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千葉雅也&三浦瑠麗 「愛」と「性愛」は切り離せるか?『新潮45』LGBT騒動を振り返る

2018年12月17日 公開

千葉雅也(立命館大学准教授)&三浦瑠麗(国際政治学者)


写真:吉田和本

月刊誌『新潮45』を巡る騒動については、本サイト「千葉雅也&三浦瑠麗 『新潮45』杉田水脈論文に隠された本当の意味」に詳しい。一方、杉田論文の反論企画の一つである小川榮太郎氏の論考には、日本で議論になりにくい重要な論点を含んでいた、と両氏は述べる。気鋭の哲学者と国際政治学者が見る、LGBT論議の本質とは。

 

性愛とプラトニックな愛は切り離せない

三浦 英雄的な結婚観は、今回のLGBT騒動を拡大させた小川榮太郎氏の論考(「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」『新潮45』2018年10月号)を考えるうえでもキーポイントだと思います。

彼は「性的嗜好など見せるものでも聞かせるものでもない」と書いているように、一貫してLGBTを性愛における好き嫌いの問題、すなわち嗜好と見なす立場を取っています。

しかしそもそも、人間は性的嗜好という「性愛」とそれ以外の「愛」を切り離せるのか、という疑問が私にはあります。

千葉 小川氏が図らずも提起しているのは、精神分析の問題です。フロイトが説いたように、性愛とプラトニックな愛を切り離すことはできません。

近代社会では、プライベートな要素をなるべくパブリックな社会から隔離するようになったわけです。公共空間は透明で合理的なものとされ、ノイズとなる存在は排除する方向に進む。

プラトニックな愛、いわば「純愛」はパブリックに承認可能なものですが、性愛はその外、つまりプライベートの暗がりへと抑圧しておくべきものであるという分割ですね。

三浦 ただ、いくら「純愛」が理想だといってみても、生身の人間はそうではない。たとえば、私がある男性への愛について「純愛」だと言い切ったとしても、じつはそれは性愛と無関係ではないわけです。

千葉 LGBTの性愛における重要な特徴は、広い意味でのフェティシズム(特定の種類のものに執着すること)が先に立つことだと僕は考えています。

ゲイは何らかの男性的特徴に執着するからゲイなのであり、レズビアンは、男性ではなく女性であることを示す何らかの要素に執着するのだと思います。

男性のほうが、「好みの顔」「好きな身体のパーツ」から先に相手との関係に入ることが多いとは思いますが。

身体へのフェティシズム的な執着が重要だというのは、純粋な人間関係における「主体」ではなく、見られる「客体」になるということです。男性からフェティシズムの対象として見られることに女性が嫌悪感を抱く理由は、自らが客体化されるからにほかならない。

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