Voice » 政治・外交 » “一研究者”が35歳で突然、国政へ…世界一影響力のある女性、アンゲラ・メルケルの謎

“一研究者”が35歳で突然、国政へ…世界一影響力のある女性、アンゲラ・メルケルの謎

2021年04月01日 公開
2023年01月12日 更新

川口マーン惠美(作家/評論家/ドイツ在住)

川口マーン惠美

「世界で一番影響力のある女性」アンゲラ・メルケル首相。だがドイツではいま、言論の自由が失われつつあるという。彼女が無名だった東西ドイツ時代の状況から、その政治的本質を浮かび上がらせる。

※本稿は、川口マーン惠美『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

 

どうやって階段を上り詰めたのか

メルケルは、2000年より18年まで18年の長きに亘りCDU(注:EU最大の保守政党。自由と安全保障を重視)の党首であった(18年12月に、党首の座をアンネグレート・クランプ=カレンバウアーに譲る)。

さらに、05年より現在までは、言うまでもなくドイツ連邦共和国の首相だ。それどころか彼女は今では、コンラート・アデナウアー、ヘルムート・コールを凌ぐほどのCDUの顔であり、歴史に残る存在となりつつある。

しかし、いったいどのような経緯で、一介の研究者であったメルケルが、この階段を上り詰めていったのだろう。

メルケルは、実はCDUに入ろうと思って入党したわけではなかった。東西統一の混沌の中の成り行きで、彼女の属していた泡沫政党DA(民主主義の勃興)が、紆余曲折を経て西側のCDUに吸収されたというのが正しい。

しかも、メルケルは最終的にそれを望んでいたと思われる。その間、いくつかのラッキーな偶然がメルケルを助けもした。その中の一つでも欠けていれば、現在の政治家メルケルはなかったかもしれない。

ただ、偶然はさておき、事実は、35歳まで政治とは関わりなく生きてきた一研究者が、突然、政治家になろうとしたのだ。どう考えても、その動機がもう一つよく飲み込めない。それも地方政治ではなく、目標は最初から国政だ。

しかも、その試みが次から次へと成功し、統一から1年余りで、彼女は大臣になっている。この見事な跳躍を見れば、メルケルの頭の中に、それまでの人生において政治的な思考がまるで存在しなかったということは考えにくい。

メルケルは、極めて政治的な両親の下で育っている。一家は、東ドイツの片隅にいながら、西のラジオに懸命に耳を傾け、ボン(当時の西ドイツの首都)で繰り広げられていることは隈なく知っていた。

国会討論もすべて聞いており、メルケルがのちにインタビューで語っているところによれば、8歳の頃には西ドイツの大臣の名前をすべて暗記していた。彼女はメルヘンを聞くように、ラジオから流れてくる熱い政治論争を聞きながら育ったのである。

それを知れば、壁の落ちた途端、メルケルがあたかも冬眠から覚めたように活動し始めるのは、ごく自然な成り行きとさえ思えてくる。

 

ソ連への傾倒

しかもカスナー(注:メルケルの父)家では、西ドイツのラジオを聞きながら、ただ憧れていたわけではなかった。それどころか、アデナウアー首相の西側世界への接近、ソ連や東欧への蔑視、NATOと歩調を合わせた再軍備への努力などを、ほとんど怒りを込めて眺めていたという。

なお、特筆に値するのは、メルケルのソ連への傾倒だ。ロシア語を学び、それをさらに上達させるため、ロシアの駐留兵士と交歓もした。

15歳のときには、ロシア語コンクールで優勝し、モスクワでの"ロシア語オリンピック"にも参加している。

言葉を学ぶということは、文化と精神を体得するということでもある。ロシアの魂を愛さずして、ロシア語を深く学ぶことはできない。

のちに首相になってから、プーチン大統領との確執などが取り沙汰されることもあったが、メルケルのロシアに対する愛着は、そのような表面的な事象には左右されないもっと根源的なものだろうと私は思っている。

次のページ
どんどん社会主義的に >

Voice 購入

2024年5月号

Voice 2024年5月号

発売日:2024年04月06日
価格(税込):880円

関連記事

編集部のおすすめ

欧州に混乱を巻き起こしたロシアの謀略

岡部伸(産経新聞社論説委員/前ロンドン支局長)
×