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受動喫煙防止法は実現するのか

2017年01月28日 公開
2017年05月15日 更新

飲食店経営者の損失

 受動喫煙防止対策の法制化にまつわるもう1つの疑問点は、飲食店などの経営者に与える損失についてである。

 日本では2010年4月1日、県内飲食店の禁煙もしくは分煙を定める「神奈川県公共的施設における受動喫煙防止条例」が施行された。

 これを受けて2011年2月18日、マーケティング調査会社の富士経済が発表した「受動喫煙防止条例がもたらす需要変動の実態」によれば、神奈川県における同条例による経済波及効果は2010~12年の3年間でマイナス237億円。全国で同様の条例が施行された場合、同じく3年間でマイナス4880億円もの経済損失が発生する。なかでもいちばん悪影響を受けるのは「外食産業」だという。

 同条例による影響はどの程度なのか。日本フードサービス協会(JF)を訪ね、話を伺った。同協会は1974年、外食産業の発展と食文化の創造を目的に農林水産省の認可を受け、設立された。正会員、賛助会員計800社が加盟し、外食産業関連では最大規模の組織である。

 同協会の石井滋・業務部部長が語る。

「受動喫煙防止条例の施行後、たとえばファミリーレストランなどでは禁煙化で客離れが起こる半面、新しいお客さんも増えた、という話を聞きます。

 しかしバーやスナック、居酒屋などの社交飲食業や、喫茶店では事情が異なります。私たちが加盟社を対象に行なったアンケート調査では、禁煙の実施によって売り上げが約4割下がった、という回答も寄せられました。もし仮に『建物内禁煙』や『敷地内禁煙』が法制化された場合、飲食業界にマイナスの影響が出ることは明らかでしょう。とくに、全飲連(全国飲食業生活衛生同業組合連合会)組合員のように地域密着で個人経営を行なっている飲食店が全面禁煙を行なえば、たばこを吸う常連客を失ってしまう。経営者にとっては死活問題です。チェーン店であっても、基本的な事情は変わりません。店舗の経営者はフロア別・時間帯別に喫煙席と禁煙席の配置を細かく変えるなど、禁煙や分煙のオペレーションに心を砕き、工夫を重ねています」

 こうした努力の結果、現在の分煙環境が守られているわけだ。

「付け加えるなら、もし一律の全面禁煙ということになれば、エアーカーテン(空気を噴流することで煙が流れてくるのを遮断する装置)など分煙のための設備投資も無駄になってしまうでしょう。私たち飲食業はサービス業です。多様なニーズに対応するために努力し、喫煙者の方にも非喫煙者の方にも、バランスよく快適な空間と時間を提供しなければなりません。今回、受動喫煙防止対策強化検討のきっかけは2020年の東京オリンピック・パラリンピックである、と聞いています。そうであるならなおさら、私たち飲食業に携わる者は海外からの愛煙家の方もたばこを吸わない方も満足できるサービスの多様性を大事にすべきだと考えています」

 右の言葉には思わず膝を打った。飲食店にとって、サービスの多様性とその構築は生命線とも呼ぶべきものなのである。この経営者の懸命な努力に対して、「お客ごとにいちいち対応するのは大変なので、いっそ禁煙のみにしたほうが簡単なんじゃありませんか」と述べたチームワーキンググループ構成員の言葉の、何と乱暴で軽いことか。

 さらに、このたびの公開ヒアリングでは「関係団体は自分たちの商売の利害だけを訴えている」「雇用する従業員のニコチン被害をどうするのか」という批判や疑問の声が聞かれた。「たとえば従業員が店内の喫煙室に入り、灰皿を片づけなければならない、という仕事が発生する場合、あらかじめ雇い入れ時に説明し、納得したうえで働いていただくことは可能です。私たちの仕事はお客さまあってのものです。たんに事業者と従業員の二者関係だけで成り立っているわけではなく、お客さまを無視して営業はできません。当然のことながら、従業員や国民の健康を軽視しているわけでもありません」(石井部長)。

 取材の帰途、石井氏にいただいた資料『外食産業データ ポケットブック2016』を開くと、「外食産業市場と国民医療費の推移」のグラフに目が止まった。「外食産業は衣食同源の考え方を忘れずに、(中略)国民の食生活に寄与し、増え続ける医療費の抑制に貢献できるように努力を続けていきたい」(同ポケットブックより)。健康への思いは皆、同じなのだ。

 

外国の真似をすればよいのか

 現在、厚生労働省が実施をめざす「イギリスと韓国の混合型の制度」について、同省の健康局健康課長は、外国の論文を見ると、禁煙を実施した国の飲食店で経営に悪影響が生じたという調査結果は見られない、との見解を述べている(2016年11月16日、公開ヒアリング)。

 厚生労働省には経営者の悲鳴が届いていないようであるが、たとえば韓国ではいま自営業者の倒産ラッシュだ。「一時は620万人まで増えた韓国の自営業者数が20年前の水準にまで減少したことが韓国統計庁の調べで分かった。昨年(2015年)の韓国の自営業者数は、前年比8万9000人減の556万3000人だった。年間の減少幅としては2010年以降で最大」(『朝鮮日報』2016年2月22日)。韓国ですべての飲食店が全面禁煙になったのは2015年1月1日である。

 また、同年1月29日『朝鮮日報』の記事にあるように、ソウルの飲食店では全面禁煙の実施にともない、店員や客の暴力などトラブルが頻発している。韓国やイギリスが先進的であり、日本は遅れた国といわんばかりの主張に傾くのは危険である。イギリスではパブが禁煙だが、屋外やテラスで吸うことは可能である。路上禁煙や歩行禁煙など屋外禁煙を行なっていて、テラス席もほとんどない日本でさらに建物内禁煙、敷地内禁煙を徹底することで何が起きるのか、思いを致すべきだろう。

「いま冷静に考えるべきなのは、罰則付きの条例をつくることで本当に受動喫煙対策の実効が上がるのか、という点です。先ほど申し上げた神奈川県に加え、兵庫県でも2013年に『受動喫煙の防止等に関する条例』が施行されました。しかし実態を見ると、条例ができたから禁煙が広まった、という状況には必ずしもなっていません。先ほど申し上げたように、飲食店が個々の営業努力で禁煙や分煙の取り組みを行なっているのが実情です。法律をつくればそれをステップに受動喫煙が撲滅される、という発想はやや単純ではないでしょうか」(石井部長)

 受動喫煙防止対策が必要という点では一致しているものの、具体的な対応をめぐってはさらなる議論が必要と思われるこの問題。いま一度、日本の社会と経済全体のバランスに目を配り、現実に立脚した対応を望みたい。

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