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門田隆将 すべての罪はわが身にあり――その言葉を嘉浩は何度もくり返した

2018年12月27日 公開
2021年08月17日 更新

門田隆将(ノンフィクション作家)

人間の「業」とは何なのか

私と嘉浩との最後の面会になったのは、2010年1月8日、ちょうど松の内が明けて、学校も新学期がスタートし、本格的にその1年が活動を始める日だった。

前年11月から始まった嘉浩との面会は、すでに四度目となっていた。いつもの6階の同じ3番面会室に私は通された。

狭くはあるが、さまざまなことを話し合った空間が、新しい年にも私を迎え入れてくれた。

しかし、私には、これが嘉浩との最後の面会になることがわかっていた。最高裁判決への不服申し立てが却下されれば、自動的に死刑判決が確定してしまうからだ。

これを過ぎれば、確定死刑囚の外部交通権は、既述のように大きく制限されるのである。私のようなジャーナリストが面会できるのは、これが最後だった。

そのことが嘉浩にもわかっていたのだろう。午後1時20分から始まった面会は、新年の挨拶もそこそこに、嘉浩のこんな話から始まった。

「すべての罪はわが身にあり、と私は思っています」

狭い面会室のアクリル板の向こうから、嘉浩は、いきなりそう語りかけてきた。柔和な笑顔と、死刑囚という厳然たる事実。私には、目の前の光景が「現実のものではない」ような不思議な思いがした。

「私には、(オウムの)マインドコントロールが外れて、初めて反省が生まれました。オウムと出会ってしまったことは、“業”だったと思います。私の宿業です。業は人によって違います。武士は人を殺さなければならない時があります。また、貧しい人はつらい生活をしなければいけません。人間にとって、それぞれの宿業があるのです。

自分を見失っていたこと、そこに私の後悔があります。先生がいたとしても、先生から学んで、先生から自立してこそ、本当の弟子のはずです。しかし、私は自立しようとしなかった。

そして、麻原も私を自立させようとはしなかったのです。私は、師の誤りを正すことができませんでした。その意味で、すべての罪はわが身にあり、と思っています」

越えてはならないものを越えてしまったオウムの信者たち。自分勝手な教義で、殺人さえ正当化して突き進み、あれほどの犯罪を引き起こしたのである。

嘉浩はその幹部として、数々の犯罪に関わったのだ。そして、その陰で無念の思いを吞んで死んでいった犠牲者や、二度と幸せを摑むことができなくなった遺族たちがいる。

事件から15年という歳月によって、やっと嘉浩は法廷での自分の役割を終え、自身の判決も確定したのである。

嘉浩は、私にというより、自分に言い聞かせるように、こう語った。

「本当に自分が解脱を求めていたなら、そして、おかしい、と思ったら麻原のもとを離れなければなりませんでした。そうあるべき自分が、“そうではない、これについて行かないといけない”と思い、若さで妥協してしまいました。しかし、若いからこそ、私は離れなければいけませんでした」

そして、こうつけ加えた。

「私は、お釈迦様の伝記も読んでいました。お釈迦様は、自分の師から離れ、自立していきます。その部分も私は読んだことがあります。師から学び、そこから自立してこそ、本当の弟子のはずです。しかし、私はオウムの中でただ“盲信”してしまい、おかしいと思っても、ただ黙っていました。そこに私の弱さがあったんです。その意味で、私は、すべての罪はわが身にあり、と思っています」

すべての罪は、わが身にあり――その言葉を嘉浩は短い間に何度もくり返した。懸命に、私にその意味を伝えようとしていた。三度の面会でも伝えられなかったものが、嘉浩には残っていたに違いない。

「坂本弁護士事件も、私は、薄々気づいていました。これはおかしい、と心の中で思っていました。でも、その疑問を口に出さず、黙っていたんです。

完全にわかったのは、もちろん逮捕されてからですが、くさいなあと思っていました。なぜ、それでも(オウムから)離れられなかったのか、それが私の罪なんです」

坂本事件にも触れながら、嘉浩はこうつづけた。

「私が16歳でオウムに出会ったこと、これも自己弁解にすぎません。私には、(師を)止められるはずだったと思います」

自らに言い聞かせるように、嘉浩はそう呟いた。

16歳ということを聞いて、私は、ふと、40歳の大台に乗った感想を聞きたくなった。

「嘉浩君、いよいよ40代になったけど、これはもう、中年になったということだなあ」

深刻な話がつづいていたのに、私は急にそんなことを言ってしまった。

その瞬間、嘉浩の話が止まった。

さまざまなことを話していた真剣な表情が急に緩んで、嘉浩はにっこりと笑った。人なつっこい、あの独特の笑顔だった。

「まだまだこれからですよ。“命あるかぎり”生きていきますよ」

中年という言葉が、いささかのユーモアを含んでいたのかもしれない。彼自身も、まだ自分は若い、と思っていただろう。しかし、まさにその中年である私が、そんな言葉を発したので、おかしくなったのかもしれない。

深刻なことであるはずなのに、嘉浩は、「“命あるかぎり”生きていきますよ」と言ってのけた。面会室が柔らかい笑いに包まれた。

ちょうど刑務官が、「そろそろ……」と、遠慮がちに時間が来たことを告げた。

刑務官は、お互いを笑顔のまま別れさせようとしてくれたのかもしれない。笑みをたたえたまま、嘉浩はすっと立ち上がり、私に向かって深々と礼をした。それは、法廷で見つづけたあの嘉浩の“九十度の礼”だった。

私が礼を返しても、嘉浩は深々と頭を下げたままだった。

「生を与える」という一審判決、「死を命じた」二審と三審。そこには、生と死の狭間で揺れた司法判断とは、まったく別の次元の男がいた。

すべての罪はわが身にあり、という嘉浩の言葉を反芻しながら、私は、嘉浩との最後の面会を終えた。

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