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童門冬二&村井嘉浩 上杉鷹山に学ぶ復興の精神

2016年12月19日 公開
2022年11月10日 更新

童門冬二(作家),村井嘉浩(宮城県知事)

「県民ファースト」で宮城と東北を元気に!

政治の「原点」を思い出させてくれる本

 村井 今回は尊敬する童門先生と対談する機会をいただきまして、非常に嬉しく思います。童門先生の『小説 上杉鷹山』は私の座右の書であり、このご本を読むことによって、つねに政治家の「原点」に戻ることができます。

 童門 ありがとうございます。上杉鷹山はいまから200年以上前の米沢藩主(山形県米沢市)で、九州の小藩から名門の上杉家に養子に入り、見事に藩財政を立て直した人物です。『小説 上杉鷹山』は私の代表作の1つであり、私も村井知事と鷹山について語り合えることを楽しみにしておりました。

 村井 童門先生のご本は私に政治の「原点」を思い出させてくれると申し上げましたが、同じく政治家としてのバックボーンになっている経験は、自衛隊と松下政経塾で得たものです。高校まで比較的、恵まれた環境で育った私が防衛大学校に進学したのは「自分を鍛え直したい」という思いからで、防大を卒業後は当然のごとく陸上自衛官に任官し、幹部候補生学校に入校しました。

 童門 幹部学校は久留米(福岡県)のほうでしたか。

 村井 ええ。

 童門 現在、私は目黒(東京都)の自衛隊幹部学校で「徳育」の講義を行なっているのですが、以前は久留米の幹部学校で教えていました。久留米の幹部学校ということは、村井知事は伝統行事である高良山の登山走(標高312.2m)も経験されたわけですね。

 村井 はい。ヒイヒイいいながら、何とか登りました(笑)。幹部学校卒業後はヘリコプターのパイロットとして、東北方面航空隊(仙台霞目駐屯地)に赴任しました。これが私と宮城とのご縁の始まりです。その後、一等陸尉に任官し、結婚して子供も生まれ、それなりに充実した生活を送っていたのですが、ちょうど昭和から平成に元号が変わったころ、PKO(国連平和維持活動)への自衛隊派遣問題が起こりました。当時の国会では「小銃は武器なのか、武器ではないのか」といった些末な議論が行なわれていましたが、われわれ自衛官からすれば、机上の空論にしか思えませんでした。

 そんなとき、たまたま目にしたのが、松下政経塾の募集広告だったんです。「志のみ持参」というキャッチコピーを見て、自分にはお金はないけれど、これなら行けるかもしれないと思い、このとき初めて政治家という仕事に強い関心をもちました。

 童門 自衛官の幹部候補生向けの講義を担当した際、防衛庁(当時)から自衛官が行なう誓いの内容を取り寄せてもらったことがあります。そのなかに「身命を賭して」という言葉が書いてあった。先の安保法制をめぐる議論にも関連しますが、「安全な戦場」なんてものは、村井知事の言葉を借りれば机上の空論でしかないことは、当の自衛官がいちばんよく知っています。紛争地に派遣される自衛官は皆、覚悟して現地へ赴くわけですから。

 村井 おっしゃるとおりです。自衛隊で私が学んだものは、究極の「ハウツー」です。相手はこちらを撃滅する意図をもっており、短時間で判断をしなければならない。そのときにどう行動するか。最初に叩き込まれたのは「任務分析」を必ずやれ、ということでした。部隊の任務や組織のなかでの地位、役割、達成すべき目標。これらを押さえたうえで、敵や自分の戦力比較や地形の分析をして作戦を立てる。このような基礎教育を長く受けました。

 次に指揮官を支える幕僚の教育として受けたのが、物事に取り組む優先順位のつけ方です。まず、時宜に適った活動をする「適時性」。2番目は、先を見通す「先行性」。3番目は、さまざまな組織や人と調整しながら同時並行的に仕事を行なう「並行性」。最後が、緻密で完全な仕事をめざす「完全性」。この順番が大事であり、よく「適・先・並・完」と覚えさせられました。

 もう1つ、先輩から教えられたのが「結論から先に述べる」ということです。「やれるのか、やらないのか、まず先にいえ。そのあとで理由を述べよ」と口を酸っぱくしていわれました。2011年3月11日、東日本大震災が起こった直後には、重要な決断を次々に下す必要がありましたが、自衛隊時代に学んだことがほんとうに役に立ちました。

 童門 時代環境はまったく異なりますが、私も旧海軍時代に学んだことがあります。いわゆる予科練(海軍甲種飛行予科練習生)として、霞ヶ浦(茨城県)畔にある土浦海軍航空隊で訓練を受けていたのですが、日本人の人間関係にはウエットなところがあり、「何をいっているか」という内容よりも「誰がいっているか」という人物を重んじる、ということを身をもって知りました。

 村井 それは私も経験上、同感ですね。

 童門 当時はまだ15、6の子供でしたが、「アイツのためなら、喜んで協力してやろう」と思われる人間にならなければいけない、と思いました。軍隊という制約の多い組織でしたが、自分なりの人格陶冶の方法を見つけたいと考え、発見も多くありましたね。

 もともと私が少年航空兵になったのは、飛行機に憧れていたからです。土浦での訓練教程を終えると、青森県の三沢基地に配属され、「第105特別攻撃隊」の一員として、出撃を待っていました。ところが、飛べる飛行機がもう一機もなかった。毎朝、沖にいるアメリカの航空母艦から艦載機がやってきて、ダダダッと機銃掃射をする。われわれは逃げまくる以外になく、生と死の境が30㎝しかない、というのが日常でした。いまでも好きで口ずさむのが、阿川弘之さんの小説『雲の墓標』の一節「雲こそ吾が墓標/落暉よ碑銘をかざれ」です。つまり、雲を墓標にして潔く散りたかった。丈夫な男の子は軍隊へ、という時代でしたが、そのようなロマンがありましたね。

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著者紹介

童門冬二 (どうもん・ふゆじ )

作家

1927年、東京生まれ。東京都庁に勤め、広報室長、企画調整局長、政策室長などを歴任。退職後、作家活動に入る。著書に、『小説 上杉鷹山』(上・下/95年、学陽書房人物文庫。96年、集英社文庫より『全一冊 小説 上杉鷹山』として刊行)、『上杉鷹山の経営学』(PHP文庫)、『名将 真田幸村』(成美文庫)など多数。


村井嘉浩 (むらい・よしひろ )

宮城県知事

1960年、大阪府生まれ。84年、防衛大学校を卒業し、陸上自衛官に任官。陸上自衛隊東北方面航空隊(ヘリコプターパイロット)および自衛隊宮城地方連絡部募集課にて勤務。92年、自衛隊退職後に松下政経塾に入塾。95年から宮城県議会議員を3期務める。2005年、宮城県知事選挙に当選し、現在3期目。

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