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「靖国、歴史」で攻める中国・韓国…日本が引かないために必要な"意識と発信”

2020年01月16日 公開
2022年07月08日 更新

石澤靖治(学習院女子大学教授)

 

米中露にあって日本にないもの

日本のソフト・パワーを強く認識して打ち出す戦略を国家も民間も展開してきているのは、国家アイデンティ確立の兆しではある。

ただその場合に、あらためて意識し直さなければならないものがある。

それは、戦後の日本はアメリカの唱道する「自由」と「民主主義」をそのまま受け入れてきたが、そのアメリカが主体としての振る舞いから逸脱しようとしていることである。

それはもちろん、日本が「自由」と「民主主義」を放棄すべきだ、ということではない。日本がこれらの価値を信奉すべきものだと思うのであれば、アメリカから教え込まれたものとしてではなく、自らのものとして解釈し、強く認識して提唱すべきであろう。

そのうえで必要なのは、明確な国家意識である。日本は戦時中に国家意識を高揚させたが、敗戦によって戦後それは忌避される考えになった。

健全な国家意識や健全なナショナリズムはあって当然のものだが、「国家意識」という言葉を使うこと自体、ネガティブな印象をもたれる状況になっている。

また国家意識という言葉を持ち出すと、それが憲法9条の改正の問題とセットにして非常に慎重にとらえられることもある。北朝鮮のミサイルの脅威が初めて示された約20年前に、ある大物政治家がこんなことを言い放ったことがある。

「北朝鮮のミサイルが日本のどこかに着弾したら、憲法9条なんか簡単に改正できてしまう」。

この指摘は、日本人の世論についての見方としては的を射ているように思うが、それは好ましくないと筆者は考える。筆者は憲法改正に決して否定的ではないが、自らの国を誰がどのようにして守るのかという国民的な議論がなされずに、一気に憲法9条の改正に進んでいくとしたら、それこそが問題だと考えるからである。

また、国家意識という名のもとに個人の自由や人権が抑圧されることがあってはならないことは、いうまでもない。

重要なことは、「自由」「民主主義」というユニバーサルな価値を根底に据えつつも、流動化する国際情勢のなかで、自分たちの国を一体どうするのか、という意識をしっかりともつことであろう。

それこそが米中露にあって、日本に欠けているものだ。「普通の」国家意識があってこそ、日本が国際情報・文化戦争で自国の軸をもちつつ、国益を守るべく情報発信をして生き残っていくことができるのである。

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