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医者の指示で生活習慣は変わらない

2018年03月23日 公開
2023年09月12日 更新

名越康文(精神科医)

人間理解から始めるべき

――生活習慣と一口にいっても、その人にとって変えやすいものと変えにくいもの、人生において譲れるものと譲れないものがありますよね。

名越 そうなんです。かといって、患者さんに微に入り細に入り、しつこく聞くだけでもうまくいかない。医者は直感や阿吽の呼吸や表情も含めて過不足なく聞き出し、「まずはここからやってみませんか」と提案する。いい意味での駆け引きがあるのが、本来の医療に近い姿ではないでしょうか。

――たとえば喫煙の習慣は変えたくないが、飲酒を控える(あるいはその逆)ことはできる、という患者さんもいるはずです。そうした患者のニーズを無視して、身体に悪いことは全部やめて治療に当たれ、という医者をどう思われますか。

名越 善悪二元論で考えるような医者がいるとすれば、人生の経験値が低いとしか思えません。患者さんにはそれぞれの立場や見識、人生設計があり、医者が否定する権利はありません。たばこをやめないからといって、高圧的に「あなた、肺がんになってもいいんですね」というのは馬鹿馬鹿しい話です。いったいどこに、好き好んで肺がんになりたいという人がいますか。

植木等のスーダラ節じゃないけれど、「わかっちゃいるけどやめられない」のが人間の本質(笑)。僕を含めたすべての医者だって、一人の人間として「わかっちゃいるけどやめられない」ものがある。健康を損ないたくないけど、たばこを吸っていたいというのは人間である以上、当たり前の心情です。

全体性を見るセンスというか、人間を総合的に診て、禁煙が無理ならこんな食べ物を食べましょうとか、早寝早起きだったらできますか、とか、患者さんの生き方に合うソリューションを提案するのが、プロの医者ではないでしょうか。

――とくに昨今の喫煙者は肩身の狭い思いをしていますから、医者の言い方にも注意が必要ではないでしょうか。

名越 50代半ばの喫煙者の友人がいて、先日、飲み会でたばこを根元まで吸っているのを見て「ちょっとハラハラするねんけど」というと、彼の表情が変わりました。いまの時代、喫煙者はどこか自分を責めながら吸っているところがあって、「身体に悪いとか、わかりきったことをおまえほどのキャリアの医者がなんでいうねん。この未熟者め」みたいに諭された(笑)。相手は人間の心そのものであり、部分の学の正論は、実社会ではほとんど通用しません。だから医者はまず人間理解から始めるべきなんです。

 

心と身体を一体に見る

――先進国の国際標準の医療は「全体を見る」統合化に向かっているのでしょうか。

名越 アメリカの大学の医学部に勤める日本人の教授と話した際、「ライフスタイルとがんに密接な関係がある」という見解がどんどん出てきている、という話を聞きました。つまり、人間がどんな病気になりやすいかという体質と、その人の生き方・生き様が深く関わっている。そういう意味では、医者は本来、生き方をめぐる話ができないといけない。昔、漢方医学の名医と呼ばれた人たちは、まさに患者の生き様すべてを見て処方を行ないました。

近代医療の中心である科学は「切り分けて結果を出していく」手法を取りますから、全体には無頓着になりがちです。科学には科学の良さがあるのも確かですが、それらを統合して、患者個人に合った個別のレシピを考えていくのが、人間たる医者の役割だろうと思っています。

――そのなかで、名越先生のような精神科医の立ち位置を教えてください。
 

名越 精神科医をはじめとして、ストレスコントロールや心と身体を一体に見る医療が世界の潮流である、と僕は感じています。身体の病気の根本には「心身のストレスがある」ということ。アメリカの医療界ではすでに常識として、ライフスタイルにおけるストレスの問題を視野に入れた医療に取り組んでいます。

――生き方・生き様の問題になってくると、やはり「生活習慣を改めよ」という話に戻りますね。

名越 じつはそうなんです。でも、いきなりその人の趣味・嗜好にまで口出しするというよりは「1日7時間以上の睡眠がいい」とか「朝食をしっかり取る」とか、ごくシンプルな生活改善の基本こそ大事だと思います。たとえば、その生活改善によって本人が気持ちいい朝を迎えられるかどうか、という類いのことです。

実際、僕はこれまで5000人くらいの患者さんを診てきたけれども、他人に押しつけられた指導で生活習慣を変えた人なんて一人もいませんよ(笑)。約30年の臨床経験でゼロ。それができる患者さんは結局、自身の内部で何らかの動機付けが働き、自力でライフスタイルを変えられた人なんです。つまり患者さんをいかにその気にさせるか、が臨床医の主要テーマでもある。だからこそ深い人間理解が求められるし、人間観がなければできない仕事です。

専門知識や経験、権力をもっているから患者を自分の意のままにできると信じている医者がもし仮にいるとしたら、そういう人は井の中の蛙ですね。え、どうしたらよいかですか? たとえば医師免許の資格認定を緩くして医者の数を3倍くらいに増やすとか。もちろん冗談です(笑)。それは制度としても実態としてもかなり大きなリスクと混乱が生じるから、無理でしょうけれど。でもシミュレーションとして考えてみることも、自戒の意味もあり一つの勉強になる。もちろんそうすると企業の競争と同じで、客に選ばれない医者や病院はどんどん淘汰されるでしょう。医師免許の価値がそれだけ下がったときに、医者は初めて人間である患者のことを深く知ろうとするはずです。いまの医者は僕も含めて、人間を総合的に観察しようという動機が不十分かもしれません。それは医者個人の問題というよりも、医者が置かれた状況の影響が大きい。

医者の多くが人間を総合的に観察するようになれば、無意味な強制や診療ミスも減るのではないか、と思います。

著者紹介

名越康文(なこし・やすふみ)

精神科医

1960年、奈良県生まれ。相愛大学、高野山大学客員教授。専門は思春期精神医学。近畿大学医学部卒業後、大阪府立中宮病院(現・大阪府立精神医療センター)精神科主任を経て、99年退職。引き続き臨床に携わる一方、テレビ・雑誌・ラジオなどのメディアで活動。近著『僕たちの居場所論』(角川新書)など著書多数。

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