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日本の武器は本当に「勤勉さ」だけなのか?…国難を救う“理数系の武士団”とは

2021年02月04日 公開
2021年07月20日 更新

長沼伸一郎(物理学者)

 

チャーチルを驚かせた日本の「イメージと現実のギャップ」

それをもっとも深刻なかたちで体験させられた人物は、第二次大戦時の英首相ウィンストン・チャーチルだったかもしれない。彼は、日英開戦前に極東方面の防衛を考える際に、まさに「理数系武士団の存在しない状況」で見積もりを行なっていたかのようにみえるのだ。

彼の見通しでは、とにかく当時の最新鋭の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を極東に派遣すれば、日本海軍にはそれを沈める力はないだろうし、同様に、同艦をシンガポールに置いておけば、日本はそれを恐れて南方進出そのものを最初から断念するだろうとみていた。

またシンガポール自体の防衛も、この最新鋭戦艦が日本軍の上陸部隊を洋上ですべて阻止すればよい、というスタンスで、その目論見が外れるはずがないと思っていたため、陸側の防衛に必要な戦車などはほかの戦線に回してしまった。

ところが蓋を開けてみると、日本海軍は南方進出を断念するなどはまったく考えようともせず、それどころか同艦そのものをあっさり沈めてしまったのである。その結果として、英国の防衛戦略そのものが根底から崩壊すると同時に、無防備同然だったシンガポールも陥落してしまったのだ。

とくにシンガポールの陥落は、われわれ日本人の想像を遥かに超えて大きな意味をもっていた。それというのも、当時の英国にとっては、シンガポールこそが大英帝国の要であるとともに、その威信の象徴だったのであり、それを失うことは、大英帝国の解体・崩壊を意味していたからである。

世界史的に眺めると、帝国としての大英帝国は、宰相ウイリアム・ピットの時代に、インドをプラッシーの戦い(1757年)で破り、事実上の支配権を得たころに成立・誕生したといえる。

ところがその大英帝国は、1941年のマレー沖海戦と、それに続くシンガポール陥落の打撃で終焉を迎えた、ということになる。そう考えると、日本が英国領であったシンガポールを陥落させた出来事が、どれほどの影響力をもっていたかがわかる。

 

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