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<連載>「パラアスリートの肖像」第8回 謙虚な勇者たち <須藤悟(パラアイスホッケー日本代表キャプテン)>後編

2018年04月10日 公開

山田清機(ノンフィクション作家)、人物撮影=尾関裕士

 

(前回までの内容はこちらから)

 


平昌パラリンピック代表メンバー(写真:編集部)

 

引きこもり

 日本代表の、目下最大の課題はメンバーの若返りだろう。強豪のカナダ、アメリカには10代、20代の若い選手が多いが、日本代表の平均年齢は実に41・6歳。キャプテンの須藤悟は47歳、平昌パラに出場するゴールキーパーの福島忍にいたっては、実に61歳という高齢である。全国に40人ほどしかプレイヤーがいないのだから致し方ない面もあるが、この平均年齢で世界と戦うのは相当に厳しい。

 日本代表の若手選手たちは、こうした現状をいったいどう考えているのだろうか。共に30代で、東京アイスバーンズのチームメイトでもある児玉直と南雲啓佑に話を聞いた。

 埼玉県の川越市役所に勤める児玉は、1986年生まれの31歳。小学4年でミニバスケットを始め、中学時代はバスケット部に所属していたが、中3のとき右膝に異変を覚え、検査を受けると右膝の上部に骨肉腫ができていた。右脚の関節部分を切除して人工関節を入れて、下肢とつないだ。後に須藤と同じ回転形成術を受けたため、現在は義肢をつければ二足歩行ができる。

「バスケットが好きだったので、車椅子バスケという選択肢もあったのですが、高校、大学と車椅子の友だちとも、障害者の友だちとも出会うきっかけがなかったので、どこにやりに行けばいいのかわからなかったのです」

 児玉はその理由を、

「引きこもりだったので」

 といって笑う。

 バスケはやっていたものの、休日はほとんど家にこもって漫画とゲーム三昧の生活だったというのだ。大学時代は塾の講師のアルバイトに明け暮れていて、スポーツとは縁がなかった。

 そんな児玉がパラアイスホッケーと出会ったのは、川越市役所に入庁した後のことだ。同じ役所の先輩に、バンクーバーパラの銀メダリスト、遠藤隆行がいたのである。中北浩仁(パラアイスホッケー日本代表監督)がいう〝世界最速の男〟、遠藤だ。

「社会人になって、何でもいいからスポーツをやりたいと思っていたので、練習は夜遅い時間帯だといわれましたが、やっちゃう? みたいな軽い気持ちでした。メダリストとプレーできるのも魅力でした。だって、サッカーを始めたいという人が、いきなり本田圭佑とプレーできるっていわれたら、そりゃ行くでしょう」

 児玉は2012年から本格的に練習を始めている。毎週、土曜日の深夜から早朝にかけて練習があるので、日曜日はひたすら眠るだけ。練習は寒くて辛かったし、気持ちいいという感覚もなかったが、もともと土日は引きこもり生活だったので、土日が潰れることには抵抗がなかった。

 2015年に日本代表として米国のバッファローに初の海外遠征をはたし、2017年にスウェーデンで行われた平昌パラの予選にも参加した。だが児玉の話から日の丸を背負っているという気負いは、あまり感じられなかった。

「自分が上手くなっていくことがうれしいんです。海外チームとの試合でも、いいプレーができるほうが楽しいですし」

 パラアイスホッケーと出会えなかったら、児玉はいったいどんな生活を送っていただろうか。

「引きこもっていたんですかね。いろいろな国に行くなんてこともなかったでしょうし。だって、パラアイスホッケーを始めるまでは飛行機に乗るルールさえ知らなくて、スケートの刃を手荷物に入れて機内に持ち込もうとしたりしていたんですから(笑)。この競技に出会って、自分が成長するのを実感しています。引きこもりじゃ、絶対に得られなかった経験をしていると思います」

