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ジョブズが“生涯の師”と仰いだ日本人…謎に包まれた「禅僧・乙川弘文」

2020年07月31日 公開
2020年09月07日 更新

柳田由紀子(ジャーナリスト)

乙川弘文(おとがわ こうぶん)
(photo © Nicolas Schossleitner)

アップル創業前、スティーブ・ジョブズは自分探しの旅の中で、曹洞宗禅僧・乙川弘文に教えを乞う。iPhoneの設計にも影響を与えたという禅僧・乙川弘文の破天荒な人生とは(取材・構成 『Voice』編集部・岩谷菜都美)。

※本稿は月刊誌『Voice』2020年8月号、柳田由紀子氏の「ジョブズを変えた禅僧の生き様」より一部抜粋・編集したものです。

 

追っても全貌がつかめない謎の禅僧・乙川弘文

――アップルの創設者、スティーブ・ジョブズに「生涯の師」と仰がれ、iPhoneの設計にも影響を与えたという禅僧・乙川弘文(おとがわ こうぶん)。2020年4月に上梓された『宿無し弘文』では、知られざる彼の人生を描いた。8年もの歳月を掛けて、故人である弘文の実像に迫ろうと思ったのはなぜでしょうか。

【柳田】世界の大企業家の生き方を大きく左右した日本人の禅僧とは、いったいどんな人なのだろう、と興味を抱きました。2002年にすでに鬼籍に入っていたとはいえ、2,3年もあれば弘文の一生を追いかけられると考え、取材を開始したのです。

しかし、弘文の知辺を探し、話を聞けば聞くほど、彼の全貌がわからなくなった。ある人は神格化するほど称え、一方で凄まじい恨みを抱いている人もいました。

弘文は海外で実質3度の結婚をして、腹違いの5人の子どもがいたという事実や、酒に溺れ、娘とともに溺死する最期を迎えたことも知りました。欲に飲まれ、僧侶としての正道を踏み外した”破戒僧“だと批判する人がいても、しかたのないことです。

――弘文が学生時代に書いた日記をみると、むしろ生真面目な人間であるという印象を受けました。

【柳田】もともと弘文は、新潟県加茂市の曹洞宗の名家の生まれです。京都大学大学院で修士号を取得後、とくに戒律が厳しいと有名な福井県の永平寺で特僧生に選ばれている。

そんななか、合衆国最初の本格的禅道場を設立した鈴木俊隆師の招きで、1967年に渡米。カリフォルニア州に位置するタサハラ禅マウンテンセンターで活動を始めます。

当時、弘文は29歳という若さでしたが、自分が学んだ教えを世界中の人びとに伝えるという確固たる意志をもち、意気揚々と飛び立ったことでしょう。しかし、そこには弘文の想像を超える世界が待っていました。

60年代の米国は、旧来の価値観に対抗する「カウンターカルチャー」運動が全盛期を迎えていたころです。ヒッピーと呼ばれる若者が「自由や自己」を探し求め、フリーセックスやドラッグに溺れていた。現在の米国とはまた異なる、独特な空気が社会を包み込んでいました。

――厳格な規律を守り、品行方正な修行僧であった弘文が、真逆の価値観をもつ米国社会に放り出される。凄まじい衝撃だったのでしょう。

【柳田】同じく曹洞宗から米国に渡った僧侶のなかには、欲にまみれて堕落してしまった人びともいました。本能に忠実に生きる人びとを目の当たりにし、弘文は大きな壁にぶつかってしまう。

いくら一所懸命に教えを説いても、人びとの心には届かない。自分が学んできた道元禅師の仏道を説いたところで、この人たちは救われるのかと、わからなくなってしまったのでしょう。

追い込まれた弘文は、1カ月ほど山小屋に引きこもり、外界との交流をいっさい遮断します。そして、一種の「転依(悟りをひらき、人格がひっくり返ること)」を迎えることになった。

あまりに文化の違う彼らに見切りをつけ、禅の教えを形式的に説いただけで帰国することもできたはずですし、絶望して他の僧侶のように堕ちていく道もあったはずです。しかし弘文は、この米国という混沌とした世界のなかで、人びとを救う方法を考えたのです。

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