のニーズを共有できるのは、やはり地方自治体の職員だと思います。たとえば、テント村にローテーションで派遣され、テントで寝泊まりしていた総社市の職員には必ず課長クラスが含まれていました。彼らは総社市で災害が起きたときには現場を指揮する立場なので、自分の事として益城町で実地訓練を積んでいる。総社市民にとってもプラスだという理由で、片岡聡一市長は東日本大震災後に、全国の被災地に職員を派遣できる条例をつくったそうです。災害現場の修羅場を経験した職員は、僕らのような専門チーム、NPOやNGO、他の自治体職員と連携するコツを習得するはず。そうしないと現場を回せませんからね」(野口氏)

 

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