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聴くたびに涙があふれるピアノソナタ

2018年07月26日 公開
2023年05月24日 更新

百田尚樹(作家)

クラシックのレコード・CDを2万枚以上持っている本屋大賞作家・百田尚樹が、「人類が残した最も偉大な曲」と讃える名曲の魅力を語る。

 

200年後の聴衆のために

ベートーヴェン(1770―1827)にとってピアノソナタは特別な曲であると思う。

彼は56年の生涯で、交響曲、協奏曲、ピアノソナタ、弦楽四重奏曲、オペラ、声楽曲、ヴァイオリンソナタなど、あらゆるジャンルの曲を書いた。そしてすべてのジャンルで大傑作を残した稀有な作曲家であるが、彼が生涯にわたって愛し、書き続けたジャンルがピアノソナタである。

もともとベートーヴェンはピアニスト志望だった。生まれ故郷のボンからヴィーンに出てきた16歳の頃は、素晴らしいテクニックで聴衆たちを熱狂させている。当時はピアニストの公開対決というものがよく行われていて、ベートーヴェンはそれにも連戦連勝、まさに無敵のピアニストだった。

ところが彼は自疾(じしつ)に襲われる。ピアニストにとっては致命的な病である。一時は自殺まで考えるが、不屈の闘志で思い留まり、以降の人生は作曲家として生きていこうと決意する。

現代のポピュラー作曲家たちは印税や著作権料などで、大ヒットすれば大きな収入も約束されているが、当時は著作権というものもなく、作曲での収入は楽譜出版社から支払われる謝礼のみだった。

ベートーヴェンも作曲だけではとうてい食べて行けず、音楽を愛好する貴族たちの後援や、その子弟にピアノを教えたりして糊口をしのいでいた。彼が心血を注いで作った曲も演奏される機会が少なく、演奏会による収入もほとんどなかった。これはその少し前の時代のモーツァルトも同様である。つまり作曲は金にならなかったのだ。

にもかかわらず、ベートーヴェンは作曲に向かうときは、命懸けで取り組んだ。彼は自分の作品は100年後も200年後も演奏され続けると信じていた。残されたいくつかの言動から、そういう信念で作曲していたのは明らかである。

彼のその考え方は、作曲の仕方にも如実に表われている。ピアニスト時代のベートーヴェンは即興演奏の天才だった。ピアニスト対決ではその場で与えられた主題を即興で自在に展開して広大な世界を表現していくことに長けていた。

17歳で初めてモーツァルトに会ったとき、彼を驚かせたのも即興演奏だった。モーツァルトは「あの男はいずれヴィーン中にその名を轟かせるだろう」と友人に語ったと言われる。

ベートーヴェンの即興演奏は残念ながら耳にすることができないが、それがいかに素晴らしいものであったかは多くの文献に残されている。貴族たちがその演奏を聴き、感動のあまり涙を流すことは珍しいことではなかった。

ところが彼はいざピアノソナタを作曲するときには、即興演奏を楽譜にすることはなかった。これはなぜか。彼は即興で聴く音楽と、繰り返し聴く音楽は違うものであるという考えを持っていたからだ。

初めて聴けばうっとりするメロディーであっても、繰り返し聴けば飽きてしまうということはよくある。ベートーヴェンはそれを恐れていたのだ。だから彼はピアノソナタを書くときは、書き直しに次ぐ書き直しをしている。何度も何度も彫琢を重ね、完全に納得いく形でしか楽譜にしなかった。

すべては100年後、200年後の聴衆の厳しい耳を意識してのことだった。200年以上も前にこんな精神で音楽を書き続けていた男がいたことは驚きを禁じ得ない。

ベートーヴェンの晩年の傑作であるピアノソナタ29番「ハンマークラヴィーア」は演奏時間40分を超える曲だが、あまりの難曲に同時代のピアニストは誰も弾けなかった。そのことを告げた友人に、ベートーヴェンが「50年もすれば弾けるようになるだろう」と答えたのは有名な話である。

ベートーヴェンのピアノソナタは、彼が作曲家として活動を始めた初期から、中期、そして晩年に至るまでのあらゆる時代を通じて書かれているだけに、彼のすべてが詰まっていると言っても過言ではない。同時に作曲家としての成長と発展も見ることができる。

