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いまだ“同調圧力”が根強い日本…芥川賞作家が語る「リベラリスト」のあるべき姿

2020年11月03日 公開

中村文則(作家)

 

誰かを押しのけて手に入れた幸福

――山峰は恋人だったヴェトナム人・アインの祖先がいたことなどを理由に、長崎の歴史を調べ始めますね。本作では江戸時代に起きたキリシタン迫害について、何十ページにもわたりその惨たらしい歴史が描かれています。

【中村】僕自身のルーツが長崎ということもあり、いつか長崎について書こうと決めていました。最初に日本を訪れた宣教師たちは、ラテン語の神における「愛」をどう訳すかで苦心したそうです。

日本語の「AI(Love)」は男女の性愛の意味が強く、神の「愛」とはニュアンスが異なった。そこで彼らは、神の愛を「御大切」と訳したのです。それは「すべての人が大切な存在である」という意味でした。

当時、日本は乱世の真っただ中です。弱い者は切り捨てられ、強い者が生き残る。そんな弱肉強食の世界には「人権・平等」の概念など存在するはずがなく、この「御大切」は圧倒的に斬新なものでした。

これが日本にとっての最初の「人権」の芽生えだったのではないかと僕は感じています。そしてこの思想は、1637年に起きた日本の歴史上最大規模の一揆、島原の乱へと繋がる。死を覚悟して原城に立てこもった農民などのあらゆる層の人達は、幕府側に向かって一本の矢を飛ばします。

そこには矢文が結ばれていて、「天地同根 万物一体 一切衆生 不撰貴賤」と書かれていました。天も地もすべては一体であり、すべての人間の存在に上下などない――。

「御大切」の思想が、長い年月を経てここまで成熟したと言える。彼らは命を懸けて己の信念を幕府に訴えかけたのです。最終的には、幕府軍の総攻撃で一揆は鎮圧させられます。

そこからは一層、禁教が厳しくなり、幕府は徹底的に思想を弾圧していきます。日本におけるキリスト教の承認は明治以降であり、それも諸外国からの外圧でしぶしぶ受け入れるかたちだった。

新しい文化を自発的に取り入れず、自らと異なる者を排除しようとする日本の空気は、じつはこの時代から根本は同じだと感じます。しかし、あのフランス革命よりも100年以上前の江戸時代に、日本でたしかに「平等・人権思想」ともいうべき概念が芽生えた瞬間があった。そのことを『逃亡者』で書き記したかったのです。

――アインを通じて、日本における外国人労働者の実態を思い浮かべました。

【中村】いまや日本で外国人が働く姿は日常の光景となっています。そんな時勢で起こりうること、外国人労働者との恋愛を描くことの意味は大きいと考えました。

日本では江戸時代、外国人との間に生まれた混血児、そしてその日本人の母親も差別され、国策として外国へ追放された歴史がある。そうした外国人排斥の風潮は、いまだに根強く残っている。

コンビニでも、外国人の店員に怒鳴り散らす男性を見かけたことがあります。登場人物のヴェトナム人女性のアインを通して、大国からの圧制に抵抗し続けた、ヴェトナムの凄まじい歴史も語られます。

こういったことを知るだけでも、日本で働く人達ヘのイメージも変わると思いました。コンビニで怒鳴っていた人が『逃亡者』を読んだ後は怒鳴らなくなるかもしれない。怒鳴るトーンが弱くなるかもしれない。そう思いながら書きました。

――中村さんの過去の作品を振り返ると、社会から疎外された人達を取り上げて、彼らが抱く世間への不信感や心の叫びを描写することが共通のテーマになっている気がします。

【中村】『逃亡者』で描いた世界観に近いですが、僕は昔からずっと生きづらさを抱えてきました。“集団”に対する苦手意識が強かった。個人的に話せばいい人でも、“集団”の中に入ると人格が少し変わる人っていませんか。

集団から外されたくない意識が強くなるあまり、本来の優しさは消え失せ、立場や建前を守ることを優先してしまう。車に乗った瞬間に強気になる人がいますが「集団」も車のように自分を守る一つの武器になってしまうことがある。

僕はよく「幸福とは閉鎖だ」という言葉を使います。幸福とは極論すれば、苦しみや悲痛をもつ人間を無視し、飢えや貧困を無視したうえに成り立つ、運の良かった者達だけが享受する「閉鎖された空間」である側面がある。

昨今のBLM運動(米国発の黒人差別反対運動)の発端となった黒人射殺事件にも通じますが、差別をしてまで生きるほど、そんなに人生って楽しいのかと思ってしまうんです。

社会的に虐げられている人達がいて、そういった人達に酷い言葉をかけてまで生きるほど、人生って楽しいものなのかなというふうに。

政治や社会問題を考えるのはストレスだし面倒臭いのはわかるけど、少しくらいは意識したほうがいいというか、行動は措いておいても、心で少し意識するだけでも違うというか。

そういったことを全て無視して手に入れた生活は、本当に幸福なのだろうかと。そういう幸福に僕は落ち着かないんです。これは善悪というより、元々僕の生きるエネルギーが稀薄だからそう思う面もあるんでしょうね。

誰かを押しのけて云々、というエネルギーがあまりない。その辺りの複雑なところは『逃亡者』のテーマでもあります。主人公の山峰の内面はほとんど僕なので。

 

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