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宇都宮徹壱 サッカー日本代表「終わりの始まり」

2018年06月06日 公開
2018年06月06日 更新

宇都宮徹壱(ノンフィクションライター)

伏線となったJFAの会長選挙

いわば三顧の礼で迎えられた、ハリルホジッチ監督。しかしW杯予選突破までの道のりは、決して平坦なものではなかった。ホームでの2次予選初戦、対シンガポール戦は圧倒的にゲームを支配しながら0対0のドロー。最終予選初戦の対UAE戦でも、ホームにもかかわらず1対2で敗れてしまう。

一時は「6大会ぶりの予選敗退」も懸念されたが、その後はチームの立て直しに成功。また予選突破を決めた8月31日のオーストラリア戦では、過去の予選で一度も勝てなかった難敵を撃破しただけでなく、浅野拓磨や井手口陽介といった若手がゴールを決めたことで、世代交代が順調に進んでいることも強く印象付けた(なお、これまで主力だった本田や香川真司は、この試合をベンチで見守った)。

さて、日本代表がW杯予選突破をめざしていた16年1月、のちのハリルホジッチ監督解任の伏線となる、JFAの会長選挙が行なわれている。立候補したのは副会長の田嶋氏と専務理事の原博実氏(いずれも当時)。原氏は技術委員長時代に、アルベルト・ザッケローニ氏とアギーレ氏の交渉に当たり、いずれも日本代表監督に迎え入れた実績をもつ。

そして、ハリルホジッチ氏を招聘したのが、原氏から技術委員長の任を引き継いだ霜田正浩氏。この原・霜田ラインこそが、日本が海外から有能な指揮官を招く、いわば「生命線」となっていたのである。

2015年のハリルホジッチ監督就任会見。向かって右側が霜田氏©tete_Utsunomiya

結局、JFAの新会長に選出されたのは田嶋氏であった。結果を受けて、原専務理事はJFAでの地位を失うことになり、Jリーグの副理事に就任。さらに霜田技術委員長も「ナショナルチームダイレクター」という新設された役職に異動となり、新たな技術委員長には西野氏が迎えられた(霜田氏もその後、JFAを去っている)。

かくして、原・霜田の後ろ盾がいなくなってしまったことで、ハリルホジッチ監督は孤立を深めることになる。加えて、西野氏の技術委員長就任もまた、およそ適切な人事であったとは言い難い。指揮官としての実績は十分の西野氏だが、裏方業務が主となる技術委員長は、求められるスキルがまったく異なるからだ。

もし、霜田氏が技術委員長のポジションにとどまっていたら、田嶋会長がいうところの「選手とのコミュニケーションや信頼関係」の問題は、未然に防ぐことができたのではないか。もちろん、いまとなっては詮なき話だが。

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