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「高倉健の付き人を40年つとめた人」だけが語れること



2020年11月19日 公開

山平重樹(ノンフィクション作家)

高倉健
トラックで「ヤッさん」こと西村泰治氏が経営するガソリンスタンドに来店した高倉健さん(写真提供:西村泰治氏)

昭和のスーパースター、高倉健の付き人を40年もわたり、つとめてきた「ヤッさん」こと西村泰治氏。「昭和」の匂いがする、この熱き血の塊のような人物の生涯を、自身も高倉健の熱烈なファンだという作家の山平重樹氏が、『高倉健からアホーと呼ばれた男』(かや書房)で詳細に描いた。それは日本映画史に残る奇蹟のような物語であった。

※本稿は、山平重樹著『高倉健からアホーと呼ばれた男』(かや書房)を一部抜粋・編集したものです。

 

「われらが親父」と呼ぶべき人

私が初めて「ヤッさん」こと西村泰治に会ったのは、平成31年3月3日のことである。場所は東京・練馬―西武池袋線練馬駅前の「ココネリ」という商業ビル4階の研修室だった。

折しも同室において、当日午後1時より、『我が旦那、健さんとの40年』という演題で西村泰治特別講演会が開催されようとしていたのだ。

「健さん」とは言わずと知れた昭和のスーパースター、5年前(当時)に多くの人から惜しまれ世を去った伝説の映画俳優、高倉健その人に他ならなかった。その健さんを「旦那」と呼び、およそ40年の長きにわたって付き人をつとめてきた男が、西村泰治であった。

時はあたかも春弥生、平成という時代も残すところあとわずか、間もなく令和という新しい御代を迎えようとして、昭和はいよいよ遠くなろうかという折も折、端なくもそこで私はひとつの奇蹟と巡りあったのだった。

演壇に立ったその人は、いまや絶えて久しい、「昭和」の勾いをふんぷんとさせた、激しくも涙もろく、熱き血の塊のような人物であった。

まさにかつての東映任俠映画を地でいく、昭和の時代から抜け出てきたような「われらが親父」とでも呼ぶべき、バイタリティに溢れて若々しく、とても御年80歳とは思えなかった。

「……高倉健さんの何もかもを孫の孫の代まで風化させずに伝えていきたい――それが僕のつとめと思い、京都からやって参りました。健さんのことはもう何十年、付き人として付かせていただき、思い出すといまでもついこの間のように思い出します。大の男が涙するようなことがありますけども、心をこめて過去のことをいまのように思い出して喋りますので、どうかよろしくお願い申しあげます」

いまだにヤンチャなツッパリ少年の面影を色濃く残す男は、健さんとの思い出を語り始めると、しばし感極まって涙にむせび、言葉を詰まらせた。一途で一本気、思いこんだら命がけ、ときにはつい暴走してしまうこともあるというその気性が、おのずと見えてくるようだった。

若い時分にはそんな暴走が目に余って、健さんの逆鱗に触れ「出入りを禁ず」との破門処分を受けたこともあったとか。

さすがにこのときはヤッさんの落ちこみかたも半端ではなかったというが、健さんの元に戻りたい一心でひたすら反省し、身を正して耐え石の上にも三年。ようやく健さんに赦され破門を解かれたときには、天にも昇る心地だったというから、純情極まれり。西村泰治という男の芯にある何かを語って余りある話であろう。

「僕の心の中にはいつも健さんがいるんですが、今日もこの会場で、そこに座っているような気がしますので、席をこしらえてもらいました」

この日、会場の後ろのほうに健さんのテーブルがセットされたのも、ヤッさんの要望であった。思えば、健さんが世を去ってこのとき5年の歳月が経っていたのだった。早いものだ。

 

数多い出演者の中でも親密度が違っていた

私がスクリーンで健さんと出会ったのは、昭和44年6月、高校2年生の一学期、16歳のときだった。学校からの帰り、たまたま一緒だった級友に誘われ、何が上映されているのかもろくに知らないまま入った地元の映画館で、その作品を観たのが最初であった。

そのときかかっていたのは、若山富三郎主演の『旅に出た極道』、菅原文太の『懲役三兄弟』、藤純子の『緋牡丹博徒 二代目襲名 』という、まさにテッパンもテッパン、これぞ本格派東映任俠映画の決定版!――とでもいうべき、ファン垂涎ものの豪華3本立てだった。

その3本立て作品には主演作こそなかったものの、『懲役三兄弟』『緋牡丹博徒 二代目襲名』の両方にゲスト出演していたのが健さんだった。男の中の男を演じてシビれるようにカッコよく、その印象は強烈だった。

その圧倒的な存在感。このとき以来、私は東映任俠映画と健さんの虜になってしまったのだった。とりわけ健さんから学んだのは、男はたった一人で、たとえ死ぬとわかっている局面でもやらなければならないことがあり、逃げてはいけないのだという覚悟、性根のようなものであった。

田舎者の高校生が地元の町のちっぽけな映画館で衝撃的な出会いをして以来、どれだけスクリーンの健さんには励まされ、勇気づけられ、魂を奮い立たされ続けてきたことか。

そんな私が、健さんの40年来の付き人であったヤッさんこと西村泰治の存在を知ったのは、健さんが亡くなったあとのことだった。日比遊一監督のドキュメンタリー映画『健さん』を観たのが最初であった。

ドキュメンタリー映画『健さん』は、写真家としても活躍するニューヨーク在住の日比遊一監督作品で、健さんが歿した翌々年の平成28年8月、劇場公開されている。

出演者も健さんとゆかりのある映画関係者やカメラマン、評論家、友人、実の妹さんなど総勢30人近いメンバーで多士済々、その顔ぶれも凄かった。

それぞれが健さんとの思い出やエピソード、撮影秘話、知られざる実像、高倉健論など、いずれも心の中にいまも生きている健さんへの熱い思いを語って、出色のドキュメンタリー作品となっている。

そんな出演者の一人が、元付き人兼俳優、昭和シェル石油特約店西村石油社長という肩書きを持つヤッさん――西村泰治であったのだ。

数多い出演者の中でも、とりわけヤッさんの場合、親密度が違って、撮影のときだけでなくプライベートにおいても健さんの側にいて、誰よりその素顔を知っている一人であったことが見てとれた。なにしろ京都に来れば、健さんはヤッさんの自宅に何日間でも寝泊まりすることがあったという。

健さんが最も愛した女性といわれる元妻の江利チエミの葬儀のときにもヤッさんは同行、報道陣も誰もいない場所からソッと合掌し、祈り続ける健さんの隣りで見守ったのも彼だった。

また、つららの下がる2月、比叡山の山中で滝に打たれる修行(滝行)に励んだときも二人は一緒だったというから、健さんはよほどヤッさんに心を許していたのであろう。

それにしても、私生活はいたって謎、ミステリアスとされた健さんと、これほどのつきあいをした人がいようとは!……いったいこの人は何者だろう?私は一驚せずにはいられなかった。

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