 もうひとりの若手、南雲啓佑は1985年生まれの32歳である。

 南雲は大学卒業後大手メーカーに勤めていたが、25歳のときに階段から転落して背骨を折る大怪我を負ってしまう。怪我の直後、搬送先の病院で緊急連絡先を聞かれたが、親に自分の姿を見せたくなかったという。

「とりあえず頭をよぎったのは、当時、営業部隊にいたこともあって、こんな体になってしまって仕事は続けられないだろうということでした。翌朝、病院に来た両親の顔を見たら、がんばらなくちゃいけないと思って、がんばるよというと、両親も泣きながらわかったわかった、やれることをやっていこうって……」

  南雲が声を詰まらせた。南雲のなかでは大怪我を負った日の記憶が、まだ生々しい色彩を放っているようだった。

「3、4日、集中治療室にいたのですが、そこに会社の部長がきてくれて、俺が復職できるように段取りをしてやるから戻ってこいといってくれたんです」

 再び、南雲が声を詰まらせる。南雲は周囲の人々の支援に対して、強く恩義を感じるタイプらしい。

 児玉と同じように、南雲もスポーツ少年だった。小、中では野球をやり、高校では短い期間だがラグビーを、大学ではバスケをやった。怪我を負ってからも、チェアスキーを楽しんでいた。

「急性期の病院に1カ月ほどいてから厚木の山奥にある神奈川リハビリテーション病院に転院したのですが、神リハはチェアスキーに力を入れている病院でした。僕はチェアスキーを通して、田中純二(東京アイスバーンズ所属)と知り合ったのです」

 須藤がパラアイスホッケーは「人と人の出会い」だといった意味が、ようやくわかってきた気がする。パラアイスホッケーは、障害者にもその存在をあまり知られていない。選手たちの多くは、リハビリ中の病院や職場で紹介や勧誘を受けることによって、初めてこのスポーツと出会っているのだ。「人と人の出会い」だということは、裏返していえば、それ以外の出会い方はほとんどない、ということでもあるわけだ。

 南雲は車椅子バスケにトライしたこともあったが、いまひとつハマらなかったという。では、パラアイスホッケーのどこに魅了されたのだろうか。

「車椅子って普通、氷の上に乗りませんよね。僕はスケートリンク独特のピリッとした空気感とか、氷の匂いとか、そういう非日常感が好きなんです」

 2015年からパラアイスホッケーを始めた南雲には、超えなくてはならない高い山がまだまだたくさんあるという。パラアイスホッケー存続のための普及活動も、高い山のひとつだ。

「正直言って、分不相応にすごいことをやらせてもらっていると思うんです。だからこそ、やれることを必死でやらなければいけない。僕たち若手がボトムアップして、高い山に食らいついていかないと……」

 国際試合の開始直前、円陣を組んで「日本、日本、日本」と掛け声をかけるとき、南雲は「(日の丸を)背負ってやっている」ことを強く意識するという。

「諸先輩方を見ても、彼らは障害者ではなくアスリートなんだと感じます。アスリートはスポーツへの取り組み方が違うし、積み重ねてきた能力が違う。平昌に向けて、いったい自分は何をすべきかを常に考えています」

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著者紹介

山田 清機(やまだせいき)

ノンフィクション作家

1963年、富山県生まれ。1987年、早稲田大学政治経済学部卒業。鉄鋼メーカー、出版社 勤務を経て独立。著書に『卵でピカソを買った男』(実業之日本社)、『青春支援企業』(プレジデント社)、『東京タクシードライバー』『東京湾岸畸人伝』(ともに朝日新聞出版)など。

須藤悟(すどうさとる)

パラアイスホッケー日本代表キャプテン

1970年、北海道苫小牧市生まれ。97年、北海道内で唯一のアイススレッジホッケー・チーム(現:パラアイスホッケー・チーム)「北海道ベアーズ」に加入し、パラアイスホッケーを始める。2002年、DF(ディフェンス)としてソルトレイクパラリンピックの日本代表に選出されたのち、トリノパラリンピックへの出場を果たし、続くバンクーバーパラリンピックでは、銀メダルを獲得。現在、日本代表チームのキャプテンを務めている。

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