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ゾンビ映画から考える、パンデミックへの向き合い方

2020年07月12日 公開

谷口功一(東京都立大学法学部教授)

ゾンビに対峙するための3つの理論

まずは、今年度の私のゼミ(もちろんZoomでのオンライン)でもテキストにしている先述の『ゾンビ襲来』の内容を簡単に紹介しておこう。

著者のドレズナー教授はアメリカのタフツ大学で教鞭を執る第一線級の国際政治学者であるとともに、筋金入りのゾンビ・マニアでもある。

伝統的に国際関係論は国民国家間の相互作用に主要な関心を置いてきたが、現代における安全保障問題の少なからぬ部分は「非伝統的」な脅威に焦点を当てている。

ゾンビはこの「非伝統的」な脅威の最たるものであるとともに、国際関係論のさまざまな理論の「ストレス・テスト」たりうるというのが本書の前提である。

そのなかで取り上げられる理論は3つ。第1の理論は、アナーキー(集権化された正統な権威の不在)と「食うか食われるか」のゼロサム・ゲームこそが国際政治の現実であるとする《リアリズム》である。

そこでの歴史解釈は「国際協調は不毛である」という認識に貫かれており、国際機関は無能な存在でしかない。また、国内体制が民主的か独裁的なのかも、この理論にとっては関心の外にある。

さし迫る脅威がゾンビであっても、それは過去のパンデミックと同様の事態の繰り返しにすぎず、強大なパワーだけがものをいう国際政治の現実は不変なのである。

この理論に立脚するなら、中華人民共和国がゾンビ禍を利用して台湾の占領を正当化することもできる、とドレズナーは記している。

第2の理論は《リベラリズム》である。この立場は、国際政治は非ゼロサム・ゲームであり、国際協調によってグローバルな公共財を創出することも可能だと主張する。国内体制が民主的な国家ならば、このような協調に参加する可能性は高い。

しかし、リベラルは開かれたグローバル経済に立脚するものであるため、その論理的帰結として開かれた国境を通じたゾンビ禍の拡大に対して脆弱とならざるをえない。

これに対処するため、安保理・WHO(世界保健機関)・国際移住機関などのグローバルな国際機関複合体(コンプレックス)の創設をめざすが、問題を制御できない段階まで情報隠蔽を行なってしまう権威主義国家の振る舞いによって、大きな困難に直面することとなるのである。

第3の理論は《構成主義(constructionism)》である。

この立場は、前二者とは異なり現実(reality)を固定された実体として見るのではなく、リアリティとは社会的に構築されたもの(socially constructed)だとした上で、相互作用的に形作られる主体のアイデンティティを通じて、それらを有益なかたちで規制するトランスナショナルな規範(norm)が形成されることを主張する――核兵器の実際の使用に関する国際社会でのタブーなどを想起すれば良いだろう。

この理論の重要なポイントは、ゾンビという脅威を物理的な実体としてだけではなく、それを「社会的に構築された」ものとして見る点にある。

ゾンビ映画の多くで登場人物たちが、しばしばゾンビを前にして「奴らは俺たちなんだ(They are us.)」という台詞を吐くが、要するに、ゾンビ禍に直面した際の「人間性の発露(人間がいちばん恐ろしい)」こそが疫禍の本質を構成しているというのが、この理論の要諦でもあるのだ。

本稿の執筆依頼のメールのなかで編集者が「緊急事態宣言発令に際する会見で安倍総理が“恐れるべきは恐怖それ自体”と述べていたように、対峙すべきは他国ではなく、ウイルスでもなく、自分たち自身なのかもしれませんね」と書いていたが、まあ、そういうことだ。

ドレズナーの立場は、大国(のパワー)を重視する点で1つ目のリアリズムに立脚している一方で、国際協調による公共財創出の可能性も認めており、ある種の折衷的(中庸的)な立場でもある。

だが、彼の議論の最も特徴的なポイントは、国内政治を重視する点にあると言えるだろう。

ゾンビ禍に対して、初期には「旗の下への結集」現象が発生し、人びとのあいだには愛国心が高まり、政府の果断な施策などにも支持が集まるが、それはほんのひとときのことでしかない。

グローバルな国際協調に基づく政策の必要性があったとしても、大衆にとっては遠い外国よりも自分たちの地元の問題のほうがはるかに重要なのである。

じきに人びとは「ゾンビ疲れ」し、時間の経過と共に高いコストを払う過酷な政策からは離反してゆくこととなる。

深刻な経済不況と結び付いたかたちで犠牲を払い続けることの長期化は、アメリカの大衆をますます孤立主義に導くことがわかっているとさえ、ドレズナーは記している。

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