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童門冬二&村井嘉浩 上杉鷹山に学ぶ復興の精神

2016年12月19日 公開
2022年11月10日 更新

童門冬二(作家),村井嘉浩(宮城県知事)

個々人の努力が復興の城となる

 村井 東北の復興において、宮城県が果たすべき役割はきわめて大きいと考えています。原発事故のあった福島県は、想像もできない大変さがあろうかと思いますが、宮城県では、震災で亡くなった方のうち、5割強を占めるなど、大きな津波被害を受けました。これらを乗り越え、われわれには復興のモデルをしっかりつくり、被災地のみならず、東北の経済を牽引していく責務があるのです。先ほど述べた仙台空港の民営化についても、宮城県だけがよくなればいい、ということではなく、東北全体にいかに外国からのお客を呼び込むか、という視点で行なっています。東北の医師不足解消を目的に、全国で37年ぶりに東北医科薬科大学(仙台市)に医学部を新設したのも、東北の未来を考えてのことです。

 もともと私は「道州制」論者です。47の都道府県が角を突き合わせて競争しているのは効率的ではない、というのが持論です。国のほうは外交や防衛などに専念してもらい、国会議員の数も減らす。他方、インフラ整備や社会保障などは、「州」や基礎自治体に任せてもらう。もし「東北州」ができた場合、政治の中心は青森県や秋田県でいいかもしれない。ただ、経済的な牽引役は、やはり宮城県が担わなければならない。震災復興もつねにそうした位置付けのなかで進めております。

 童門 村井知事の発想は伊達政宗と同じだ、と思いますね。政宗は東北の奥州探題、いまでいう「東北州」の長官という意識をもっていた。支倉常長を欧州に派遣して、中央の徳川政権とは別のかたちで文物や人材の交流を行なおうとした。しかし、当時の幕府は料簡が狭く、諸藩の海外との交易を禁じてしまった。もし〝鎖国令〟がなければ、いまごろ石巻は完全な国際港になっていたかもしれない。そう思えば残念なことです。村井知事のお話を聞いていて、政宗はここに健在なり、と思いました(笑)。

 村井 いえいえ。私などは政宗公の足元にも及びません(笑)。

 童門 じつは私、震災後、一時的に腑抜けになってしまったんです。被災地の方がたいへんな苦労をされているのに、自分は何もできないというもどかしさと無力感、そして無常観でいっぱいになりました。そんなとき、テレビで宮城県南三陸町の被災者が避難されている体育館の様子を見ました。なぜか、雰囲気が明るい。1人の中学生のおかげだというんです。震災前、悪ガキだった男の子が館内を走り回って、みんなを励ましていた。その男の子は祖母に聞いたらしい。「復興って、何をすればいいんだよ」と。祖母はこう答えたそうです。おまえがいる場所で、やれることをやればいい――。

 この言葉を聞いて、目が覚める思いがしました。そうか、自分の今いる場所で、私情を交えず、手を抜かず、仕事をすることで、間接的ではあるけれど、被災地の励ましにつながっていくのだ、と。個々人の努力の小さな積み重ねがやがて大きな石垣となって、被災地の復興の城となる。だからこそ、自分の仕事に手を抜いてはならないのだ、と。

 村井 そのとおりだと思います。

 童門 私は今年で89歳になりますが、被災地の子供に教えられて、また真人間に戻ることができたわけです(笑)。かつては薪を背負って本を読む二宮金次郎(尊徳)の銅像が、あちこちの学校に立っていましたね。その金次郎が読んでいたのは、中国古典の『大学』です。この本が説くのは、修身(身を修める)、斉家(家を整える)、治国(この場合は地方を治める)、平天下(天下を平らかにする)の順序のこと。つまり、まず自分の身を正しくし、次に家のことをしっかり整え、地方の自治を確立し、最終的に天下、つまり国家の平和のために尽くしなさい、という教えです。国民一人ひとりがこのように思わなければ、東北の復興はなりません。ただそのためには、どうしても子供のころの躾が大事というか、教育が絡んできますね。大人になって急に国家のために尽くしたいと思っても、それはハリボテにすぎない。

 村井 そうですね。私が小さいころ、父もよくいっていました。お金持ちだからといって、誰も尊敬なんかしない、と。それよりも、全体のために死ねるような人間のほうが、お父さんは偉いと思う。そういう人間になってほしい、といわれたことを思い出します。
 

覇道ではなく、王道の政治を

 童門 ときどき、市長が集まる会などに呼ばれて講演することがあります。決まったように出る質問は、「いくら正しいことをいっているつもりでも、なかなか人が付いてこない、どうしたらいいか」というものです。そんな難しい問題の解決策を聞かれても困るんですが(笑)、こう答えるようにしています。1000人のうち、最初の理解者は5人ぐらいだと思ったほうがいい、と。本人のやる気が町内に徐々に口コミで広がれば、5人が10人になり、10人が100人になる。1000人全員は無理でも、半数の500人が味方に付けば、改革は成功するでしょう。

 村井 童門先生が『小説 上杉鷹山』でお書きになられているように、まずは少数でもいいから、改革の火種をつくることが大事なのですね。

 童門 そう。最初から全員が賛成する改革なんてありません。私利私欲のためではなく、天下万民のために働くリーダーのもとには、自然と人が集まってきます。その意味でも、覇道ではなく、王道の政治をめざしてほしいですね。

 村井 今回は童門先生から直接、お話をうかがうことができて、感動いたしました。ご多忙のご様子で、なかなか時間が取れないのではないかと、心配しておりました。

 童門 そんなことはありません(笑)。

 村井 今日、童門先生にサインしていただいたご本は、親父にも必ず見せるつもりです(笑)。冒頭でも述べましたが、童門先生の『小説 上杉鷹山』が私の傍にあることで、いつでも「県民ファースト」という原点に戻ることができます。加えて、私は「遠方目標」ということを大事にしています。ヘリコプターは遠方目標を捉えておくことで、突発的な風で流されても、本来の位置を見失わずに進むことができる。同様に、つねに政治の原点と復興における遠方目標を見誤らないようにしておくことで、宮城県の復興が可能になると考えています。私は宮城と東北を元気にすることで、日本に対する恩返しがしたいんです。

 童門 私の本をご自身の志と結び付けて行政に活かしていただいていることを嬉しく思うと同時に、頼もしく感じますね。これからの村井知事のご活躍を心から願っております。

著者紹介

童門冬二 (どうもん・ふゆじ )

作家

1927年、東京生まれ。東京都庁に勤め、広報室長、企画調整局長、政策室長などを歴任。退職後、作家活動に入る。著書に、『小説 上杉鷹山』(上・下/95年、学陽書房人物文庫。96年、集英社文庫より『全一冊 小説 上杉鷹山』として刊行)、『上杉鷹山の経営学』(PHP文庫)、『名将 真田幸村』(成美文庫)など多数。


村井嘉浩 (むらい・よしひろ )

宮城県知事

1960年、大阪府生まれ。84年、防衛大学校を卒業し、陸上自衛官に任官。陸上自衛隊東北方面航空隊(ヘリコプターパイロット)および自衛隊宮城地方連絡部募集課にて勤務。92年、自衛隊退職後に松下政経塾に入塾。95年から宮城県議会議員を3期務める。2005年、宮城県知事選挙に当選し、現在3期目。

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