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『007』のモデルとなった二重スパイ...予告した“真珠湾攻撃”を米軍が聞き流したワケ

2021年10月19日 公開
2023年02月01日 更新

岡部伸(産経新聞社論説委員/前ロンドン支局長)

 

ドイツ人たちが真珠湾に特別の関心

前掲の回想録『スパイ/カウンタースパイ』によると、「質問状」はポポフが1941年7月、リスボンでドイツのアプヴェールのリスボン支部長、フォン・カルストホーフから「米国でスパイ網を組織せよ」との指令を受け、渡された調査リストだった。このなかに真珠湾の米軍施設や米艦隊などが含まれていたのだ。

大戦中、中立を守り通したポルトガルの首都リスボンは、連合国、枢軸国両陣営のスパイが入り乱れ、諜報戦のメッカだった。ポポフは、ビジネスにかこつけて頻繁にポルトガルを訪問し、アプヴェールのカルストホーフの指示を受けていた。

ユーゴスラビア情報省代表の肩書で渡米するため、飛行機の空席待ちで別荘に数日間待機していた同年7月、カルストホーフからマニラ紙(マニラ麻で製造した強力紙)でできた何枚かの書類を見せられた。この書類こそ「質問状」で、最初の一節は「海軍情報」という見出しで始まり、アメリカとカナダが海外へ派遣する部隊に関する質問だった。

そして2番目の見出しが「ハワイ」で、真珠湾のあるオアフ島の弾薬庫と機雷貯蔵庫をはじめ米軍施設や米艦隊など、真珠湾に関する詳細な質問項目が記されていた。

「質問状」は書類のほか、ドイツが機密情報を運ぶために超高細密の印刷技術を使って開発した極秘の連絡手段「マイクロドット」としても手渡された。高倍率の拡大鏡で見ると、微細な文字が判明する仕組みで革命的なスパイ技術だった。

ポポフはアプヴェールの同僚であるジョニー・イェプセンから、1940年11月にイギリス海軍が航空機でイタリア南部の軍港タラントを空襲した際の攻撃手法に日本が関心をもち、日本の依頼でタラントを現地調査したことを聞いていた。

また、ドイツの日本専門家で東京駐在の空軍武官だったグロノー男爵がタラントを訪れ、日本は石油備蓄量の関係から、1941年末までにはアメリカと戦争状態になる、と予想したこともイェプセンから耳にしていた。

ポポフがカルストホーフに、「オアフ島に関することはアジアの同盟国のためのものに違いありませんね」と尋ねると、「誰でもそう思うだろうな」と答えたという。

日本がタラント空襲に倣って真珠湾を攻撃するとポポフは推測した。そこで、この情報を自らの見解を含めてリスボンのMI6に伝えたのである。これがロンドンに送られたあとアメリカにはポポフ自身が渡り、自らの見解を添えて伝えることになった。

 

派手な「二重スパイ」を嫌悪したフーバー長官

8月10日、渡米したポポフはFBIのニューヨーク支部長パーシー・E・フォックスワースと面会し、「質問状」とイェプセンの情報、グロノー男爵の予測をもとに「日本が今年末までに真珠湾を奇襲する可能性がある」と告げた。ところがフォックスワースは、「その情報はあまりにも正確すぎて、すぐ信じるわけにはいかない。

フーバー長官のじきじきの特別指示を仰がねばならない」と答えた。その一方で、ポポフが「マイクロドット」を渡すと、それを顕微鏡で覗いた彼らは驚きの声を上げたという。

しかし、フーバーFBI長官は「二重スパイ」のポポフを信用せず、来訪を拒否した。ポポフには終始、尾行がつけられ、ハワイ行きの許可も得られなかった。

この間、ポポフは英国人女優とフロリダを旅行。ウォルドーフ・アストリア・ホテル(マンハッタン)から高級アパートのペントハウスに居を移し、旧知のフランス人のハリウッド女優、シモーヌ・シモンと暮らすなど豪勢な生活を送っていた。このことがフーバー長官には気に入らなかった。

FBIが「マイクロドット」を解読した9月半ば、ニューヨークを訪問したフーバー長官はポポフをニューヨーク支部に呼びつけ、「どこかから来て6週間もたたないうちに、パーク通りのペントハウスに住みつき、映画スターを追いかけまわし、重大な法律を破った。もう我慢がならん」と罵声を浴びせたという。

 

「米側に重要性を強調すべきだった」

MI5はアメリカに対して胸を張って「質問状」を「警告」情報として提供した形跡はない。なぜだろうか。

英「タイムズ」紙のベン・マッキンタイアーは、『英国二重スパイ・システム』で、「実は、ポポフもイェプセンも、またMI5もFBIも、実際に攻撃が起こるまで誰一人として質問表(ママ)を真珠湾攻撃の兆しだとは思わなかったというのが、真相である」と指摘する。20(XX)委員会のマスターマン卿は『二重スパイ化作戦』で自責の念を込め、この情報の重要性を強調すべきだったと回想している。

アメリカが参戦した場合、真珠湾がまず第一の攻撃目標になるということと、この計画が1941年の8月の時点で、すでに実行可能に近い状態にまで煮詰まっていたことをきわめて明白に裏書きしていたと考えるのは、きわめて理にかなった推論である。

明らかに、アメリカはわれわれが吟味より先に自ら質問表を仔細に検討して推論を導き出すべきであった。一方、われわれはすでに工作のこともトライシクル(引用者注:ポポフ)のことも知っていたのであるから、その重要性を声を大にして強調すべきだったのである。

ポポフの「質問状」の真珠湾情報は、スクープ情報を分析する側がいかに取り扱うべきかという問題を現代に投げかけている。

 

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