初期のセンチメンタリズムな作風には、まだモーツァルト、ハイドン風の優雅な雰囲気も残っている。しかし中期に入ると、個性が表われ、同時に「運命と格闘する」彼の荒々しい闘争が繰り広げられる。そして晩年には静かな諦観とでも言うべき不思議な世界が描かれる。

またベートーヴェンがピアノソナタを書き続けた時代は、ピアノという楽器が大発展を遂げた時代でもあった。より大きな音を出せるようになり、音域も広がった。

だからベートーヴェンのピアノソナタは、ピアノの発達と共に、よりダイナミックになり、同時に表現力も広がっていく。彼のピアノソナタはピアノの発達史を耳で聴く趣もあるのだ。

 

どんな作曲家も足を踏み入れたことのない幽玄の美

前置きが長くなったが、今回はベートーヴェンの最後のピアノソナタである第32番を紹介しよう。実はあらゆるクラシック音楽の中で、私が最も愛している曲の一つである。笑われるのを承知で書くが、この曲は人類の残した最も偉大な曲ではないかと本気で思っている。

20代から30代にかけてピアノソナタで様々な世界を描いてきたベートーヴェンは、23番「アパショナータ」(熱情)でピアノソナタの頂点を極めた。

その後は優しく穏やかなソナタを書くが、晩年に差し掛かったときに、前述の「ハンマークラヴィーア」というとてつもない大曲を書く。そしてその後に、30番、31番、32番の最後の三つのソナタを書く。この3つのソナタはこれまでどんな作曲家も足を踏み入れたことのない「幽玄の美」とも形容したいような神秘的な世界が描かれている。30番と31番のソナタには、彼のトレードマークでもあった闘争も葛藤もない。

しかし最後のソナタ32番では、第1楽章で凄まじい闘争がある。調性は「運命」交響曲と同じハ短調で、露骨なまでの対位法が使われ、運命と激しい戦いが繰り広げられる。

だが、次の第2楽章では打って変わって、静かな癒しの音楽となる。この第2楽章こそは、ベートーヴェンが長い作曲家人生で最後に行きついた世界である。アリエッタ(小さなアリア)と名付けられた主題と五つの変奏曲からできている。

主題はハ長調、最も明るく優しい調性である。第1楽章のハ短調と対照的な調である。この主題をどう表現すればよいだろう。優しいなどという言葉ではとても足りない。第1楽章の闘争で疲れ果てたベートーヴェンを天使が慰撫するような慈愛に満ちたメロディーである。ここからは申し訳ないが、私の主観のイメージを書かせていただく。音楽を勝手なイメージで表現することは小説家の悪い癖だが、お許し願いたい。

第1変奏はまるでベートーヴェンが静かに眠りにつくかのように聴こえる。まどろみの音楽である。メロディーは単純だが、限りない優しさに満ちている。

第2変奏は彼が夢の中で子供に還っていくように見える。あらゆる不幸が襲い掛かり、苦しい人生を送らねばならなかったベートーヴェンは、幸福だった子供時代に還るのだ。私はこのあたりでいつも泣きそうになる。

第3変奏はまさに天国の世界が描かれる。子供に還ったベートーヴェンはそこで無邪気に戯れる。何という愉悦、何という朗らかさであろうか。

第4変奏はまさに幽玄の世界である。そしてこの変奏曲の最後の部分で、私は天使が天上から舞い降りてくる姿を見る。ここはもう涙なしには聴くことができない。

著者紹介

百田尚樹(ひゃくた・なおき)

作家

1956年大阪生まれ。同志社大学中退。人気番組「探偵!ナイトスクープ」のメイン構成作家となる。2006年『永遠の0』(太田出版)で小説家デビュー。09年講談社で文庫化され、累計450万部を突破。13年映画化される。同年『海賊とよばれた男』(講談社 単行本12年、文庫14年)で本屋大賞受賞。著書に『至高の音楽』(PHP研究所 CD付単行本13年、新書15年)、『大放言』(新潮新書15年)、『カエルの楽園』(新潮社単行本16年、文庫17年)、『鋼のメンタル』(新潮新書16年)、『雑談力』(PHP新書16年)、『逃げる力』(PHP新書18年)、『クラシック 天才たちの到達点』(PHP研究所 CD付単行本18年)など。

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