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日本企業の「終身雇用制」を破綻させた“真犯人”

2019年06月11日 公開
2019年06月13日 更新

岩田規久男(元日銀副総裁)

 

デフレ下では日本的経営を守れない

しかし、90年代終わりから2000年代に入る頃には、日本的経営は、特に、大企業にとっては、成長の足かせになり始めたと考えられます。しかし、それはグローバル化に対応できなくなったというよりも、デフレに対応することが困難になったことのほうが大きな要因であると思われます。

デフレが続くなかで、日本的経営は次のように変化していきます。

GDPデフレーターだけでなく、98年からは消費者物価で見てもデフレになり、同年末には、山一證券などの大型金融機関の破綻が相次ぎ、01年にはITバブルが崩壊し、三期連続のマイナス成長という厳しい経済環境に直面しました。

日本的経営では、正規社員を終身雇用するといっても、定年前に子会社などの関連会社に転出させるという方法で、雇用を保障することが行われていました。

子会社は、親会社ほど高い賃金を払えませんが、それでも子会社の収益性から見れば、高い賃金を払うのが普通です。これは、子会社に転出した人の給与が大きく低下しないようにするためです。親会社が子会社の費用の一部を負担することを意味し、内部補助と呼ばれます。

しかしデフレが続けば、こうした内部補助は難しくなりますので、子会社に転出した人の賃金を引き下げたり、子会社の規模を縮小したり、最後には、廃業させたりせざるを得なくなりました。これは、企業の「選択と集中」戦略と呼ばれ、企業が収益率を上げる主要な手段の一つとして流行しました。

さらに2000年代に入ると、大企業でも、子会社への転出だけでは間に合わなくなり、正規社員の希望退職を募ったり、名目賃金を引き下げたりしなければならない状況に追い込まれました。

日本的経営は、正規社員の雇用をできるだけ定年まで守ろうとするものですが、デフレが長期にわたると、過剰正規社員(これらの人を企業内失業者といいます)を抱えることになり、彼らの雇用を守るためには賃金カットに踏み切るしかありません。

正規社員の所定内給与は02年〜09年まで8年間、前年よりもカットされ(厚生労働省『賃金構造基本統計調査』2018年11月)、00年代には、ベースアップ(基本給が一律に上がることをいいます)をする企業もほとんどなくなりました。

従来、年功賃金制のもとで年齢とともに上昇した賃金も、次第に成果主義が取り入れられるようになり、年功賃金制も崩れる傾向にあります。

日本では法的に、正規社員を解雇することは困難ですから、正規社員を減らす方法の一つは、新卒の採用を減らすことです。これも、新卒を年度初めに一括採用して、社内で熟練労働者に育てるという日本的経営が崩れることを意味します。

このように、新卒採用が減少すると、企業内高齢化が進みます。年功賃金制(退職金を含めて考えます)は、生産性の高い若い世代の労働者が生産性以下の賃金を受け入れ、生産性の低下した高齢労働者の賃金に回すという意味で、賦課方式の年金と同じです。

したがって、年功賃金制は企業内高齢化が進むと維持が困難になります。この企業内高齢化も年功賃金制を崩していく要因です。

以上のようにして、デフレが長引くにつれて、日本的経営自体が維持できない制度になりつつあります。これがいま、企業(とくに大企業)が正規社員の「解雇の金銭解決制度」の導入という規制改革を求める所以です。

なお、デフレ下で余剰になった正規社員の解雇が困難であることは、正規社員でも解雇が困難でなく、好不況に応じて雇用調整がしやすい国へ、製造業が生産拠点を移動させる誘因の一つになったと思われます。

T. Hatta & S. Ouchi eds.(208)は「90年代以降、日本のIT産業の生産拠点が台湾に移動した要因の一つとして、台湾が日本よりも正規社員の解雇(金銭的解決型解雇)が容易である」点を挙げています。

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