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ジョブズが“生涯の師”と仰いだ日本人…謎に包まれた「禅僧・乙川弘文」

2020年07月31日 公開
2020年09月07日 更新

柳田由紀子(ジャーナリスト)

 

弘文の死に際し泣きじゃくったジョブズ

――弘文の生き様から、私たちは何を学べるとお考えですか。

【柳田】「利他」ではないでしょうか。「自分だけがよければいい」と考える「利己」の心に対し、「利他」は「自他を区別せず、人を助けたい」と考える心を指します。弘文は苦しむ人びとを救うことで、自らが地獄に落ちることも厭わなかった。

この利他の精神は、現世界のキーワードにもなっているでしょう。ドナルド・トランプ米大統領の「アメリカ・ファースト」のみならず、欧州やアジアにおいても、自己利益だけを求める独裁的な政権が台頭しています。

その一方で、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相やカナダのジャスティン・トルドー首相のように、愛や多様性、ヒューマニティを信念とし、実践する国の代表も登場している。

そのような状況下で、昨今のパンデミックが起き、各国の政府だけではなく自治体や企業のあり様も露わになりました。今回の経験を教訓とし、われわれは正しい選択をできるのか。いま世界は、破壊の道に進むのか否かという岐路に立たされていると感じます。

――自分より他人のために生きるのは、非常に難しいことです。

【柳田】禅僧である弘文のように生きられる人はなかなかいません。以前、私には、奥さんを亡くし苦しむ知人がいましたが、声をかける勇気はありませんでした。そんな自分を悔いて、「私なんかが気安く声をかけても失礼になると思い、できなかった」という話をあるお坊さんにしました。

すると、「まあ、あなた程度だとそうでしょうな」とおっしゃった。「人に意見するなんて不遜と考える、その程度しか相手の苦しみを感じられる力量がない」と。つまり、自分がどうみられるかという我執にとらわれており、本気で助けたいという気持ちが湧いていないと指摘された。

そのとき、ハッとしました。すべてにおいて利他の実現は不可能かもしれない。ただ、困っている人がいたら「大丈夫?」とひと言かけられる人間ではいたいと。

弘文が亡くなったとき、日頃、他人に不遜であったジョブズが泣きじゃくったという。世界を変えたジョブズの発明の裏には、やはり弘文の存在があったのです。

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