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医者の指示で生活習慣は変わらない



2018年03月23日 公開

名越康文(精神科医)

取材・構成:清水泰(フリーライター)

※本記事は『Voice』2018年4月号、名越康文氏の「医者が健康を決めるな」を抜粋・編集したものです
 

どうしようもないセンス

――NPO法人(現・一般社団法人)「日本禁煙学会」が2013年8月12日に、当時公開中だった宮崎駿監督作品の『風立ちぬ』でのたばこ描写に苦言を呈する要望書を公表しました。この要望書をご覧になった名越先生は、8月15日にツイートを連投されました。

「医者ってこんな偏狭な時代感覚、芸術観なんだろうか……と自分も医者だけに理論的ではない負の仲間意識が頭をもたげて仕方ない。今夜だけは何か腹の底から寒く感じる事件でした」
「医者嫌いになりそ、医者のくせに」
 

名越 僕はめったに固有名詞を挙げて批判的なツイートをすることはありませんが、このときだけは書いてしまいましたね。ただ、内容としては禁煙学会を直接的にあげつらわない表現にとどめたつもりでした。野暮なことを申してすみませんでした、同じ医者として謝りたいという気持ちになりました、ということですね。ちなみに僕自身は非喫煙者ですが、愛煙家が傍にいて喫煙していてもストレスは感じません。

じつはたばこ問題というのは、「他者が人の生き方、生き様にどこまで干渉できるのか」に直結する難問だと思います。にもかかわらず、時として「たばこは身体に悪いから吸うな」とか「副流煙が他人の健康を害する恐れがあるので社会から排除しろ」という、とても乱暴な議論になってしまうことがあります。

そもそも僕は、物事を善と悪に分ける単純な二元論思想が嫌いで、その思想に沿ってたばこ問題を論じるのであれば、何も発言したくないんです。言葉を発する以上は人にある行為を勧め、他人に影響を与えようという意図がどこかにあるわけですから、あえて何か言葉に出すのであれば、やはり自分ではないと伝えられないかもしれない、と思うことを伝えたい。もうほとんどの人がご存知の、いわずもがなの明白な議論をしたくはないわけです。喫煙や受動喫煙の健康への影響については、プラスもマイナスも含めてインターネットや本などに完璧なほど書かれている。ですから、個人個人で読んだうえでそれぞれが判断してください。僕が積極的にいえることはそれだけですね。
 

――また、続けて先生はこうツイートされています。

「僕は科学の恩恵で生まれた20世紀の子だが、科学自体が必然的に持つ、どうしようもないセンスの悪さが見事に露呈したのが、あの禁煙学会の話だと感じたからだ。つまり科学とは読んで字のごとし部分の学だからだ」

「部分を見て全体性を見ない態度は、本人にはもう分かりようがない。部分の学にのめり込み、そこに安心や権威さえ見出してしまった偏狭な意識には、もはや全体性つまりセンスなどどうでもいい空虚な理想にしか見えなくなる。奇妙に思うかも知れないが、これはそういう人間の生命の輝きの息の根を止める」

「つまりセンスとは、決して学問や仕事をパツパツ(近視的)にしていては得られない。逆にそれらを成す時のある余地、ウイットから差し込んでくる、全体を見渡す光のことである。科学主義はその才能をかなりの確率で摘む。再生は、摘む行為の千倍難しいと謂わねばならない」

名越 たばこを悪とするだけの思想は、部分だけを見て全体性を見ない態度であり、僕個人として当時、受け入れ難かったわけですね。そのいわば「井の中の蛙」ぶりが露呈したからこそ、ヘビースモーカーの主人公が肺結核を患っているヒロインの傍で喫煙する『風立ちぬ』への狭量な苦言は、冷ややかな視線に晒されることになると思いました。文化に平気で介入する野暮さ、映画全体を観ずに枝葉末節に難クセをつけるセンスのなさを大衆は見抜いて「やっぱりお医者様やね。ハハハ」と嗤う声が僕には聞こえてくる気がしたんですね。

――たしかに嫌煙派の人たちは、たばこは悪という「部分の学」にのめり込み、そこに権威を見出して喫煙規制の強化を強硬に主張しています。なぜ、もっと全体を見て発言しようとしないのでしょうか。

名越 たばこは悪で有害だ、受動喫煙は絶対許されない、と主張すれば一人前の学者になったような気分を2秒くらい味わえるから、でしょうか。僕の貧相な想像力ではそれくらいしか考えられません。そういう善悪二元論や部分の学が世の中に蔓延すると、人間がもっと危険な方向に行ってしまうことにもつながるのではないか、と思うんですけどね。僕は人間として生まれた以上、もう少し入り組んだ文化の厚みと共に生きていきたいし、そこで考えたことを人に伝えることに決して長くはない人生の時間を使いたいですね。

 

自力と他力のバランス

――「部分の学」と「全体性(センス)」という話は、部分の学に陥りがちな現代医療の在り方にも通じるものがあるように思います。私たちは身体の不調を感じて病院へ行き、医者に「こういう病気だからこうしなさい」といわれるわけですが、そこで患者や人にとっての健康と医者の考える健康、あるいは医者にとっての病気の処方箋と患者が望む処方箋に、齟齬が生じているのではないでしょうか。

