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辛坊治郎 「自民党は“大阪問題”の解決案を示せなかった」

2019年05月08日 公開
2020年10月08日 更新

辛坊治郎(大阪綜合研究所代表)

大阪都構想の源流は橋下徹氏ではない?

――大阪における自民党の体たらくを、住民は感じ取っていたわけですね。

【辛坊】 自民党の凋落を象徴していたのが、大阪府知事・市長選と同時に行なわれた大阪府議選の大阪市都島区で、反維新の急先鋒として当選5回を誇った花谷充愉氏が敗れたことです。府議選において自民党の古参政治家が落選したことは、同党の自滅を印象付けました。

さらに市長選でいえば、自民党の柳本氏は大阪都構想に対抗する明確なビジョンを示せなかった。「大阪問題」はいわば、柳本氏の地盤である西成区(大阪市)の問題ということもできます。

西成は4人に1人が生活保護受給者であり、長年その対策が放置されてきました。もし西成区が一つの自治体であれば、財政を多大に圧迫する生活保護について何らかの対応策を講じるでしょう。

しかし、西成は270万の人口を有する大阪市の一部でしかなかったため、なかなか手が付けられなかった。西成を変えることができないのに、大阪市全体を変革することなどできない、という印象が柳本氏にはあったといえます。

その「西成問題」に対する解決案の1つが大阪都構想というわけです。これは24ある大阪市の区を、東京のように首長や議会を有する4つ、5つほどの特別区に再編する施策です。

そもそも大阪の24区はただの住所のようなもので、行政上の意味はほとんどもっていない。区が24に分けられている理由も不明で、私にいわせれば、ただたんに東京の23区に数で負けたくなかったとしか考えられません。

都構想の区割りをする際、最も頭を悩ませたのが、西成区をどこに入れるかという問題でした。西成区を他の区と合わせれば、この地域を再開発するなどの対応をするでしょう。

大阪都構想がめざすのは、広域行政は府に一本化し、きめ細かい住民対策は特別区が担うという役割分担です。強すぎる大阪市の権限を削いで解体するという意味で、都構想反対の人たちがよくいう「大阪市がなくなる」という批判は、額面上は当たっています。

ただ関東のメディアなどで、橋下徹氏が大阪都構想を始めたように伝えられますが、これはまったくの間違いです。

大阪都構想の原型が生まれたのは2004年、太田房江知事(自民党ほか推薦)が2期目を狙う知事選のときでした。大阪自民党の一部有志である浅田均氏(現・日本維新の会政調会長)と松井一郎氏らが、太田氏の知事2期目を阻止するために、反乱を起こしたのです。

しかし、対抗馬として江本孟紀氏を擁立するも惨敗。次の2008年の太田知事3期目は何としても阻止するべく、4年前と同じメンバーで奔走し、最終的にたどり着いた候補者が橋下徹氏だったのです。

橋下氏は弁舌巧みで、政策にも精通しているものの、あくまでも維新の看板にすぎない。大阪都構想や維新の基礎をつくったのは、浅田均氏と松井一郎氏なのです。

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