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いつまで「欧米のモノマネ」を続けるのか? 日本のイノベーションが“口だけで終わる”理由

2021年07月09日 公開
2021年07月09日 更新

太田肇(同志社大学政策学部教授)

 

イノベーションと相容れない共同体の論理

そしてポスト工業社会では、企業にとっても社会にとってもイノベーションこそが成長の原動力になった。しかし同調圧力が強い日本の職場では、メンバーの合意が得られやすい改善活動は盛んだが、異端者や少数派から生まれるイノベーションは起こりにくい。

また、イノベーションには、突出した意欲や個性の発揮が必要である。そもそもアイデアや創造などソフトの世界において、他人と一緒では価値がない。さらに同調圧力によって生じる「やらされ感」は、イノベーションに不可欠な自発的モチベーションと対極にある。

したがって共同体型組織に特有の同質性と閉鎖性、そして共同体主義がもたらす同調圧力はイノベーションの大敵だといえる。

職場の同調圧力を発見した古典的な研究として知られるのが、いまから一世紀ほど前の1924年~32年にアメリカのウェスタンエレクトリック社、ホーソン工場で行われた「ホーソン研究」である。(注4)

この研究では、職場に公式な組織とは別の非公式組織が存在すること、その中でメンバー自身によってつくられた独自の標準が生産性を左右することが明らかになった。

仕事をさぼっても、逆にがんばりすぎても仲間に迷惑をかけるので、「標準」に従うよう周りから圧力がかけられるのだ。とりわけ「出る杭は打たれる」日本的風土のもとでは、集団の中で突出することがいっそう困難なのは想像に難くない。

また共同体型組織では会社の人事評価も減点主義で、前述した「裏の承認」が中心になる。

研究開発の世界には「千三つ」という言葉がある。千回挑戦して三回成功すればよいという意味であり、それだけ失敗を恐れず挑戦すること、失敗から学ぶことが大切なわけである。

ところが減点主義の風土では、リスクを冒さず無難な仕事をしていたほうが得だという計算が働く。イノベーションと共同体の論理がいかに相容れないものかわかるだろう。

ただ、これは評価だけの問題にとどまらず、獲得できるリターン(見返り)の問題でもある。社内でいくら加点主義を取り入れ、「出る杭」を伸ばそうとしても社内で得られるものには限界があるのも事実だ。

巨万の富を手に入れたい、世界に自分の名をとどろかせたい、自分が理想とする会社をつくって社会に貢献したい、といった野心を社内で満たすことは困難だからである。

したがって画期的なイノベーションやブレークスルーを引き出そうとすれば、社員を組織の中に留めようとするのではなく、社員の独立や起業も視野に入れて制度や慣行を見直す必要がある。

1990年代に日本経済が凋落していくのを尻目に、アメリカ経済は逆にV字回復を遂げたが、その原動力となったのが、既存企業をスピンアウトしてシリコンバレーなどで夢を実現した起業家たちだったことを忘れてはならない。

イノベーションが「攻め」の経営に大切なのはいうまでもないが、じつは「守り」にも必要だといわれる。

福島の原発事故とJR福知山線の列車転覆事故には「技術経営の過失」があり、その根源は東電もJR西日本もイノベーションを要しない組織だったからではないか。

こう指摘するのは、イノベーション理論を研究する山口栄一である。山口によると熾烈な国際競争のさなかにあるハイテク企業と違って、両社は事実上の寡占ないし独占企業であり、そこでは職員の評価は減点法になる。そして減点法の世界におけるリスク・マネジメントは、想定外のことが起きたときに「いかに被害を最小限にとどめるか」ではなく、「いかにリスクに近寄らないか」という発想に陥りがちだという。(注5)

このように共同体は、イノベーションの源泉である"やる気"にも「天井」をつくってしまい、それが企業経営にも社会の利益にも多様な形でマイナスの影響をもたらしていると考えられる。

さらにイノベーションは共同体の利益と真っ向から対立するケースが多い。仕事のプロセスが効率化されたら部署や人員の削減につながり、製品のイノベーションは旧製品の製造に携わる人の職場を奪うからである。

そのため共同体とそのメンバーはイノベーションに消極的であるばかりか、逆にそれを阻止しようという動機を抱きやすい。

 

「キャッチアップ型」から抜け出せない現実

共同体の論理がもたらすイノベーションの阻害は、高等教育の分野にも起きている。しかも皮肉な形で。

前述したように日本の大学は近年、世界ランキングでその地位を落とし、アジアの中でも中国などの後塵(こうじん)を拝しているのが現実だ。そうした現実を受け止めて近年、日本の大学はグローバル化に適応するため語学(とくに英語)教育に力を入れ始めた。

同時に「入りにくいが出やすい」現状が学生の学力低下を招いているという認識から、単位の認定や卒業要件を厳しくし、「学生の質を保証して世の中に送り出すのが大学の役目だ」と公言されるようになった。

しかし考えてみれば、先頭を走る欧米などの大学を目標に定め、語学力の向上に主眼を置く方針こそ、イノベーションとは対極の「キャッチアップ型」ではないか。

キャッチアップ型を続けるかぎり、目標はいくら追っても蜃気楼のように先へ、先へ逃げてしまう。いつまでたっても追いかけるばかりで、追い越すことはおろか、トップに並ぶこともできない。

欧米にハンディなくイノベーションの競争を勝ち抜こうとするなら、むしろ日本が競争優位なものは何かを探す必要がある。教育社会学者の苅谷剛彦がいうように、グローバル化の時代だからこそ英語教育より日本的な特殊性を前面に出すという戦略もあるだろう。(注6)

また「質を保証して世の中に送り出す」という発想は、工業社会における品質管理の発想そのものである。人間はモノと違って「質」を測れるわけではないし、絶えず変化・成長する。

高度な能力になればなおさらだ。少し皮肉を交えていえば、あらかじめ測れるような能力がそもそもイノベーティブだといえるかどうか疑わしい。

このようなキャッチアップ型、工業社会型の発想は個別組織のレベルにとどまらず、社会全体に浸透している。その弊害が表面化するのは、大きな方向転換や迅速な行動が要求されるときだ。

少数意見を抑圧するような風土では改革の芽は育たないし、成功したときの評価より失敗したときの責任追及が厳しい社会では、客観的にみてメリットが明らかにデメリットを上回るような政策でも為政者を尻込みさせる。

 

(注1)2019年1月30日付「朝日新聞」
(注2)日本生産性本部の調査
(注3)IMDの調査
(注4)F. J. Roethlisberger and W. J. Dickson, Management and the worker, Cambridge, Mass. : Harvard University Press,1939.
(注5)山口栄一『イノベーションはなぜ途絶えたか  科学立国日本の危機』筑摩書房、2016年、182,183頁
(注6)苅谷剛彦『オックスフォードからの警鐘 グローバル化時代の大学論』中央公論新社、2017年

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