名越 この問題は少し複雑だと思うので、意見を申し上げますね(笑)。現代医療の問題点の一つは、医者側が処方する「他力」の要素が強すぎ、患者側の「自力」の要素が弱すぎることです。

現代医療では、詳細に患者のデータを収集分析し、特定の病気の診断を下します。そのうえで投薬や手術といった治療に加え、生活習慣全般の改善や制限を患者に求めます。いや実際にはただ処方して、生活習慣に潜む問題点を話し合わないケースすらありますけれど。

どちらにしても医者がその際、時として患者本人の生活習慣や趣味・嗜好をまったく考慮に入れず、悪い数値が出たからといって「たばこはだめ、お酒は制限してください、就寝時間は何時に変えてください」と定型的に決めつけてライフスタイルの改変を指示する。健康を強制するあまり患者の現状と乖離してしまい、結果として別の病気に罹ってしまう、という本末転倒すらありえます。

医者のほうは患者を全人間的に見るセンスに欠落があり、一方の患者側も、権威である医者のいうことを聞かざるをえない。こうして医者の前では「守ります」といいつつ、まったく生活習慣を変えないという面従腹背が横行することになります。

僕は誰にも無理に生活習慣を押しつける気はありませんし、だいいちそんなことをしても効果がない。だからこそ、医者と患者は対等であるべきだと思っています。

――患者の心身が健康であるためにも、医者と患者は対等にならなければいけないのですね。

名越 本来は対等であるべきですが、日本の現状を考えるとまあ、百年くらいは無理でしょう。もちろんいまでも対等な関係を築いて、お互いを尊敬し合い、分をわきまえて患者さんに話をしている先生はおられます。しかし医療全体が変わるにはそうとう時間がかかりますから、少しでも患者さんと対等に話のできる医者が多くなってくださったら個人的にはうれしいですし、僕自身も自戒したいです。

ただ「対等」というのは、医者が患者の要望をすべて聞き入れることではありません。たとえば毎晩、多量の飲酒や夜更かしをして、翌朝はヘトヘトの状態で会社に行き、職場環境も悪いところで働いていて、本人に精神的あるいは身体的な変調、兆候が出ているような患者さんがいるとしましょう。

医者としては患者の健康を考え、生活習慣や働き方の改善をアドバイスします。しかし、患者さんは「いや私はこのままの生活習慣を変えたくない」という。その際、相手の顔を見て「この人は甘えていっている」という場合と、「覚悟していっている」ときの区別ができる場合があるんです。

前者なら再度、生活習慣の改善を促すかもしれないし、覚悟のうえなら、僕であれば「そうですか。何か気持ちや状況が変わったらまたぜひおいでください」と助言するかもしれません。

――まさに患者の全体を見て判断するセンスが医者にも必要ですね。

名越 そうだと思います。甘えでいっている場合も、本心では「変えたい」と思っている可能性もあるので、医者のいうことを聞くところまで自ら成熟してもらうよう見守り続けることも必要です。

長年、続けてきたライフスタイルを「一気に変えろ」とよく知らない医者からいわれて「はい、そうします」とはならないのが普通でしょう。誰だって、頭ではわかってもつい子供返りして駄々をこねてしまうような部分をもっています。だからこそ、医者は人間が子供返りする弱い部分をもっていることを認めたうえで、患者さんの甘えを許容するか、時間を置いてもう一度話し合うか、をケースバイケースで判断しないといけない。

――医者と患者が対等になれば、日本医療の問題は解決しますか。

名越 僕の人生経験からすると、理念や理想が現実に叶い始めてしばらくすると、それはそれですごい息苦しさが出てくると思います。医者と患者の8割、対等が実現したくらいのところで「患者の意見が対等って、すごく窮屈じゃない?」となるものなんですよ。そうなったら、僕は「もう少し医者の力が強くてええんちゃう?」と前言を翻すかもしれない。要はバランスが大切なんです。

――現状は医者側が圧倒的強者の立場で、医者にとっての正解や善を患者に強いる医療が横行し、その弊害が大きくなっているのですね。

名越 今世紀のうちに、患者の自力と医者の他力の割合が50:50くらいになれば、患者にとっても医者にとってもやり甲斐があって、幸せな医療環境になるのかな、と個人的には思っています。僕は手術をしませんけれど、手術なんてまさに医者に任せないといけない部分が大きい。ここでも自力と他力のバランスが重要です。たとえ医者任せの場合であっても、先ほど述べたように医者は患者の生活習慣を無理やり変えさせることはできませんから、やはり本人に自覚して変えてもらうしかありません。

現在はあまりにも医療に占める他力の割合が大きすぎて、患者さんの生活習慣が変わるためのノウハウが医者と患者の双方に不足しています。患者側の伝え方はもちろん、医者側の提案の仕方も圧倒的に未熟だと思います。

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著者紹介

名越康文(なこし・やすふみ)

精神科医

1960年、奈良県生まれ。相愛大学、高野山大学客員教授。専門は思春期精神医学。近畿大学医学部卒業後、大阪府立中宮病院(現・大阪府立精神医療センター)精神科主任を経て、99年退職。引き続き臨床に携わる一方、テレビ・雑誌・ラジオなどのメディアで活動。近著『僕たちの居場所論』(角川新書)など著書多数。

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